私たちの生活や仕事に必要な"Vision"は何だろうか――。
奈良の西吉野が舞台の劇場デビュー作「萌の朱雀」(97)で、カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞してから20年。
奈良に住み続けている河瀨直美監督が、「植林の継承者不足で荒れていく森の危機感が、人間の生き方の危機感にも重なって構想が膨らんでいった」と語る最新作『Vision』が公開された。
フランスを代表する俳優ジュリエット・ビノシュと、『あん』、『光』に続き河瀨監督とタッグを組む永瀬正敏をダブル主演に加え、岩田剛典、美波、夏木マリ、森山未來、田中泯らが演じる登場人物が、神秘の森で邂逅し、心通わせながら人間のルーツに迫る物語だ。
世界が注目する河瀨監督が、今あらためて美しい吉野の森を舞台に"生きること"の意味を問いかけた理由と、"Vision"という題名に込めた思いについて聞いた。
――映画の冒頭、フランスから来たエッセイストのジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)が、幻の薬草"Vision"を探しに奈良の森へ向かう列車で涙するシーンがあります。ラストであの涙の深い意味を知るわけですが、あれはビノシュの演技を超えた涙だったそうですね。
あのシーンはもともと台本にはありませんでした。
ジュリエットは、日本の奥深い森を訪れることをずっと夢見ていて、この映画に出ることも強く望んでくださったので、感情の高ぶりから涙が溢れ出たようです。私も、彼女がそこまで日本の森に対する思い入れが強かったことは、知りませんでした。
ジュリエットは、森の特異性だけでなく、日本特有の文化に出会うことにも心動かされていました。
撮影期間中は、吉野川沿いにある宿坊に43日間寝泊まりしながら、早朝から正座をしてお経を聞いたり、オフの日は、お醤油やお味噌の製造元を訪ねて職人さんたちの話に聞き入り、発酵や醸造の食文化に感動したりしていました。
彼女が泣いたのは、"母性"がひとつのテーマでもあるこの作品の影響もあると思います。彼女も私も、子どもを持つ母として、女性として、自分の生き方について語りながら、泣きながら、お互いの思いを共有していきました。
――映画では、山守の男・智役の永瀬正敏さんも、鋭い感覚を持つ女性・アキ役の夏木マリさんも、山暮らしを体で覚えて撮影に臨んだそうですね。
永瀬さんには、撮影前に2週間、猟犬のコウと山小屋で暮らしてもらって、山の神様に毎日お参りして日記もつけてもらいました。
夏木さんも同じく撮影前に2週間、吉野の山に住んでもらって、そこから歩いて1時間かかる場所にあるお地蔵さんのお花と水を毎日替えてもらいました。
そのように"役を積んで"もらうのは、それぞれの役を"演じる"のではなく"生きる"姿を撮りたかったからです。
――登場人物たちは、何かを求めて森へ入っていきます。彼らの様子をずっと見守っているようにも見える、森の表情が豊かで印象的でした。
それは撮影しながらかなり意識していました。特に、この作品の象徴となっている"モロンジョの木"に強いインスピレーションを受けて、あの木の目線を意識しながらストーリーを膨らませていきました。
森の木々は、さまざまな人生を見てきています。雨が降っても、雪が降っても、何があってもそこにいて、言葉は持たないけれども、世界を俯瞰している。そのうえで人間に何かを与え続けてきたから、古代の人はそこに神が宿っていると感じ、信仰の対象になったのでしょう。
それはつまり、人間の中にも"何か"が宿っているということ。誰もがその目に見えない"何か"を大事して、そこからすべてを考えていけば、いろんなことがクリアになるはずで、森はそのことに気づかせてくれる存在なのです。
――映画では、"Vision"は1000年に一度現れる、人間のすべての痛みを治す薬草として出てきますが、見終わった後、自分にとっての"Vision"は何なのか考えさせられます。
"Vision"は治すものではなく、扉を開くもの。開くか開かないか、その先に行くか行かないかは、あなた次第。
ジュリエットは、「何かに向き合えなかった自分に、向き合わせてくれた存在」だとも言っていました。彼女は、フランスからはるばる日本にやって来て、扉を開いた。
"Vision"とは、何かを受けとめ、乗り越えるための、私たちの中にある"可能性のタネ"です。そしてそれは、厳しい試練を乗り越えて生まれてくるものだと思っています。
――その"何か"に気づくか気づかないかで、生き方も変わると。
そうですね。でも都会暮らしをしていると、なんだか閉ざしてしまっている自分がいます。私も、東京に数年住んだことがあるのでわかりますが、森にいるときの感受性を働かせていると精神が崩壊するので、不感症でいることで自分を保っているんですね。
人間が本来持っている感覚が麻痺してしまうので、目の前にあるものや人の変化にも気づかずに通り過ぎてしまったり。自分もそういう扱いをされるようになって、人間の関係性もいろんな意味で壊れていくように思います。
都会にはコンビニでも何でもあって、競争社会でい求めてきた便利で快適な暮らしが当たり前になっています。特にスマートフォンが出てきてから、この10年間で人間の生活は大きく変わってしまいました。
私も必要なときだけ使っていますが、呼吸が浅くなって、肩に力が入り、目がギラギラしてきて、すごく疲れます。
でも時代はどんどんデジタル化、インターネット化して、人間本来の生き方だった、知恵と工夫を絞った丁寧な暮らしが失われ、土を触り、自然の恵みをいただくことの喜びも薄まっている。そのぶん、大切な何かを犠牲にしているように感じるのです。
――監督自身も、奈良で、家族と自給自足に近い生活をしていらっしゃいますね。
20代の頃は、パリやニューヨークで仕事をしたいと思ったこともありました。東京にも住みましたけど、いろいろ考えて、やっぱり生まれ育った故郷で、自分の足元を掘り下げていかないと、どこに行っても勝負できない、と。
畑や田んぼをやっているのは、野菜もお米も種や苗を植えてから、季節の変化とともに時間をかけて育てて、収穫するまでの過程を経験したいから。
奈良にも情報は入ってきますし、便利なものはありますが、大地に根ざした生活をしていることで、バランスがとれている気がします。
――山守の智がジャンヌに言う台詞にもありますね。「見るもの、聞くもの、触れるもの、感じるもの、それがすべて」。
物事って、実際に目で見て、耳をすましたり、触ったり、感じたり、その場で時間を過ごして理解することで、近づけるものや得るものがあると思う。それは、人と人との関係も同じです。
仕事も生活も、ひとつひとつ自分が納得できることを積み重ねて、表現者として確固たるものを持ち続けないと、どこかから借りてきた情報や上辺だけのことはいずれ剥がれ落ちる。
ですから私にとって、奈良の吉野は自分のバックグラウンドで、今の丁寧な暮らしは次の"Vision"を見つけるためのパワーの源です。
(取材・文 樺山美夏 編集:笹川かおり)
あなたのVisionについて感じること、考えることも「アタラシイ時間」。
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