韓国史上、最大の悲劇と呼ばれた光州事件をきっかけに、彼女の人生は粉々になった。
母となり、60歳になった今も抱え続けている苦しみ。彼女はMeTooに勇気を得て、それを語り始めた。人生をかけた彼女の告白を紹介する。
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「何? また? お母さん、まだ言わなきゃいけないことあるの?」
娘にも、そのことだけは隠したかった。
それでも、インタビューに反対する娘を、説得しなければならなかった。忍びなくて話せず、文章にして見せた。
「捜査官は私を車に乗せて外に出て、ご飯を食べさせた後、私を連れて旅館に行きました。私はその時、抵抗することができませんでした。23歳の私を、その捜査官が踏みにじって...」
娘は、涙を浮かべながら、母をぎゅっと抱きしめた。
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キム・ソンオク(60)さんは5月4日、ソウルのあるカフェで、前の日に娘(37)と交わしたそんなやり取りを明かした。
「女性検事がMeTooの告白をしたことで、私も38年ぶりに勇気を出しました」
そう決意を語ったキムさんは、これまで胸の内に秘めてきた話を、淡々と打ち明けてくれた。
1980年、光州事件の時、キムさんは運動圏の学生ではなかった。
全南大学音楽教育科の4年生だったキムさんは、5月22日に本を買いに市内に出た。そして、学生の収拾対策委員会を引き受け、(市民軍の拠点だった)道庁に入った。シチュエーションルームで通行証や、油の補給証、夜間通行証、武器の回収などの業務や、案内放送をする役割を担った。
戒厳軍が武力鎮圧を開始した5月27日午前3時、彼女は道庁を出た。キムさんはしばらく身を隠していたが、教育実習のため昌平中学校を訪れた。
そして7月3日、戒厳司令部合同捜査本部の捜査官たちにより、学校から光州・尚武台の営倉に連行された。
「連行された先では、『女大将連れて来たのか。顔立ち整ってるな。デモやらないように見えるアマが。クソアマ、もう無期懲役だぞ』と言われました」(キムさん)
暴行・拷問の始まりだった。
「入るや否や、足で押さえつけられ、ひどく殴られました。額のここにぼこっとへこんだところがありますが、その時、机の角にぶつけたからです。血がどくどく流れながら、何が何だかわからないまま、殴られました」
暴行と拷問ばかりの調査が終わりかけた9月4日。少佐の階級をつけ、係長と呼ばれた捜査官に、キムさんは連れ出された。そして、ビビンバ一杯を食べさせられた。
久しぶりに見た日差しが眩しかった日。
キムさんは、近くの旅館に連れて行かれ、白昼、その捜査官から性的暴行を受けた。
「死ぬほど殴られたことよりも、抵抗できずに(性的暴力を)受けたという事実のせいで、今まで悲惨でした。自尊心と、言い表せない羞恥心...」。
丸65日拘禁されたキムさんは、9月5日、起訴猶予で釈放された。
キムさんの人生は、事件以降、粉々になった。
彷徨いながら男性と出会い、娘を妊娠した。
睡眠剤を飲んで自殺を試みたりもした。
キムさんの母はショックを受け、急性肝臓ガンで世を去り、小学校の教師だった父も教職を追われた。
「近しい人たちをすべて失ってしまって、誰とも会う事ができなくなったんです」。
1981年の冬、初雪の降る日に一人、娘を出産した。教育庁に陳情書を出し、1983年に中学校の音楽教師になった。
5・18の「5」の字も持ち出さず、隠れて暮らした。ただ娘が人生のすべてだった。
そうしているうちに、ガンを患った。2001年、乳房癌手術を受けた。
もしかしたら、胸に秘めた悲しさのために生じた病気ではないかと思った。
その時、大学のある後輩から初めて5・18補償の話を聞いた。その後輩が持ってきた5・18民主有功者補償申請書にこう書いた。
「私の人生を補償するんですって? いくらくださるんですか? 何をもって、どうやって私の人生を補償するつもりですか? 何を?」
補償金として、2000万ウォン(約200万円)を受け取った。虚しかった。
そして2010年10月、娘が結婚した。その翌年3月、学校を辞めた。その後、初めて国立5・18民主墓地を訪れて、涙を流した。
彼女にとって、5・18は現在進行形だ。
「ときどき私一人、遠いところに来ているように感じます。夜もよく眠れず...。人との関係もうまくできない。他の人は結婚して、嫁入り先で夫となんやかんやしているのに、私は5・18で止まってしまいました。その後、娘を育てるべく、あくせく暮らしたことしかない。話すことがありません」
キムさんは「今も軍人たちが出る映画はあまり見れません」と話した。
「全斗煥(チョン・ドゥファン)がテレビに出るのを見て『あいつ長生きするだろう』と口にすると、娘は笑うんです」。
キムさんに起こった出来事は、5月10日から光州市西区治坪洞自由公園内で開かれる「5・18 営倉特別展」(主催:5・18記念文化センター)で公開されている。ここでは、23個の光州の傷痕を盛り込んだブースが設けられている。
キムさんは、10番目の「真実の部屋」にて「崩れた23歳の夢」というタイトルで、これまでの人生をさらけ出すことに同意した。この部屋に入ると、片側の壁一面に花と黄色い蝶が目に入る。
キムさんは、自身が受けた苦痛と偏見から脱し、蝶のように自由に飛ぶことができるだろうか。
「数か月前、MeTooの告発を見ながら、あの悪いやつを殺したかったです」。そう語り、遠くの空を眺めた。
ハフポスト韓国版に掲載されたハンギョレの記事を翻訳・編集しました。