平昌オリンピックのフィギュアスケート女子シングルで銀メダルに輝いたロシアのエフゲニア ・メドベージェワ選手(18)がエキシビションで演技を披露した際、ロシア人の間では伝説として語り継がれているソ連時代のロック歌手の曲を使った。
歌手の名前はビクトル・ツォイ。哀愁漂う一方、何者にも屈しない力強さを感じさせる曲調だ。彼女がそれまで使ってきた「美少女戦士セーラームーン」などのイメージとは正反対だ。メドーベジェワ選手はなぜ彼の曲を選んだのか。ツォイの人生を紹介しながらその理由に迫る。
「まだ書かれていない歌がどれだけあるのか、教えてくれ、カッコウよ。歌ってくれ」。ギターの切ないメロディーとともに、そんな意味を表すロシア語の歌詞が静寂の会場に響く。
2月25日。平昌オリンピック最終日にあったフィギュアスケートのエキシビションで、メドベージェワ選手が披露した新しい演目だ。
メドベージェワ選手といえば、日本のアニメ好きで知られ、エキシビションでも「美少女戦士セーラームーン」の衣装をまとってはつらつと演技する姿が印象的だ。
だが、この日の彼女は全身黒づくめの衣装で、曲調もこれまでとは正反対だった。
「私の今の心境を表現している」。メドベージェワ選手は曲についてロシアフィギュアスケート連盟のインタビューでそう答えた。
曲の名前は「カッコウ」。歌詞はおおむね次のような内容だ。
まだ書かれていない歌がどれだけあるのか、教えてくれ、カッコウよ。歌ってくれ
私が暮らすまちや村では石が横たわり、星で照らされているかって?
私の太陽よ、私の方を向いてくれ
私の手のひらは硬い拳へと変わる
もしも火薬があるなら撃ってくれ
ほら、そうやって
誰が孤独なやつのあとをついて行くというのか
力強く、勇敢なものたちが戦場で死んでいった
明るい記憶を留めた人はほとんどいない
屈強な腕っ節と冷静な頭脳を保ちながら、私は戦列に向かう
私の太陽よ、私の方を向くがいい
私の手のひらは硬い拳へと変わる
もしも火薬があれば撃ってくれ
ほら、そうやって
そして自由な意志というのはいったいどこにあるというのか
今だれといるのか
穏やかな夜明けとデートをしているのか。答えてくれ
君といれば素晴らしい。君がいなければだめだ
鞭の下の頭と我慢強い肩、鞭の下の
私の太陽よ、私の方を向くがいい
私の手のひらは硬い拳へと変わる
もしも火薬があれば撃ってくれ
ほら、そうやって
私の太陽よ、私の方を向くがいい
私の手のひらは硬い拳へと変わる
もしも火薬があれば撃ってくれ
ほら、そうやって
歌詞は哲学的で難解だが、困難が立ちはだかろうともあきらめずに立ち向かう人の姿を描いているように解釈できる。
メドベージェワ選手は2017年10月に右足を骨折。怪我の不安を抱えながらも平昌オリンピックに出場し、銀メダルに輝いた。そうした苦難の道を歩んできた自身をこの曲と重ね合わせた可能性がある。
ツォイはソ連時代の伝説的なロック歌手だ。朝鮮系の父とロシア系の母との間に生まれたツォイは美術学校を卒業後、「キノー(「映画」の意)」という音楽グループを結成する。
共産党による一党独裁だった当時、歌などの芸術表現が制限されていた。ツォイらのバンドも「非公認」で、アンダーグラウンドでの活動を余儀なくされたが、その人気ぶりはすさまじかった。
ツォイらは、ソ連のアフガニスタン出兵などの政策を問う歌などを多く発表し、庶民に強烈なメッセージを残した。
ツォイは1990年、交通事故で亡くなる。28歳だった。その直前につくったのが「カッコウ」だった。
早すぎる英雄の死を、当時のソ連の人たちは嘆き悲しんだ。そして今もロシア人の心の中でツォイは生き続けている。メドベージェワ選手がカッコウの曲にのって滑走した時、彼女だけでなく、多くのロシア人たちもまた、ツォイの記憶や熱狂したかつての自分を重ねたのかもしれない。