約1800年前に亡くなった三国志の英雄「曹操」の遺体が確認された、世界中のメディアが報じた。しかし、発表元とされた中国の考古学研究所が3月25日、「曹操の遺体は2009年の発掘で見つかりましたが、これがなんで新発見なんですか?」と当惑した様子で声明を出していたことが分かった。
■中国メディアの「スクープ」が世界中に拡散
河南省・安陽市で2009年に発見された「曹操の墓」とされる遺跡で見つかった男性の遺体について、河南省文物考古研究院が「曹操であることを基本的に確認した」と報じた。
これを引用する形で、台湾や香港のメディアが「曹操の遺体確認」と積極的に報道した。さらにマレーシアの大手紙「The Star」や、イギリスのタブロイド紙「EXPRESS」など世界各国のメディアが「曹操の遺体確認」と報じて話題になり、世界中に拡散した。
■研究所が声明「私は戸惑っています」
ところが、いろいろ調べてみると、意外なことが分かった。紅星新聞が発表元として報じていた河南省文物考古研究院の公式サイトをいくら調べても、それらしい発表がないのだ。2月24日の調査報告書にも「曹操の遺体を確認した」とは書かれていない。
それどころか、同研究院は公式ウェイボー(中国版のTwitter)で25日、以下のように訴えていた。
「曹操の遺体確認というニュースが大手メディアにあふれて、検索されまくっていますが、私は戸惑っています。曹操の遺体は2009年の発掘で見つかりましたが、これがなんで新発見なんですか? 視点が偏ったメディアの皆さんに、私は周知したいです」
■60歳の男性と見られる頭蓋骨は見つかったけど...
それによると「曹操の墓」とされる遺跡からは、約60歳の男性とみられる頭蓋骨などが見つかっている。曹操は65歳で死んだと言われており、年齢は近いが、他の直接的な証拠はないという。
自由時報の報道を引こう。
「頭蓋骨は約60歳の男性だと判断された。しかし、曹操自身であることを証明する他の直接の証拠はありません。考古学者のチームが、曹操の墓であると判断したことが主な理由で、この男性は曹操と考えられていました」
発掘チームが2009年に「曹操の墓」と判断した根拠は、矛や枕などの副葬品に「魏武王」の銘文があったことだった。
結局のところ、発掘当時と比べて決定的な証拠が見つかったわけではなかった。「乱世の奸雄」と呼ばれるも、絶大な人気を誇る曹操のミステリーは、未だ謎のままだ。