世界最大のゲイタウンともいわれる新宿2丁目の老舗ディスコ「NEW SAZAE(ニューサザエ)」 のマスター・紫苑さんが6月13日、死去した。「NEW SAZAE」のTwitterで15日、発表された。
Twitter上には「20代、毎日のように遊びに行ってました」「新宿二丁目で最初に入ったお店がNEW SAZAEでした」と、ありし日の紫苑さんを偲ぶ声が寄せられている。
新宿2丁目を見つめてきた
「NEW SAZAE」は、約50年にも及ぶ新宿2丁目の歴史を見つめてきた。
「NEW SAZAE」の前身である「SAZAE」がオープンしたのは1966年。当時の2丁目にはゲイのみ利用可という店が多かったが、セクシュアリティに関わらず誰でも楽しめる「NEW SAZAE」は貴重とされた。
かつては、作家の三島由紀夫さんやイギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーさんも通ったといわれる。
紫苑さんは、「SAZAE」のお客さんだったが、初代のマスターやスタッフが相次いで亡くなったことで、店を守るために、2代目のマスターになる決意をしたという。
紫苑さんは長崎出身。フランス人の船員を祖父に持つクォーターとして生まれた。5歳の時に交通事故で両親を亡くし、親戚の間を転々として暮らした。交通事故を経て上京。奨学金を得て大学に進学した頃に「SAZAE」に出会った。
紫苑さんは2016年、ハフポスト日本版の取材に対し「みんなが自由に、自分を出せる場所にしたい。そんな思いでやってきました。これからも私の体が動く限りお店は続けていきます」と語っていた。
記事を執筆したライターの宇田川しいさんは、紫苑さんの訃報を受けて「サザエはいつ行っても満員だった印象があります」と以下のコメントを寄せた。
「僕が2丁目に出始めた頃のサザエはいつ行っても満員だった印象があります。週末ともなるとドアの外まで人が溢れて店全体が熱気に包まれていました。紫苑さんは、その満員の客たちを咥(くわ)えタバコで踊りながらあしらっていたものでした。
紫苑さんはどの客にも平等に接していて、しばしば常連との馴れ合いが過ぎる感のある他の2丁目の店とは違っていました。まるでグラムロックのスターのようなメイクと衣装の紫苑さんは、2丁目デビューしたての僕にはなにか異次元の生き物のようにクールに見えました。
一昨年、ハフポストでインタビューさせていただいたときには『最近は息が切れて踊れなくなった』とおしゃっていましたが、それでもまだまだお元気な様子だったのに。本当に残念です。 ご冥福をお祈りいたします」
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