複数の若い男女が「ラブワゴン」に乗り込んで海外を旅し、恋愛模様を繰り広げる姿をカメラが追うテレビ番組「あいのり」(フジテレビ系列で放送中)。3月の放送分にゲスト出演した日本人医師の言葉が、ソーシャルメディアなどで話題になった。吉岡秀人さん(52)で、NPO法人「ジャパンハート」を設立し、ミャンマーやカンボジアなどで貧しい子どもたちの手術や治療などを無償で続けている小児科医だ。
吉岡さんは、ミャンマーを訪れたあいのり参加者らと面会。手術現場にも立ち合わせ、「時間」の貴重さについて熱っぽく語った。
僕は僕の人生を豊かにするために生きている。だからやってる。続いてる。だって、自分のためじゃないことなんて続くか。親のためにとか、子どものために苦労なんかし続けることはできへんで。
でも自分のためだけに生きれんねん。人間は。苦労し続けることができるねん。
僕が最も幸せだと思う瞬間、君たちが多分思うのは、患者が治ったりして喜んでるところでしょ。全然違うねん。全然違うんだよ。
例えば、一流のアスリートが絶対打てない球もあるわけや。それでも打たなあかんわけ。バッターボックス立った限りは。でもな、ヒットになるとか、ホームランになるとか、三振するとか、結果の問題やねん。興味はそこにないねん。
僕がベストのものを、その中でできたかどうか、最高のスイングができたかどうかや。ここだけなんよ、僕にとって幸せかどうかの基準は。だから、みんなもそういう風に生きたらいいねや。自分の人生が最も豊かになるように。自分が幸せになりたかったら、ひとを幸せにするしかない。
自分のことを大切にしたかったら、ひとのことを大切にする。もうとにかく、自分のことを好きになって、自分のことを好きになったら、他人のことを同じくらい大切にする。これを両方やらないといけない。そしたら幸せ運んでくるから。
自分のことが本当に好きな人にだけ、本当に幸せを運んできてくれる。いい出会いを呼んできてくれる。だから自分のことを好きにならなあかんねん。
あらゆることは、時間を投資してできないことはほとんどないから。友達もできる。お金も稼げる。あらゆるものは時間が形を変えたもの。
でも僕らの人生の中で、増やせないものは時間だけやで。だから、この時間をいかに生きるかっていうのがすごい大切なわけ。あっという間やで、あっという間。でも、最も後悔を少なく生きたいと思う。そのためには行動し続けることや。それしかないんだよ。
しかも、自分の心の声に従って行動する。自分の心の声は自分にしかわからへん。他人にはわからへんから。だから本質的な失敗っていうのは行動しないことをいうんだよね。だから行動することは本当に大切なのよ。
吉岡さんの言葉に触発され、参加者の女性1人は実際に行動。断られはしたものの、男性に告白した。Twitterでも「人生の核心を語っている」「先生の言葉が胸を打ち過ぎた」などの反応が相次いだ。
新たな時間を生きることは、私たちをどう変え、どんな刺激をもたらすのか。一時帰国した吉岡さんに聞いた。
――あいのりの中で、若者たちに時間の大切さについて力説していました。ご自身、それに気づいたきっかけはなんだったのですか。
医者という仕事柄、若くして亡くなっていく人をいっぱい見たからでしょうね。余命がたった5年間にもかかわらず、最後の1年を抗がん剤を打たれて、苦しみながら、じっと天井を見ながら死んでいくとかね。結局、僕らは時間は延ばせないんですよ。いつ終わりが来るかもわからないし。
僕らがもし、無限の時間があればできないないことはほとんどないと思う。たとえひとつひとつは小さくても、それを積み上げていけばどんなことでもできると思うんですね。番組で「あらゆることは、時間を投資してできる」と言ったのはそういう意味です。
時間こそ可能性であり、時間を持っていること自体が、何ものにも変えがたい可能性です。
だから、若い子たちには「時間は買え」って言いますね。お金で買えるならそうしなさいと。例えばね、学生はアルバイトすると思うんですけど、1時間900円のアルバイトで、その時間を捨てるなって言いたいですね。
いろんな事情があるかもしれませんけど、金を稼ぐためのアルバイトはナンセンスだと思います。アルバイトに何か学びを求めてるのならいいんですけど、単に稼ぐためならもったいない。医学部行ってる子なんかだと、1日働いたら1万円。でもね、医者だったら、年取れば1時間で1万円稼げますよ。
若いころは、何やっても楽しくて、何を食べても美味しくて、いろんなことに敏感です。僕はね、この感覚を「感度」って言ってます。この感度が高い時期だからこそ、時間の価値を知って、ちゃんと「投資」しないといけない。
――感度とは?
感度ってのは、外からの刺激を感じ取るアンテナと思ってもらえばいい。感性って言葉がありますけど、これが大元のところにあって、そこから感度が出てるイメージ。感性が鈍いと感度も発達しません。感度の力は行動の力ともに、何か物事をなすための要素です。
感度は精神的、肉体的なもの2つあって、それらは比較的パラレルに動くと思います。で、年が若い方が感度が高い。例えば18歳の時にトンカツ食べて感じたおいしさや感動ってのは、50歳で同じものを食べた時のそれより大きい。年をとれば感度は下がるし、生涯二度と上がらないというのが僕の持論です。
「若いころに苦労しろ」っていう意味はこれなんですね。感度が高い若いころの方が受け取る刺激が大きくて、学びが大きい。それに失敗もたくさんした方がいい。失敗の方がはるかに学びが大きいから。
年をとれば感性が低下するわけだから、今思ってる時間が続くっていうのは幻想で、同じ時間を過ごしているつもりでも緩やかにその質は「衰退」しているわけだ。
年齢以外にも、自分が置かれた状況などによって時間の質は変わる。例えば不治の病にかかったとき、それを知った瞬間からその人の時間の質は変化するでしょう。
人として成果が出るのは40代だと思ってる。それまでこつこつと積み上げて、自分だけの技術を身につけるとか、自分しかできないことやものを生み出すとか。真面目に積み上げないとできないことで、時間もかかる。だから時間がいかに貴重か。若いうちは特にそうです。
僕ね、ずっと考えてたんですよ。今こうしてね、途上国で貧しい子どもたちの治療してるでしょ。医者もたくさんいるけど、こういうことしている人ってほとんどいないわけですが、きっと途上国の惨状については私だけじゃなくて、ほかの医者もテレビとかで見て知ってると思うんですね。
じゃあ、それに対して行動する人、しない人がいるのはなぜか。それは感度の違いだと思うんです。ただ、それは人間性の上下ではないんです。あくまで個性であって、人は自然と個性が開花する場所へとたどり着くんです。
――貴重な時間をつぎ込んで磨きをかける自分の能力や技術は、そもそもどのようにして見つけるのですか。
世の中にはルールがあります。例えば野球の時は野球、ラグビーの時はラグビーのルールといったように、人はそのルールの中で競わされている。学校でも社会でもそうですよね。他人が決めたルールの中で生きている。
じゃあ、例えば学校の授業というルールでやらされたルートの計算とか、体育で習った柔道の背負い投げとか、社会に出て役に立つんだろうかと。こういうと批判されるかもしれませんが、ほとんどの人にとっては役に立たないんじゃないかと。
本当は、子どもたちが好きなことがあって、それを見つけられて、その力を伸ばすことができたら、この社会にもっと違う可能性が生まれてくるんじゃないかなと思うんです。何か型枠に人をはめ込むことによって、その個人としても社会としても、ものすごい「機会損失」が発生している気がしますね。
いい大学に行くためにとか、いい会社に入るためにとか、いい生活をするためにとか、これは教育の本当の目的ではないと思います。人として成長する、そのための学びこそが教育本来の目的だと思います。
自分が好きなこととか、やりたいことっていうのは結局、自分にしかわらかないのですが、一方で、人は自分のことを本当はよくわからないんです。「あなたはどんな人間ですか」って聞かれても、よう答えられない。自分を知るためには「鏡」が必要なんです。自ら自分のことを語っていたとしても、それは社会が与えたイメージにすぎない。だからこそ、いろんな出来事を通じて、自分の姿を浮かび上がらせるんです。
自分は本当は何が好きで、何をやりたいか、いったいどんな才能があるのかを社会を通じて悟っていく。そうやって自分を発見するために、時間を使うのです。
――日本でも「働き方」に関する議論が高まり、変化の兆しが出てきたように思います。仕事などを今までより早く切り上げて「新しい時間」を過ごそうとする動きについてどう思いますか。
これまで社会というのは、1人の人間には1つの才能しかないとう前提で運営されてきました。例えば大学の医学部を出たら医局に入る。そういった1つの道しか選べなかった。社会がそれ以外を許さなかった。でもね、その前提が間違ってたと思います。
人間にはいくつもの才能があるんですよ。その全てを目覚めさせる時代になったと思います。そうなると当然、副業も当たり前です。
お金をもうける手段と位置づけると安っぽいですが、自分の才能を目覚めさせる、そのための副業なら素晴らしいではないですか。今までやりたかったけどやれなかったことに、どんどん挑戦したらいいと思いますよ。そのための時間をとって、のめり込んでいけばいいと思います。
――時間の話とは少し離れますが、番組の中で、「自分が幸せになりたかったら、ひとを幸せにするしかない」とおっしゃっています。これはどういう意味ですか。
非常に逆説的なんですが、自分が幸せになる方法はたった一つしかなくて、世の中や他人を幸せにすること、これしかないんです。
どういう意味かというと、人はまず、自己の延長上でしか他者を認識できない。例えば、苦しんでいる人がいたとして、その苦しみは自分を基準にしてしか理解できない。他人を大切に思う気持ちってのも同じ。本当に自分のことを大切にしている人しか、他人を大切にできない。
自分を大切にできてるかどうかってのは、まさしく自己イメージが高いということ。そしてそれは、さっきも言ったように、社会が与えたものなわけです。
どうやったら自己イメージを高めることができるか。答えは非常に明快で、世の中に言ってもらうしかない。「あたなはいい人、大切にしています」と。そのためには、世の中を喜ばせて、幸せにすればいい。
例えば幼い頃に虐待を受けた経験がある人は自己イメージが低いって言いますよね。じゃあ、そんな人はずっと幸せになれないのか。そんなことはない。イメージってのは塗り替えることができる。だから傷つけられた人ほど世の中を大切にしなさいって僕は言うんです。
僕が医療活動をあえて「自分のためにやってる」とか、「自分の幸せのためにやってる」って言うのは、そういう意味です。
――時間の使い方や幸福観など、吉岡さんは自分を大切にしていますね。でもご自身の途上国での医療活動は無償です。矛盾する気もします。
逆ですね。僕はね、自分の活動は文字通り、プライスレスだと思ってます。例えば月に100万円もらってやったとしたら、僕の価値ってのは100万円になっちゃう。例えば月に1200万円もらってるお笑い芸人がいるとして、その人と比べたら僕のやってることの価値は12分の1ですか。そんなことはないと思うんです。他人の命を救うことは、お金で換算できないと思いませんか。
だから、僕は絶対に自分がやっていることをお金で計らないでいようと思います。親にとって子どもの価値はプライスレス、それと同じです。時給なんぼで働けば安っぽくなるだけですよ。
――どうやったら吉岡さんのように強く、たくましく生きられるのでしょう。
他人から「引っ張って」ばかりいるのをやめることですね。褒めてもらうとか、見返りを望むとか、そういうのを当て込まない。それは結果論です。自分が納得できる生き方をすることが大切じゃないですか。
むしろ自分から「出す」ことを心がけることでしょう。自分から人に何かをする、自分の持っている力を出す。ここに意識を集中するだけです。時間はかかりますし、失敗してもいいと思いますよ。
吉岡秀人(よしおか・ひでと) 1965年8月、大阪府吹田市生まれ。大分大医学部を卒業後、大阪や神奈川の救急病院で勤務した後、1995年から2年間、ミャンマーで医療活動をした後、帰国し、国内の病院で勤務。2003年にミャンマーでの活動を再開し、04年にはジャパンハート設立。
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