「うちのクラスにLGBTがいるんじゃね?」
ヒュッと息を呑む。「お前ホモなの?」と投げかけられた中学時代のあの時を思い出す。ぬるい汗がにじむ、あの感覚。
とある高校2年生のクラスで「LGBTについて」の授業が行われたことをきっかけに、クラスでLGBTの"当事者探し" が始まるーーー思わずギクリとするシーンから始まる映画「カランコエの花」が今週末7月14日(土)から、新宿K's cinemaで1週間限定で上映される。
当事者ではなく「周囲の人々」の視点でLGBTを描く
映画のキャッチコピーは「ただ、あなたを守りたかった。」
LGBTに対する社会の認識の変化はまだまだ過渡期と呼べる現状、学校という閉ざされた空間の中で起こりうる高校生のリアルな心の葛藤を、当事者ではなく「周囲の人々」の視点から鮮やかに描いている。
善意でLGBTについて知識を伝えること、悪気なくセクシュアリティを揶揄すること、守ろうと思い否定すること、配慮とは、理解とは何か。友人、クラスメイト、家族、先生、さまざまな立場から「今まで見えてこなかった他者とどう向き合うか」を考えさせられる映画だ。
14日からの公開を前に、先日、明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンターと一般社団法人fairで、映画「カランコエの花」特別上映会+トークイベントを開催した。
本作監督の中川駿氏、NPO法人ReBitの池田えり子氏、明治大学の田中洋美准教授が登壇し、「周囲にできること」をテーマに議論した。
きっかけとなった監督自身の「失敗」
中川監督が本作を制作したのは2年前。なぜ当事者ではなく「周囲の人々」の視点からこの映画を描いたのか。監督は自身のある一つの"失敗"がきっかけだったと語る。
「LGBTという言葉を目にして興味を持ったのですが、どう描こうかと考えた時に『すごくセンシティブなテーマだから、うかつに手を出したら誰かを傷つけてしまうのでは』と思い、映画仲間に相談してみたんです。そしたら、その人から『その考え方自体がそもそも差別的だよね』と言われて。
例えばストレートの人の恋愛を描こうと思ったときに『センシティブだ』とは思わないですよね。僕はLGBTについて理解があるつもりでしたが、自分の中の潜在的な差別意識に気づかされた気がしてショックでした。この経験に着眼点を置いてみようと思ったのが一つです」。
画一的な「配慮」への疑問
また、とあるゲイの当事者のブログを監督が読んだ際に「周囲の過剰な配慮」を感じたというのも一つのきっかけだった。
そのゲイの当事者は、自身のセクシュアリティをオープンにしていたが、周囲にカミングアウトしたあと、周りからはいつも「言ってくれてありがとう、絶対に誰にも言わないからね!」と言われたという。
「その人自身はゲイであることを恥じていないのに、周りが『絶対言わないからね!』といったリアクションをするのは逆に失礼ではないかとショックを受けました。そこで、他者の余計な配慮によって当事者や周囲の人々が混乱する様子を描くのはどうかと思いました」。
当事者にとってカミングアウトは勇気が必要であることが多い。勝手に第三者に暴露されてしまうことは「アウティング」といって、当事者の居場所を奪うことにつながる恐れがある。しかし、かといって腫れ物に触るような扱いをされてしんどさを感じる人もいる。
どちらにしてもイメージのみで決めつけず、対話を重ねることが重要になってくる。
嬉しかったのは「私を知ろうとしてくれたこと」
登壇者のひとり、池田さんはバイセクシュアルを公表している。元高校教員でもあり、現在はLGBTの子ども・若者を支援するNPO法人ReBitの事務局マネージャーをつとめている。当事者、元高校教員、LGBT関連の団体スタッフという3つの立場から、「LGBTについて伝えること」を話した。
NPO法人ReBitでは、全国の学校にLGBTに関する出張授業を届けている。
「授業で大事にしていることは『LGBTについて教える』というよりも『人ってそれぞれ違うよねと気づくきっかけづくり』なんです」。
高校教員時代、池田さんはバイセクシュアルであることをカミングアウトし、生徒たちにLGBTについて教えることはできなかった。
「私自身も当事者として何かLGBTについても伝えることができればと思って学校に飛び込みましたが、そのハードルは非常に高かったなと思います」。
ただ、同性パートナーシップ制度ができた時にクラスで話題に上げるなど、LGBTや社会問題に関心がある先生だということを伝えていたそう。
当事者として自身の高校時代を振り返ってみると、当時の先生にセクシュアリティについて話すことは難しかったという。
「中高と女子校だったのですが、『女の子らしくしなさい』とか、『将来はお父さん・お母さんとこんな家庭を築きます』みたいな話をよくされていました。
先生のちょっとした発言が多様な子どもたちを考慮していなくて、ここでは話せないなと思っていました。
そんな中、はじめてカミングアウトしたのは友人でした。やっぱり本当の自分を知ってほしいと思って友達にカミングアウトしたら『あなたはあなたで、何も変わらないよ』と言ってくれて、私を知ろうとしてくれたことが嬉しかったです」。
教える立場である以上、学び続けなければならない
明治大学情報コミュニケーション学部の田中准教授は、自身が受け持つジェンダー論の授業で「LGBTだけでなく、社会に共存している"自分と異なる他者"と遭遇したときに、どう振る舞えるか、どうコミュニケーションをとれるか」を伝えているという。
映画「カランコエの花」では、ある一つのクラスだけでLGBTについての授業が行われることが事の発端となるが、その授業の内容も薄く、後の対応も褒められるものではなかった。それでも授業をした先生の優しさや真摯さは伝わってくる。
「(登場人物は)誰も悪くないというご意見もありましたが、やっぱり教員として見ていて、うーん...と思うところもありますね。
私は大学の教員をしていますが、私自身無知なところはいっぱいあると思っています。学校では教員が持っている権力は絶大。だからこそ、教員である以上は学び続けなければならないと映画を見て強く思いました。
例えば、生徒の前で話すときにセクシュアルマイノリティの子がいるかもしれない。選挙の話をするときに選挙権を持つことのできない人もいるかもしれない。そういった想定は必要だと思います。
自分が『全てを知っているわけではない』という状態は死ぬまで変わりません。子ども達の未来を委ねられているからこそ、「知」を伝える立場の者としては、毎日じゃなくても、定期的に新しいことをインプットしていく姿勢を持つのは必須だと思います」。
映画を見て「私自身も昔感じていたような息苦しさを思い出したりもしました」と話す田中准教授。
「学校という場所は、社会の中で子どもたちにとって楽しい場にもなるけれど、息苦しい場にもなりうる。高校と大学は違うかもしれませんが、教員としてなるべく息苦しい場にならないような雰囲気づくりをやっていきたいなと思いました」。
自分と異なる他者との向き合い方
本作は「LGBTについて知りましょう」というメッセージを投げかけるものではない。中川監督自身もこの映画には「答えがあるわけではない」と語る。
きっと映画を観た人の多くは「もし私がこの立場だったら...」と自分自身を投影し想像するだろう。仲の良い友達グループのひとりだったら、クラスメイト、先生だったら、どうすれば防げたのか、私ならこの後どう動くだろうか...。
無意識の偏見でもなく、過剰な配慮でもない、「自分と異なる他者との向き合い方」とは一体何だろう。
映画「カランコエの花」は7月14日(土)から7日間、新宿K's cinemaで公開。詳細は映画公式WEBサイトから。