文筆家の菅野完氏(43)がアメリカ・テキサス州で暮らしていた20年前、当時交際していた日本人女性に暴行し、けがを負わせたとして逮捕・起訴されたにもかかわらず、裁判を受けずに帰国していたことを9月8日、ハフポスト日本版は確認した。
菅野氏に対しては再逮捕状が出されて現在も有効といい、事実上の「逃亡」状態になっている。
この問題をめぐっては、週刊現代(8月11日号)が報じて明るみに出た。ハフポストも捜査関係書類の写しなどを入手した。
関係者の話も総合すると、菅野氏は22歳だった1998年5月23日夕、テキサス州ベル郡のアパートで、同居していた当時20歳代の日本人女性の頭や顔、体をたたくなどしてけがを負わせたとして地元警察に逮捕された。
菅野氏は捜査の後、「家族または同居人に対する傷害罪」で起訴された。
菅野氏はその後、保釈保証業者の立て替えで2500ドルを支払って保釈されたが、1999年6月にベル郡裁判所で予定されていた公判に出廷せず、帰国。裁判所は9月、保釈金の没収と菅野氏を再逮捕するよう決定を下した。
ベル郡検察当局によると、この事件は終結しておらず、再逮捕状は今も有効という。
前年にも同じ被害者に暴行
事件の前年にも、菅野氏は同じ女性に対して傷害事件を起こしていた。
捜査関係書類などによると、菅野氏は当時、テキサス州にある2年制の大学で学んでいた。被害者の女性とは同居していたが、1997年8月、この女性の顔に電話機を投げつけるなどしてけがを負わわせたとして逮捕された。
菅野氏は起訴されたが、公判では罪状認否をせず、そのまま結審。裁判所は1998年5月29日、菅野氏に対し、罰金650ドル、保護観察1年の有罪判決を下した。
菅野氏の見解は?
菅野氏は7月30日、週刊現代の質問に答える形でコメントを公式サイトに発表した。主な内容は以下の通りだった。
御指摘の内容は全て事実です。頂戴した質問状にある内容がそのまま20年前の私の姿です。あまりにも愚かで、いくら反省してもしきれません。
お相手の女性には、雑誌の取材に答える形ではありますが、改めて謝罪します。申し訳ありません。
実母の死去や生活に追われ出頭することができないまま、司法機関や相手方からの強い要請もなく、裁判が収束に向かったと合点しておりました。
一方、菅野氏はハフポストの取材に対し、改めてこう回答した。
週刊現代に対する回答以上のことは答えられません。
事案が発生した98年から日本帰国後にかけての数年間の記憶に関しましては、本事案、家族との死別と離別、経済的行き詰まり、ホームレス経験、その後の就職などなど、恥ずかしいことも辛いことも有為転変さまざまあり、記憶がまだらになっているのが有り体のところです。
これは、「20年も昔の話なので記憶が薄れた」ということではありません。
あくまでも、あまりに多くのことが一時に連続して起こり、またそのため記憶もまだらになっているため、あの数年間の記憶について、正確を期してお話しすることがなかなか難しいということです。
当該女性とコンタクトをとったことは一切ありません。先方から当方へのコンタクトも一切ありません。
従いまして、現状彼女がどのような状態にいるのか、本事案や私に対してどのような感情をもっているのか、彼女の希望はなにかなどについての情報は当方の手元に一切ありません。
被害者の意思を確認せぬまま、当方が一方的に話をするのも適切ではないとも考えます。
米国現地の捜査当局が保有する資料をもとに当方の記憶を再度喚起してからでないと、固いご回答は申し上げにくいというのが実情です。
アメリカの捜査当局や裁判所への出頭の有無など、今後の司法手続きについては、アメリカの弁護士を通じて確認中だという。
菅野氏の依頼で手続きを確認している山口貴士弁護士は「現在、菅野氏の事件がどうなっているのか、現地の捜査当局や裁判所に直接確認できているわけではない。テキサス州の弁護士に確認してもらった上で、相談の上、対応を決めたい」と話している。
菅野氏は保守団体「日本会議」をテーマに「日本会議の研究」を書き、2016年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞した。
森友学園問題では、森友学園の前理事長だった籠池泰典氏と報道機関との間で情報や資料の提供を仲介するなどして注目を集めた。
一方で、体を無理やり触られて精神的苦痛を受けたなどとして女性から民事提訴され、東京高裁は2018年2月、女性の主張をほぼ認めた一審・東京地裁判決を支持し、菅野氏側の控訴を棄却した。