地下鉄サリン事件などで計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件をめぐり、死刑が確定していた元代表の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(63)ら7人の死刑が7月6日に執行された。オウム真理教事件で死刑が執行されるのは、今回が初めて。
7人はどのような人物だったのか。プロフィールをまとめた。
■麻原彰晃(あさはら・しょうこう)63歳
1984年にヨガサークル「オウム神仙の会」を設立。座禅を組みながら浮き上がる「空中浮揚」の写真で話題を集め、87年に「オウム真理教」に改称した。全国各地に支部や道場を開いて信者を増やした。95年の地下鉄サリン事件のほか、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件でも起訴され、計13事件で殺人罪などに問われていた。
■井上嘉浩(いのうえ・よしひろ)48歳
高校2年生のとき、オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」に入会。麻原死刑囚に寵愛されて地下鉄サリン事件当時は、「側近中の側近」とも評される。スパイ活動する諜報省のトップを務め、教団の非合法活動を裏から取り仕切った。地下鉄サリン事件では実行犯チームの現場指揮を取った。
■遠藤誠一(えんどう・せいいち)58歳
京都大学大学院でエイズウイルスの遺伝子解析をしていたが、1987年に入信。「第1厚生省大臣」として、ボツリヌス菌や炭疽菌など細菌兵器を研究し、サリンの製造でも中心的な役割を果たした。麻原死刑囚の四女の「許嫁」だったという。
■土谷正実(つちや・まさみ)53歳
筑波大学大学院で有機物理化学を専攻。1991年に出家した。「第2厚生省大臣」として、同じ化学者の遠藤死刑囚と麻原代表の寵愛を競いあった。93年にサリンの合成に成功。94年から95年にかけて起きた松本・地下鉄両サリン事件で使われたサリンと、信徒などへの3件の襲撃事件で使われたVXガスを製造した。
■中川智正(なかがわ・ともまさ)55歳
京都府立医科大学を卒業後、1988年に医師免許を取得した。研修医として1年ほど勤めたが、89年に退職して、オウム真理教付属病院の顧問になった。出家の約2カ月後、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯に選ばれた。その後、麻原死刑囚の主治医として、彼の家族の世話をする法皇内庁の長官となった。同時に松本・地下鉄両サリン事件など教団が犯した凶悪事件のほとんどに関わった。
■新実智光(にいみ・ともみつ)54歳
オウム真理教が起こした7件の殺人事件すべてにかかわり、計26人を殺害したとして殺人などの罪に問われた。この人数は麻原死刑囚の27人に次ぐ多さ。最古参信徒の一人。事件について裁判では「グル(麻原死刑囚)の指示であれば、人を殺すことに喜びを感ずるようでなければならない」と公言していた。
■早川紀代秀(はやかわ・きよひで)68歳
大手ゼネコンなどに務めていたが、1986年に入信した。麻原死刑囚の著書を読んだことがきっかけだった。翌87年には全財産を寄付して出家。麻原死刑囚より6歳年上で、若者が多い教団では「おやじ」と呼ばれていた。教団内ではゼネコンの勤務経験を活かして土地買収などの先頭に立ち、「建設省大臣」となる。教団の武装化を進め、サリンプラントの建設を指揮した。信徒の殺害事件や、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の一人として関与した。
参考図書:「週刊朝日 緊急増刊 オウム全記録」(2012年7月15日発行)