「103年ぶり」なのに、なぜ「第100回大会」?甲子園の「歴史」を簡単に振り返る

秋田県勢の決勝進出は103年ぶり、と報じられて気づいた、素朴な疑問。
朝日新聞のビジュアル球史のサイト
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第100回全国高等学校野球選手権記念大会で8月20日、決勝進出を果たした金足農(秋田)。秋田県勢の決勝進出は「103年ぶりの快挙」と報じられている。

でもちょっと待って...第100回大会で103年ぶり?なぜ数が合わないのか調べてみた。

全国高校野球大会が初めて開かれたのは、1915年。ただ、このとき全国大会に出たのは、わずか10校。

主催する朝日新聞が高校野球の歴史をまとめた「ビジュアル球史」によると「京都二中(現・鳥羽)と秋田中(現・秋田)の決勝は様々な『大会初』を生んだ」とある。

京都二中が優勝したが、今年の第100回大会の金足農の決勝進出は、秋田県勢としてはこのとき以来だった。

だがその後、太平洋戦争で1942年から45年までの4年間中断した。

第27回の全国大会(1941年)は地方大会だけ開かれた。ビジュアル球史によるとこの年、「朝日新聞は社告でいったん開催を告知し、地方大会も始まったが、7月にスポーツの全国的な催しを禁止する文部省次官通達があった」という。

再開したのは、1946年。前年の秋、朝日新聞社が大会開催の可否を調査し「翌年1月、『社会情勢の許す限り』としつつ、復活を社告で宣言。地方大会には過去最多の745校が参加した」(ビジュアル球史)という。

そして第100回大会で、吉田輝星投手を擁する金足農が、優勝を賭けて21日の決勝戦で大阪桐蔭 (北大阪)と対戦する。

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