ドイツの自動車大手「フォルクスワーゲン」は9月13日、小型車「ザ・ビートル」の生産を2019年7月に終了すると発表した。第二次大戦前にドイツで開発された名車の系統が、途絶えることになった。
フォルクスワーゲンのアメリカ法人の社長は「ファミリー層に特化し、電動化を推進する戦略の中では、直ちに代替計画を立てることはできない」として、今後の復活について否定的なコメントを寄せた。
同社はディーゼル車の排ガス不正スキャンダルで打撃を受けて以降、環境問題に対する意識の高い消費者にアピールするため、EVの発売に向けて準備を進めている。ビートルの生産中止は、こうした商品戦略の変更が背景にあるようだ。
■アドルフ・ヒトラーの要請で開発
「ザ・ビートル」の源流は、ドイツのナチス政権の「フォルクスワーゲン(ドイツ語で国民車)」構想にまで遡る。1930年代にアドルフ・ヒトラー総統の要請で、自動車設計者のフェルディナント・ポルシェ博士が設計した。ポルシェ博士は自動車メーカー「ポルシェ」の創業者だ。
こうして1938年に発表されたのが、「KdF(カーデーエフ)ワーゲン」だ。流線型をした空気抵抗の少ないボディ。最高速は時速100キロ以上、7リットルのガソリンで100キロを走行できる低燃費など、当時の技術水準をはるかに超えるものだった。自動車が高級品だった時代に、高性能な自動車を「一家に一台」買えるようにするのが狙いだった。
週ごとに積立金を払い、満額に達したドイツ国民がワーゲンを受け取ることになっていた。33万6000人が申し込んだが、実際には1人も受け取れた人はいなかった。
第二次世界大戦が勃発したからだ。軍用車に改造された以外には、ノーマル版の「タイプ60」が870台ほど生産されたが、軍人やナチス幹部が利用するに留まったという。
■世界的な人気車に。2100万台の生産は世界記録
1945年の敗戦直後、「KdFワーゲン」は「フォルクスワーゲン・タイプ1」と改称して、ようやく一般販売が開始された。その可愛らしい外観から、英語圏では「ビートル」の愛称で広く親しまれた。
アメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献した。日本でも人気があり、1970年代後半には、ワーゲン占いが流行。「街を走るビートルを3台見たらその日は幸せになる」「黄色のビートルをみれば3台探さなくとも一気に幸福になる」と言われていた。
1974年に西ドイツでのビートルの生産は中止されたが、メキシコやブラジルでの生産は続いた。2003年、メキシコでの生産が終わるまでの58年間で2100万台が生産された。これは一車種の生産記録としては、現在も世界記録だ。
■現在の「ザ・ビートル」は3代目
タイプ1と同じメキシコ工場で、1998年に生産を開始されたのが2代目となる「ニュービートル」だ。このモデルは、4代目の「フォルクスワーゲン・ゴルフ」と同じプラットフォームを使って設計された。もともとリアエンジンだったタイプ1のデザインを、フロントエンジンの車で再現した。2010年で生産が打ち切られた。
その後を継いだのが2011年に登場した3代目の「ザ・ビートル」だった。ボディサイズがアップし、空力性能を改善された。しかし、アメリカの2018年のザ・ビートルの販売は1万1151台と、前年同期比で2.2%減少していた。