イベントに台本やゲストはいらない。僕らがコーヒーを5日間“ごちそう“して気づいたこと。

見知らぬ人同士が、出会うことは尊い
Kazuhiko Kuze

六本木の少し外れた、風が吹く場所で

見知らぬ人同士、あるいは久しぶりに会う人同士が、集まることは尊い。

先週、5月21日から5日間の午後5時〜午後7時、ハフポスト日本版が、ブルーボトルコーヒー六本木カフェのコーヒーをみんなに"ごちそう"するという企画をおこなった。

店に来て、ハフポスト日本版の開設5周年キャンペーンの合言葉「 #アタラシイ時間 」を伝えれば、無料で1杯飲めた。

考えていた、3つのこと

風に吹かれながら、コーヒーを飲むだけ。保育園のお迎えの時間を30分遅らせて来た人、初めて上司をお茶に誘った人、残業する前の息抜きだといって、顔を出してくれた人。昔の友達と、たまたま出会えた人。

初日から3日目までは、1日30人前後が来た。4日目は80人を超え、最終日の5日目は約200人が集まった。私やハフポスト日本版のメンバーも毎日行って、みんなが店の外で自由気ままに交流した。

時間を調整して、20分でも30分でも、昨日と違う時間をそれぞれが過ごした。

Kazuhiko Kuze

モデルにしたのは、ユニクロがスポンサーをして、毎週金曜日の夜のニューヨーク近代美術館(MoMA)の入館を無料にする「ユニクロ・フリー・フライデー・ナイト」。私も行ったことがあるが、仕事帰りの人たちが美術館を訪ねたあと、外で談笑している姿をいつも思い出す。

今回のコーヒーの企画で、同じような「場」を作り出し、イベントっぽくないイベントをやってみたかった。今までにないコミュニティーづくりをしたかった。企画の段階で気をつけたのは、3つのことだった。

①準備に時間をかけ過ぎない

イベントは事前の打ち合わせや台本づくりに時間が取られるあまり、本番当日が、予行演習の劣化コピーになることがある。

台本やパワポのことを少し忘れて、偶然に身を任せてみるのも大切ではないか。今回は、そもそも台本がいらないイベントだったが、コーヒーの引き換えチケットを発行したり、参加申し込みを募ったりしないで、ただただ、お店に来てもらった。

私は事前に「僕たちが、500人にコーヒーを"ごちそう"してみたい理由」という文章をハフポストに書いた。

職場や家庭を抜け出し、昨日とは違う時間をちょっとでも作り出すことの面白さを伝えた。細かい準備より、イベントの思いの共有が大切だと思ったからだ。

Kazuhiko Kuze

②「何とか2.0」とか「新時代の何とか」など、世界を変えようとし過ぎない

毎日、各地で様々なイベントが開かれている。「何とか2.0」とか「新時代の何とか」など、タイトルやプレゼン内容が、大げさなのが特徴だ。

しかし、世の中、そんなに変化しない。私の個人的感覚では、日本は1.0から1.1や1.2ぐらいに到達したばかりであり、2.0はまだまだ先のこと。

どこかのイベントに参加して、パソコンをカタカタと打って、誰かのスピーチのメモを取り、脳みそが60分ぐらい興奮をしても、職場に戻ったら、内容は忘れている。

世界を変えたふりをしてはいけない。革命はゆっくりと、コーヒーでも飲みながら、一見無駄な会話と共に進むものである。

Kazuhiko Kuze

③ ゲストはいらない。参加者こそが大切な主役

イベントで毎回気を使うのが、ゲスト。時間通りに来るのか。機嫌を悪くしないか。お弁当は、どうしよう。失言はしないだろか。イベント中に「演説」を始めないだろうか。心配ごとは尽きない。

だったら、ゲストがいないイベントも良い。有名人の準備された言葉より、来場者同士の予期せぬ出会いや会話の方が、イノベーティブかもしれない。

今回ゲストは呼ばなかった。参加者は、コーヒーを1人で飲んでも良い。あるいは、近くの人と、天気の話や昼間食べたカレーのおいしさの話をしているだけで、十分楽しいのではないか、と思った。

Kazuhiko Kuze

ゆるやかに過ごした時間の記憶を持ち帰る

社会心理学が専門の故・山岸俊男氏の言葉を借りれば、日本は「安心社会」から「信頼社会」へと移り変わっている。

これまでの「安心社会」は同じような会社の同じような立場の人と交流していれば良かった。しかしながら、これからの社会は、転職や副業が増え、職場で顔を合わせる人も、年々違ってくる。初めて会う人や、初めての価値観と触れ合い、ゼロから信頼を築いていかないといけない。

メディアは「信頼社会」において、どのような役割を担えるのだろうか。

「信頼社会」は、不安の社会でもある。見知らぬ人を信頼するのは、とても怖い。今回、コーヒーを飲みに来てくれた人に話を聞くと「恥ずかしくて誰にも話しかけられなかった」という声もあった。「モヤッとした」「手持ちぶさたになった」という意見もあった。

一方で、こんなTweetもあった。

《気持ち良い初夏の夕方に、コーヒーと元同僚との会話を楽しみました。「何が目的?」と事業目線で最初思ったけど、ゆるやかに過ごした時間の記憶を、きた人がそれぞれが持ち帰る。その機会を媒体が作る...それは素敵なことだね、と気づきました。 》

Kazuhiko Kuze

「好きな旅行の話。なんだか楽しい夜でした」

六本木の職場で働く、ある会社役員の女性。3歳の息子のお迎えを夫に任せ、夜7時ごろ、同僚2人を連れてコーヒーを飲みにきた。転職組が多い職場だという。

「社内のチームが違うので、こういう機会がないと話さないと思って」と言っていた。「色々な人と交流できたし、何より3人でコーヒー1杯で立ち話をしているうちに盛り上がったのが良かった。終わった後、近くの九州料理屋で食事をしました。好きな旅行の話や、仕事の悩みを初めて話せて、なんだか楽しい夜でした」。

Kazuhiko Kuze

「コーヒーでも飲みに行こうよ」

昨日とは違う時間を過ごすこと。偶然の出会いに開かれていること。身近な人でも、知らない一面にオープンであること。人間関係を築いていき、信頼を一歩一歩生み出していく。

繰り返すが、「信頼社会」は、不安の社会でもある。

そんなとき、「国家」にもう一度、寄りかかる人たちがいる。同じ日本人だから信頼できる。〇〇人だから信頼できない——。

あるいは、自らの力とお金のパワーのみに100%の信頼を置き、グローバルな世界で他者と競いながら生きるビジネスパーソンたちがいる。

私は、どちらの道も取れない。国家や個人の力だけに頼るのではなく、偶然の出会いに寛容で、弱くても強くても、人と人が、競うだけでなく、優しく繋がれる場をつくりだしたい。

1人で過ごしても、みんなと一緒にいても、目的が定まり過ぎていない、自由な場所。停滞を招く「安心」ではなく、少しのスリルを経て築き上げる「信頼」こそが、社会をダイナミックに動かすと同時に、社会的な繋がりをも同時に作り出せるのではないか。

Kazuhiko Kuze

そして、見知らぬ他人や、あまり話したことのない知り合いと、偶然性たっぷりの時間を過ごすには「言い訳」が必要である。そう、たとえば「コーヒーでも飲みに行こうよ」という一言のように。

「言い訳」というキッカケを作り出すのが、これからのメディアの役割だと信じている。そんなことを思って、5日目の最終日の夜9時、私は飲み終わったあとのコーヒーカップの後片付けをしていた。

みんなが、予定をやりくりをしてくれて、コーヒー1杯から生まれた「 #アタラシイ時間 」。

ハフポスト日本版は5月に5周年を迎えました。この5年間で、日本では「働きかた」や「ライフスタイル」の改革が進みました。

人生を豊かにするため、仕事やそのほかの時間をどう使っていくかーー。ハフポスト日本版は「アタラシイ時間」というシリーズでみなさんと一緒に考えていきたいと思います。「 #アタラシイ時間 」でみなさんのアイデアも聞かせてください。

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