国際結婚 ⇒ 2人目不妊 ⇒ 特別養子縁組。支援の第一人者が見つめた、家族のかたち

「人はどんなふうに育っていくかのほうが、ずっと大事」

「今日、子どもを受け入れるんですよ」

養子縁組仲介や妊娠相談をしている一般社団法人「アクロスジャパン」代表の小川多鶴さんが言った。取材をしていると、1組の夫婦が顔を出したのだ。

夫婦はそろって優しく微笑んだ。

"家族が生まれる瞬間"に立ち合った気がして、なんだか静粛な気持ちになった。

特別養子縁組という家族のかたち、本当に大切なことは何ですか?

第一子出産後、不妊治療を経て、第二子を特別養子縁組した小川さんに、これまでの歩みや活動を聞いた。

Kaori Sasagawa

アメリカの不妊治療、最初から「養子」が選択肢に

――あらためて、小川さんが養子を迎えた経緯を教えてください。

(養子に)子どもを迎えたのは2005年ですけど、2002年から日本に連絡を取って、どこから子どもを迎えることができるのか調べていました。

私はアメリカで不妊治療をしたんですが、そもそも一番最初の治療から、養子縁組という選択肢があるんです。

今は日本でもそういう動きも出てきつつありますが、アメリカでは当時から当たり前でした。ふつうの選択肢のひとつとして、卵子提供や精子提供、代理母出産があって、アダプション(養子)があります。

不妊治療する前から養子を迎えると決める人もいます。その後、実子ができても迎えます。「自分で産む子と養子と、何が違うの?」と。

――小川さんも、当初から養子を考えていました?

夫はアメリカ人で、夫の家族には養子の人がいっぱいいるんです。姪っ子や甥っ子、いとこもそう。連れ子再婚の養子もいて、当たり前だったんですね。

私は日本人なので、夫から「そんなに(不妊治療が)しんどいなら止めて、養子を迎えればいいんじゃないの?」といわれてギョっとしました。でもたしかに、「産んでいるとか産んでいないとか、関係ないな」と思ったんです。

それで2002年から養子を探し始めました。私は日本人ですし、夫も日系なので、日本から迎えたいと思ったんです。

――アメリカにいながらどうやって日本で養子縁組しようとしたのでしょうか。

アメリカから(養子縁組の日本の団体に)全部電話しました。電話してみたら、当時は「外国に住んでいるからダメ」といわれました。

あとは「夫が外国の人はダメ」か「すごく(高額な)お金を払えば、赤ちゃんが迎えられます」か。どっちかでしたね。みんなに「ダメ」と言われて、「なぜこんなに(アメリカと)違うんだろう?」とカルチャーショックでした。

家族のいろんなかたちーー養子もそうですけど、私たちのような国際結婚の夫婦も受け入れてもらえないことに、すごく驚いて、傷つきましたね。

Kaori Sasagawa

――それでも探し続けたんですね。

2005年に、ある団体がサイトを立ち上げていたのでメールをしてみたんです。すぐに返事が来て、「手続きのことはわからないけれど、赤ちゃんを渡すことはできます」と。

当時は日本の制度もわかっていなかったので、「できます」といわれたところに行って、面接に受けました。

3カ月もしないうちに「赤ちゃんが生まれたから迎えに来てください」という連絡がきて、日本に帰って、生後3週間の息子を迎えました。

日本で特別養子縁組して驚いたこと

――急遽アメリカから帰国、新生児の子育て。急展開ですね。

もう大変でしたね。当然ですけど、(特別養子縁組の)手続きにはいろいろあるじゃないですか。でも委託してくれた団体さんは全くそういうことができなかったんです。

第2種(社会福祉事業の申請)もしていなかった。当時は、日本では2種がないと養子縁組のあっせんができないことも知らなくて、子どもを迎えて、後から知ったんです。だから、自分で手続きすることがいっぱいありました。

(アメリカから日本に)移住する査証も取らなきゃいけない。養子縁組の手続きも、全部自分でいろんな人に聞いてまわって、何ヵ月もかけてやりました。

そうしたらクチコミで「あなたどうやって日本から赤ちゃんを迎えたんですか?」という相談がいっぱい来たんです。海外にいる日本人や日本に住んでいる方から、質問が来るようになりました。

――養子を迎えたい人が、他にもたくさんいたと。

最初は自分のやった手続きをシェアしていたんですけれど、だんだんひとりでボランティアのように対応するのは難しくなって。

そこでアメリカの団体に「私はもうできないからやってください」とお願いしたんです。その団体からは「わかった」と返事が来ました。でも「私たちは、日本のことは責任持てないから、あなた手伝って」と返事がきたんです。

息子が1歳のとき、2006年から3年ほどコーディネーターとして日米を行き来するようになって、2009年に日本に帰国しました。

――コーディネーターをしながら、日本の養子縁組について感じたことは?

親と一緒に査証の手続きに行ったり、レポートを作成して英訳したり、査証を受理して帰ったりするのを手伝いました。

するとみんな、(自分で子どもを育てられない事情を抱えた、生みの)お母さんが(産後)どこに行くか知らない。養親さんをサポートしていくためにレポートを作ろうとして、「これまでの状況を教えてください」と聞くと、「そんな状況でいいの?」みたいな場合が多かったんですね。ソーシャルワーク(社会福祉)されていないことがわかってきたんです。

アメリカの養子縁組の歴史は、日本より20年ほど長くて、ソーシャルワークのアセスメント(評価)はしっかりしているんですよ。

例えば、(生みの)お母さんのカウンセリングをして署名もらわなきゃいけないし、書式もたくさんあります。でも日本には全くなかったんですよね。司法も、医療も福祉も、オーガナイズされていない状況もわかってきました。

ーー日本で養子を迎えた当事者として、感じたことはありましたか?

当時は、社会のありかたにも疑問に思うことがありました。

息子を迎えて何カ月か経っていても、養子だと小児科医で見てもらえなかった。

息子の母子手帳に違う名字が書いてあるのを見て「これは誰?」となって。「養子で迎えたんですよ」と言うと、もうコソコソと「すいません、うちでは診れません」と。大きな病院でも同じことを言われました。

ただ、風邪ひいただけだったんですけれど、「なんじゃこりゃ」と(笑)。

親戚の子を預かるとか、おばあちゃんのところに一時的に住むとか、里帰りで帰ってきているとか、いろんな事情がありますよね。事実婚で子どもを産む人も名字が違ったりします。

(診察は)子どもの権利のはずなのに、個々の勝手な見解で「できる・できない」の判断がいっぱいあると思いました。

2009年にある家族のヘルプで日本に帰ってきて、そのときに「一度帰って、日本でできることがあるんじゃないか」と思いました。

Kaori Sasagawa

子どもを迎えたい人が大切にするべき視点

――長年、日本で実親や養親の支援をされてきました。特別養子縁組で子どもを迎えたいと思った人は、どんな視点が大事だと思いますか?

私が思うのは、自分らしくいることのできる人。

自分がどんな家族を作りたいか、というビジョンが持てない人や、ただ子どもがほしいだけの人だと、やっぱり親にはなれないです。実の親子でも同じです。

子どもが反抗期になったり、引きこもりになったり、発達障害が起きたり。そういう可能性を本当にわかっていますか? という話なんですけれど、実子と一緒でわからないんですよ。

親にとって一番大事なのは、子どもが社会的に否定されようが、近所の人に、「あの子は養子」といわれようが、親として守ることができるかどうか。子どもが反抗したときでもちゃんと受け止めてあげられるかどうか。

養子のせいにしないで、親も子どももちゃんと生きていけるかどうか。自分らしく強くいられる人というのが、一番大事だと思います。

Miho Aikawa

――どんな家族を作りたいか、自分で考えること。

問題があるところに発生した養子縁組です。幸せなところから子どもは来ませんからね。

そういうマイナスの要素から来た子どもを、いかに自分たちがポジティブに変えられるか。これは親たちではなくて、ソーシャルワークとして私たちが頑張ることです。

例えお金を持っていても、それだけで結婚しようと思わないですよね。親子も同じ。子どもも、どこでも行っていいわけじゃないんです。

――最初は夫婦ふたりの意識が揃っていないこともありますよね。

面談の最初のときに大体わかります。片方がやる気ないとかね(笑)。そのときには遠慮なくお声がけします。別にそんなに急がなくてもいいから。それよりも大事なことは、夫婦の思いを揃えなきゃいけないということも話します。

お宅に行った時点でわかることもありますし、個別の面談でわかることもあります。やっぱり嫌な人は「私はちょっとあまり、どちらかという夫/妻のほうが」とかおっしゃいますからね。

うちはフルタイムの共働きでも全然いいんです。

ただ、子どもを迎えいれるということは、自分で産んでも同じですけれど、新生児がいたらすぐ職場に戻れません。育休取れなかったら、自分でどうするか考えてもらわないと、子どもを委託することはできません。

それでも仕事が大事というときは、まだ親になるタイミングじゃないのかもわかりません。それは自分で決めていただきます。そのプランを提出してもらってから委託になります。

――実際に、養子を迎えたい人は、アクロスジャパンではどういったプロセスを経ているのでしょか。

最初は研修会に来ていただいて基礎的なお話をさせていただきます。法的な流れや、「いろいろ複雑なご家庭がいます」「決して幸せなところから来ませんよ」ということもお伝えします。

その後、面談させていただいて、安定した収入があるのか、書面のスクリーニングもさせていただきます。

家庭調査にも行きます。家の棚も全部開けます。児童相談所はしないと思いますけれど、アメリカでは当たり前のことなので。お家でもご夫婦の聞き取りはします。お家にいらっしゃるときと面接に来るときは違いますし、いろんなことがわかります。

うちは助産師も一緒に行って、例えば、赤ちゃんを寝かせるところはどこなのかとか、どういった準備をするのかも聞きますね。メジャーで測って「ベビーベッドは、ここ通れるの?」とか。クーラーの位置の指導もしますね。

――現実的なアドバイスですね。

迎える前から準備をしていくことで、彼らは親になる一歩を、何歩か先まで進んでいける。

養子縁組は「お産しないから、いきなり親になっちゃう」と言われますが、そんなことはないと思います。アメリカでは、養子縁組は「ペーパー・プレグナンシー」(紙の妊娠)と呼ぶんです。

紙を重ねていくのは、妊娠しているのと同じような期間だから、ただ待っているのではなくて、どうすれば親になったときに子どもを迎えて楽しめるかを準備しましょうと。

Nadezhda1906 via Getty Images

――特別養子縁組の橋渡し、重要な仕事ですね。

だから私たちが確固たるソーシャルワークで、実親さんのカウンセリングをして、この人はこういう経緯があったから、子どもは養子に行かなきゃいけない。

そのときに、一番この子をポジティブに受け止めて、理解して育てていけるであろう親を考える。見極める力が支援する側にないと、いい縁組にはならないと思います。

どんなふうに育っていくかが大事

――小川さんの話に戻りますが、いまお子さんはいくつですか?

上の子は30歳、下の子は12歳です。

——どんな家族ですか?

普通です。違うわけないですよね。いちいちご飯よそうときに、「はい養子、はい実子」とやらない。一緒なので (笑)。

息子は養子ということは小さいときから知っています。

小さいときは、「お母さんはなんで僕を育てることができなかったの?」とか、そういうことはありましたけれど。今はちょっと変わって「産んでくれたお母さんのことはわかるけれど、お父さんってどうなんよ、一体」とか言ってますね(笑)。

養子とか実子とか関係なく、人はどんなふうに育っていくかのほうが、ずっと大事。養子という出自や、その事実を伝える「真実告知」にしても、どう受け止めるのかは本人次第なんです。

(後編は近日中に掲載予定です)

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