栄養バランスがとれたおいしい弁当を、職場で食べられるサービス「タベナル置き弁」が好評だ。富山の「置き薬」ならぬ「置き弁当」は、働く人の健康を願うサービスで、配達先はいま、170社を超えた。
「タベナル」を運営しているのは、IT企業の「AIVICK」。弁当という、一見縁遠い分野の事業を立ち上げたのは、社長・矢津田智子さんのアイデアだ。
働き過ぎの生活を送った末に病気になった経験を持つ矢津田さん。「がむしゃらに働いて病気になったのは、"罰"だと思った」と振り返る。そこから「置き弁」で働く人の健康を支える事業に行き着くまでの軌跡をきいた。
大学を卒業して、京都や東京のIT企業でプログラマーをしてました。仕事にどっぷりつかっていた当時の私は、健康の"け"の字すら、意識したことがなかった。甘いものが大好きで、ストレスが溜まると、生クリームたっぷりのドーナツを一度に8個食べちゃったこともあります。とにかく、食欲に任せて何でも口にしていました。
周りの同僚もそうでした。お腹が空けばお菓子やカップ麺に手を出す。ずっとパソコンの前に座り続けて運動もしない。
そんな生活を送るうち、病気に見舞われた。
最初、微熱が半年以上続くようになって「風邪ひきやすくなったなぁ」と、感じるぐらいでした。でも薬をもらっては飲みもらっては飲み、で、だましだまし暮らしているうちに、ついに膠原病リウマチを発症してしまいました。
自分の免疫システムが、自分の細胞を攻撃してしまう病気です。とにかく身体が痛かった。注射を打って痛みを和らげて、何とか仕事に復帰しましたが、病気と付き合いながら働くのは辛かった。
他の人から「治らない病気だ」と言われたのも、こたえましたね。「自分の身体を省みず、仕事ばかりしていたから懲らしめられてるんだ」「これは"罰"なんだ」と、落ち込みました。症状がひどくなると入院しなければならないこともあって、周りの人にも謝ったりお願いしてばかり。しんどかったです。
病気になるまでは、なんでも「自分、自分、自分」で、自分のやりたいことだけを考えてきました。でも、病気になって、人に迷惑をかけて、それでも支えてくれる友だちや仲間の温かさに触れて...。それまでの考え方は大きく変わりました。
周りの人のために、世の中のために何かしたい。自分ひとりではなく、仲間と一緒に何かをやり遂げたいーー。
そう思うようになって、自分の会社を立ち上げました。
自分のキャリアを生かした、ソフトウェアの開発請負とエンジニアの派遣をする会社でした。
だが、ほどなく行き詰まった。
経営者になったからといって、満足することはありませんでした。
顧客の要望に応える受注サービスだけではなく、オリジナルの事業で、もっと世の中の役に立ちたいという思いが強かったんです。それで試行錯誤を続けたんですが、鳴かず飛ばずで...全然うまくいきませんでした。
この頃、会社を経営していた親が引退して、形式的に会社を引き継ぐことになりました。
病気を患った経験もあったので、なんとなく「食と健康に関連する事業」とは思ってたんですが、本業のITとかけ離れているのもあって、何をどうすればいいのか全然わからない。「箱」はできたが、さぁどうするか。
救いを求めて、アメリカのシリコンバレーに行きました。武者修行って感じで、英語も話せないのに身ひとつで。色んな投資家の人たちに、自分の中にあるモヤモヤとしたアイデアを恥ずかしげもなくどんどんぶつけて、フィードバックをもらう日々でした。
「食」の分野を切り拓く決め手になったのは、社員の一言だった。
ある日、決定打が訪れました。日本とシリコンバレーを行き来していた頃です。
社員の1人から「矢津田さん、電気ポットが足りないので2台買ってもいいですか」と、言われたんです。
聞くと、みんな毎日カップ麺を食べるのでお湯が足りない、というんです。え、この子たち、毎日カップ麺食べてるの? と驚きました。
気になって、従業員の健康診断を全てチェックしたんです。そうしたら、高血圧や血糖値の異常といった健康に関わる問題を抱えている従業員が多くて、唖然としました。「あかん、この子たち全員、早死にしてしまう」と思ったんです。
それまで「食と健康」というテーマは、「自分ごと」でしかなかったのですが、社員の悲惨な健康状態を知ってから「社会ごと」になりました。
やっぱり私が取り組まないといけないのは「働く人の健康づくり」だ。私は、腹をくくりました。
お弁当づくりの「冒険」がはじまった。
働く人がオフィスで食べやすい食事といえばお弁当です。栄養バランスのとれたお弁当をつくりたくて研究をはじめました。
とはいえ最初は、そもそも食の知識がゼロでした。全国を飛び回り、体当たりで食品や栄養について学びました。
農家や養豚場、漁師さんに電話でアポイントをとってお邪魔して、見学したり、体験したり。一緒に土を作らせてもらって「腕っ節いいねぇ」とスカウトされたこともありましたよ(笑)
お弁当は、本当に難しい。それでもこだわった。
お弁当って何種類もおかずが必要で、バランスや見た目も大事。その割に安く見られてしまうので価格をそこまであげられない。利益率がめちゃくちゃ低いんです。
無添加で一度に何食作れるのか、という課題もありました。
何度も諦めかけて、途中、お惣菜をオフィスに届けるサービスもやりましたけど、やっぱりお弁当にこだわりたかった。
「これさえ食べればOK」というワンパッケージを作って、忙しく働く人が手軽に食べられる健康的な食事を届けたかったんです。
めげそうになりながら試行錯誤を続け、500キロカロリー、塩分2グラム、低塩・低カロリーを徹底した、今の「置き弁」ができあがりました。容器の中の空気を窒素と置きかえる技術を使っているので、保存料や防腐剤なしでも、作ってから冷蔵庫で4日間もつのが特徴です。
急な会議で食べられなくなっても、次の日に食べて欲しいと思っています。
それから、「置き弁」を契約してくれている会社の社員さんには、今の健康意識やライフスタイルやチェックできるアプリも提供しています。知識量が少しでも増えると行動って変わるから。
「置き弁」に取り組んで、改めて見えた、健康との向き合い方は。
やってみてわかったんですけど、健康って「痛み」を伴う行為なんですよ。美味しくない、しんどい、めんどい。まるで「修行」です。
ただでさえ忙しい人が、切羽詰まってもないのに、この「修行」に飛び込むわけないですよね。
アプリの提供やバラエティーに富んだメニューなど、あの手この手で、「置き弁」を食べてもらうための工夫を凝らしていますが、「どうしてもこの人に食べて欲しい」という人が、食べてくれないんです。ライフスタイルを変えるのは、本当に難しい。
一歩を踏み出してもらう前の「壁」は、恐ろしく高いことを痛感しています。この壁をどう越えるか、まだまだ模索中ですが、今は会社経営者への呼びかけにも力を入れています。
食べ方改革は、働き方改革
ちょっと考えてみてほしいんですが、たとえば、職場の昼食で、菓子パンなど手軽な食事で済ませてしまうことはよくありますよね。だけど糖質に偏った食事は、血糖値が急に上がり、午後の生産性の低下につながっていることまではあまり知られていません。
昼食の栄養バランスを見直せば、集中力が高まることにもつながるのです。そしたら夜まで仕事をだらだら続けることもなく、早く帰れるようになるかもしれない。食べ方改革は、働き方改革にもなりえるのです。
だから食べる本人だけでなく、企業の「経営者」にも「社員の健康は会社の大事な経営課題ですよ」と呼びかけています。
私も、社員の健康診断を見て驚愕した社長の1人ですしね(笑)。
健康に、働こう。
私、本当に仕事が好きなんです。楽しいじゃないですか、仕事って。だから、自分みたいに仕事が大好きな人たちに、健康に働いて欲しいって心から思うんです。
お腹が痛かったら働けませんよね。病気になったら、チャンスを逃すかもしれませんよね。
働きたいだけ働けるって、本当はすごく尊いこと。それを知って、働くことや生きることを楽しんで欲しいから。
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「タベナル」事業は、4月20日、アメリカの投資会社から1億円の資金を調達したことを発表した。健康に働く人をサポートするという思いは、単なる慈善事業や社会福祉ではなく、ビジネスとして大きく飛躍していく可能性を秘めている。
オフィスで食べるお弁当をちょっと見直してみるのも、「アタラシイ時間」。
ハフポスト日本版は5月に5周年を迎えました。この5年間で、日本では「働きかた」や「ライフスタイル」の改革が進みました。
人生を豊かにするため、仕事やそのほかの時間をどう使っていくかーー。ハフポスト日本版は「アタラシイ時間」というシリーズでみなさんと一緒に考えていきたいと思います。「 #アタラシイ時間 」でみなさんのアイデアも聞かせてください。