「幸せな人生」って、なんだろう。
いい会社に入って、愛する人と出会い、結婚し、子どもを産み、定年まで勤め、退職金をもらって、老後はのんびり――。そんな「古き良き昭和」の人生は、もはや過去のものとなった。
どんな大企業だって潰れるかもしれない。退職金だって無いかもしれない。生涯未婚率は過去最高となり、「ひとりで生きる」という選択も当たり前になってきた。
これからの時代、私たちはどう生きればよいか。小説家の五木寛之さんは「根無し草のように、孤独であれ」と語る。そして「孤独死は悪いことじゃない」と説く。
不安な時代を生き抜くヒントを、五木さんに聞いた。
■「君たちはどう生きるか」ではなく「我々はどう生きるか」を考えよう。
――もうすぐ「平成」が終わり、新たな節目を迎えようとしています。人々のライフスタイルは大きく変わりました。
最近、80年前に書かれた『君たちはどう生きるか』という本が再び読まれていますね。作者は吉野源三郎さん。岩波書店の雑誌『世界』の初代編集長で、昭和の日本を代表する知識人でした。
この本で吉野さんは、自分たち大人の生き方への反省を込めて、若い人々、つまり「君たち」へのメッセージを記しました。
一方で、僕は今「そんなこと言ってるより、大人たちが"俺たちはどう生きるか"を考えるほうが大事では」と思うんです。「君たち」というより「我々はどう生きるか」です。
――今の時代、「大人」たちの余裕がなくなってきている。
少し昔の大人たちは、ある程度の年齢になると「隠居」していました。
「俺はリタイアするけども、君たちはちゃんと生きてくれよ」と、若い人たちに励ましの言葉をかけていればよかった。定年退職後も、年金など社会保障が充実していました。
でも、時代は変わった。80歳でも90歳でも、生涯現役として生きなければいけない時代になってしまった。
国家や社会、大きな体制に依存して自分を守っていく道が閉ざされてきた。そうなると「自分はどう生きるか」を考えなくてはいけません。
一人ひとりが、自由な「デラシネ」として、自分の健康もひっくるめて、自分で生き方をケアする道を探してはどうかと考えています。
――「デラシネ」とは、どんな意味でしょうか。
「デラシネ」とはフランス語で「漂流者、根無し草」という意味ですが、「体制の保護をあてにできない人間」とも言えます。
今のところ、一応は国家、社会保障といった仕組みが機能しています。私たちが今でも「老後の生き方」なんて考えられるのは、社会保障への信頼が残っているからです。
でも、いまの世界を見ると6000万人以上の難民がいる。それはとりもなおさず、我々の未来の生き方を示唆してるのではと思うのです。
――移民・難民の増加が、私たちの未来を示唆する。どういうことでしょうか?
21世紀というのは、デラシネ的な体制の保護をあてにできない民衆の数が激増する。一方で、それを拒むナショナリズムがまた勃興し、やがて閉鎖的な国家主義のようなものが出てくると思います。
地球上の人口も、2055年には100億人になると言われている。この激増ぶりは、人間が歴史上体験したことがないぐらいの規模でしょう。
混乱の時代だからこそ、せめて自分の体は自分でちゃんと面倒を見ようという姿勢が大事です。
世界はどんどんナショナリズムの方向へ動いている。移民や難民が激増してる一方で、国民国家は移民や難民を拒否しています。
――日本も、地政学的には移民に消極的では?
長く歴史が続いてきたから、単一民族的な意識が強いのかもしれません。でも、そうした意識も変わりつつあるように思います。
タレントさんでも、カタカナの名前の方を見かける機会が増えていますよね。サッカーやラグビー、野球、陸上などスポーツの世界でも。
昔は「ハーフ」という言葉が使われましたが、今は「ダブル」と言います。両方のアイデンティティーを持っているという意味ですね。
日本人の単一民族意識っていうのは「こうありたい」という幻想です。様々な場面で活躍し、自分たちが憧れ、愛する人たちが、歴史的に見ても外国にルーツを持つ人達が少なくありません。
■"歴史の闇"に飲まれた人々を振り返り、自分の生き方を考える。
――大きなものに頼らずに生きていける...五木さんが、そんな「デラシネ」になろうと思ったきっかけは。
やはり、戦後の体験が1番大きいですね。僕は12歳のときに朝鮮半島で終戦を迎えて「棄民(政府に切り捨てられた民)」となり、それが思想の根っこになりました。
僕は平壌にいましたが、敗戦前後は旧満州から森を越え、白頭山を越え、避難民が続々と流れ込んできた。「平壌まで行けば列車が出てる」というデマが飛び、みんなが平壌を目指して流れ込んできたんです。
僕ら家族は大混乱の平壌を離れ、38度線を徒歩で超え開城(ケソン)につきました。そこでは、いまでいう難民キャンプに収容された。さらに仁川へ移動し、アメリカ軍の船で日本に戻ったころには1年以上かかりました。
――あの時代は、日本人が「難民」になった時代かもしれませんね。
世界には、そうした「歴史」に全く取り上げられず、無視されてきた無数の人々がいます。
中公新書の『応仁の乱』がベストセラーになりましたが、いま日本は歴史ブームですね。でも、こういう時に話題になる「歴史」は、その多くが「体制の中の歴史」です。
世界的なシャンソン歌手のシャルル・アズナブールが、オスマン帝国(現トルコ)によるアルメニア人の「虐殺」問題を提起し、話題になったことがありました。
ナチス=ドイツによるアウシュビッツでの大量虐殺と規模はそれほど変わらない。にも関わらず、歴史上からほとんどないことのようになっている、と。
解説;オスマン帝国とアルメニア人の「虐殺」
アジアとヨーロッパの間に位置するアルメニアは、4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を国教化したことで知られる。長年、近隣の大国からの侵入、支配を受けたため、他国に居住する移民も多い。
第1次世界大戦中の1915年、オスマン帝国は領内に多数居住していたアルメニア人を「敵国ロシアに内通している」という理由で強制移住させたり、殺害するなどした。
犠牲者数についてアルメニア政府は「150万人」と主張。一方、トルコ側は「30万〜50万人程度」「戦時下の悲劇だ」とし、組織的な虐殺はなかったと主張している。
歴史の闇の中に飲み込まれた人々を振り返ることは、これからの不安定な時代を生きる上で大切です。
国や社会に依存して生きていけるかと考えたとき、依存できる間はするけども、自分で自分のケアをするという考えは持つべきです。
――とはいえ、歴史のダイナミズムの中では、ひとりの人間はあまりに無力です。
それは経済危機でも同じです。ソ連が崩壊し、ロシアに移り変わる頃、僕はモスクワに滞在したことがありました。
そこで見たのは、高齢者がなす術もない有様で放り出され、国営市場の冷蔵庫は空っぽで何もない。年金は止まっている。
そんな中でも機能していたのは、ブラックマーケット(闇市)でした。人々は物々交換で、その日の糧を支えていた。
そういう現実を見ると、なにも混乱は戦後だけではない。「こういうことは、いつだってあり得る」と思いました。戦後に少年期を経た人間にとってはトラウマです。
――戦後73年。日本では社会体制を変えるほどの危機はありませんでした。今の安定した状態がずっと続いてほしい。そんな感覚が、昭和の頃からあるような気がします。
たしかに、そうですね。敗戦前より前の大きな動きとなると「明治維新」でしょうか。今年は「明治150年」と言われています。
「明治」は本当に大きな変動期でした。幕府に仕えた武士階級の人々が禄を失い、戊辰戦争で「賊軍」にされた。階級制度が完全に壊れ、大きな地殻変動があった。
あれも一種の「戦後」。もっと言えば「革命」だったわけです。
これからの時代は、自分たちがそういう変革を起こす動きがあるかどうか。それよりは、外圧や事故、災害などで、同じような「変革」があるかもしれないとは考えます。
■「和して同ぜず」+「楕円の思想」がヒントになる。
――五木さんはよく「人は孤独であれ」という話をされています。どういうことでしょうか。
誤解されている方が多いのですが、「孤独」と「孤立」は違うんです。
「孤独」は「自主独立」すること。つまり「集団内孤独」です。昔の言葉で言うなら「和して同ぜず」ですね。
サークルに入るなり、ボランティアをやってみるなり、スポーツクラブに入るなり、ツアー旅行に行くなり。「みんな」と一緒に何かをやっていきながらも、自分は失わないということです。
例えば合唱(コーラス)だと、各パートはしっかり自分のパート守りつつ、他のパートとともにハーモニーをつくっていく。みんなは同じように歌ったら、合唱ではなく斉唱になってしまう。
だから、2人でいても「孤独」ということもあり得ます。仲のいいパートナーであっても、それぞれが相手の中に自分を溶け込ませるのではなく、違う人格同士が互いを尊重して和する。これが僕の言う「孤独論」です。
みんなと一緒にやっていくけども、同じにはならない。ソプラノがいればバリトンもいて、各々の個性や思想を活かしていくのが大事です。
――ただ、日本社会には「みんなといっしょ」を良しとする空気がありませんか。
浄土真宗には「真俗二諦(しんぞくにたい)」という考え方があります。信仰は大事だけれど、同じくらい世間も大事だという考え方です。
真宗の中興の祖である蓮如は「額に王法、心に仏法」という言い方をしています。世間の風に流されて自分を見失ってはいけないけれども、逆に無理に我を通しすぎても結局うまくいきません。
私自身、こうした二つの中心をスイングする感覚が大事だと思っています。戦後、思想家の花田清輝も「楕円の思想」というものを唱えていました。
真円は中心が一つですが、楕円には二つの中心点がある。ラグビーボールのように力点が移動しながら、どちらに転がるか分からない。
「和する」と「自分を守る」という相反する2つの中心。時代の転換期には、その両方のダイナミズムの中で生きていくのが良い。
「楕円の思想」であれば偏ることなく、複眼的な目、相対的な考え方を養えます。
――一つの考え方に固執しない方がいいと。
「思想」というと、永遠普遍の真理みたいなものを持つべきだと思いがちです。
法然は「時期相応」という言葉を残しています。その時代とその機会にふさわしい思想がある、と。
「念仏を唱えれば救われる」と、法然は唱えました。ただ、これは平安末期の時代だからこその「時期相応だ」とも言っています。
天変地異が続き、都が荒れ果て、戦乱が続き、この時代はまさに「末法の世」だった。
人々は仏道修行も、落ち着いて勉強もできない。そんな時代だからこそ「せめて南無阿弥陀仏と唱えれば...」という教えです。
いかに思想が優れていても「時機相応」でなければいけない。どんな教えも永遠ではないのです。
――「みんな」と「自分」という2つの中心を持ち、時と場合に応じて考え方を変える。
たとえば、20代から30代、40代、50代、60代、70代、80代では思想も生き方も違いますよね。
よく記者から「親鸞の思想って、どういうものですか」と聞かれるんですが、そんな時は「それは親鸞が何歳のときの思想ですか?」と聞き返します。
比叡山にいた頃と、29歳で山を下りたとき、流罪になって越後に行った時、関東に行ったとき、京に戻ったとき。90歳ごろまで生きるわけですから、思想も全然違ってくるんです。
なので、「何歳の頃の親鸞の思想」っていわれないと、説明しようがないんですね。どんどん発展するとは限らないけど、流動的に動いていく。
――いまの瞬間、その時々でどう生きるか。それが大事だと。
明治維新から150年。日本人は、なかなか近代的自我の確立ができていない。でも、ポストモダンの時代だと、「近代的自我」が果たして良いことなのかどうか。それも「時期相応」。時代によって変わります。
どんな思想も、昔と似た時代には役に立つことはある。ただ、全てのものは一回性のものです。
例えば『万葉集』がそうです。大きな声を出して、その和歌が歌われた瞬間。そのときに万葉集は生きていた。我々は今、残されたものをテキストとして読むだけです。
死を悼む和歌「挽歌」もそうです。例えば、天皇が亡くなると、葬列の先頭に詩人と警官が立ち、棺を運ぶ。大きな声で「帝がお亡くなりになった」という趣旨の歌を髪を振り乱し、叫ぶわけです。そういう中でこその「挽歌」です。
――詩や歌も、音になった瞬間にこそ、言葉の力があった。
中世ヨーロッパの神学者のエピソードに、自分の書斎に勝手に入った甥っ子が、悪魔のように声を出さず、蔵書を読んでいて驚いたという話があります。
元来、本は声に出して読むものだった。『聖書』や孔子の『論語』だって、『歎異抄』だって「先生がこう仰ってました」って話ですから。『平家物語』だって琵琶法師が歌ってたわけです。
本来は、文字より言葉が先にある。文字は、音を記録するための便宜上の機会です。
あくまで活字は記録手段として生まれた。「書く」という作業と「語る」という作業でいえば、僕は「語る」という作業のほうが本来的に大事だと思ってるんです。
ですから、僕は講演やインタビューを「作家の余技」とかは全く思わない。自分の表現の場としての大事の場だと思います。
■よき人生を送るために「自分なりの価値観」を持とう。
――高齢化が進み、長生きができる時代にはなりました。一方で、生涯未婚率が過去最高になり、2035年には人口の半分が独身になると言われています。
教育水準が上がってくると、結婚率は下がります。個の独立・確立というか、自分なりの生活をしたいという思いが実現できるようになった。
――結婚しないことも人生の選択肢の1つになりつつある。
戦前のような観念的な偏見は未だにあります。「いい年して嫁にも行かない娘がいると恥ずかしい」みたいな親がいっぱいいますから。
それでも、古い考えは音を立てて崩れつつあります。「結婚しない選択」も当然ありますよ。結婚をしないで子どもを産んでもいい。
少子化問題を言う人もいますが、そもそも子どもを産んで、育てやすい環境ではない。保育園の待機児童問題など、社会制度の問題があります。
アメリカやフランスでは、無痛分娩が普通のお産の半数以上になっているそうですね。
かつては「出産の苦しみを乗り越えるからこそ、母は偉大」と説かれていました。「痛みをこらえて、あんたを産んだんだ」「お腹を痛めて産んだ子」という表現もあります。
でも、苦痛が代償になって愛情が生まれるという発想は、歪んでいるようにも感じられます。
――有意義な人生を送るために、ひとりの人間として「個」を確立するために、どうすれば良いでしょうか。
それが、なかなか難しい(笑)。
「自分にとって、よい生き方」は、あくまで「自分にとって」です。人それぞれ違いますから。「自分なりの価値観」を持つことが一番大事かもしれません。
わかりやすいのが、夜寝る時の姿勢です。
――え、寝る姿勢ですか?
「横向きの横臥がおすすめ」と伝えるテレビがあれば、「上を向いて真っ直ぐ、大の字で寝るべきだ」と専門医は言う。「いやいや、うつ伏せで寝るのが良い」という医師もいる。
それぞれに権威のある人が意見を述べ、大きなメディアが相反する情報を堂々と流している。私たちはどう受け取っていいのやら、何を選択すればいいのか混乱してしまう。
つまり、良い生き方は「情報のリテラシー」と「自分なりの価値観」で選んでいくしかないわけです。最終的には、自分の価値観や直感が大事になってくるのだろうと思います。
■「孤独死は恥ずかしいことでも、嫌なことでもない」
――僕も「ひとり」で過ごすことが好きですが、パートナーがいるわけではない。最終的には孤独のうちに死ぬのかなと、ぼんやり考えることがあります。
孤独死は恥ずかしいことでも、嫌なことでもないと思うんです。
その代わり、周りに迷惑かけないような準備が必要です。孤独死の事前教育とでもいうのでしょうか。ひとりで生きるには、全ての責任が自分に来るわけですね。しかるべき資金も残しておかなきゃいけない。
例えば地方では、新聞配達の人が、ポストに新聞が溜まっているのを発見したら、関係各所に連絡するようなシステムがあったりします。
「飛ぶ鳥、あとを濁さず」「去るもの、あとを汚さず」の心構え。ひとりで生きて、ひとりで死ぬシステム、いうなれば「孤独死の文化」がまだできていない。
そういう常識やカルチャーができれば、周りも穏やかに(孤独死を)認めてくれる流れになると思います。
――五木さんは「孤独死をひとつのスタイルに磨き上げたい」と書かれていますね。
僕は昔、「行き倒れの思想」というのを説きました。できるだけ野生の動物のように生きて、群れから離れて、姿を見せないかたちで亡くなるのが望ましい...という考え方です。
これからの時代は、「死に方」というか「死ぬ作法」が大事だと思います。
かつて「サンカ」と呼ばれた(日本の)移動民の人たちは、集団移動の際について行けなくなったら、置いていってもらって、その地で死ぬことにしていたようです。
人が産まれるときは、病院とか、助産師さんの手伝いが必要です。それなら、人が死を迎えるときの準備をする仕事も必要かもしれない。
精神的な意味でのケアをする牧師さんやお坊さんのような人達だけではなく、フィジカルな面で面倒を見てくださる方がいるとありがたい。
「大丈夫ですよ、安心してください。天国に行けますから」といわれるよりも...、まず「いま痛いのをなんとかしてください」って思うものです、人間は。
■「死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり」
――五木さんは、体の不調の「自覚症状がある」と書かれています。死を意識する瞬間はありますか。
それは10代の頃からありましたね。戦争中を生きていますから。
少年航空兵などでできるだけ早く軍に入って、特攻隊のように10代のうちに国のために死にたいと、心からそう思っていました。
毎晩、寝る前には、自分が飛行機の操縦桿を握って敵の空母に突っ込むところを考えて、「操縦桿を捻って逃げないか」「ひょっとして真っ直ぐ突っ込めるか」って気にかかってました。
「死」に関しては真剣に、自分を犠牲にして国に奉じると思い込んでいた。だからこそ、戦後の反動が大きかった。
――ひるがえって、今は「死」を意識しますか。
「死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり」。人間、何がどうなるかは本当に分かりません。
突然死する人もいるし、徐々に終わっていく人もいる。だから「働ける間は働こう」って思っています。
はなから「孤独死を目指そう」とかは、そんなに考えてはいないですけどね。でも、できるだけ周りに世話をかけずに亡くなりたいとは思います。
孤独死は悪いことじゃないし、理想ではある。古代インドでは「遊行期」といって、人生の終わりを悟る年齢になったら家族や村の人とも別れ、ガンジス河のほとりに向けて旅立っていました。
そういうヨボヨボのおじいさんがやってくると、よその村の人がお茶を出したり、木陰に休ませてあげたりしていたそうです。
日本で言えば、四国の「お遍路さん」にお茶を出す。お遍路も、本当は死への旅立ちなんですよね。死に装束で歩いて旅をするわけです。
――そもそも「生きる」ということは、死に向かって歩いているということ。
僕は「流されゆく日々」というエッセイを(日刊ゲンダイで)連載していますが、これは石川達三さんが雑誌『新潮』で連載していた「流れゆく日々」から名前をとりました。
時代は流れていく。流行もどんどん変わっていく。でも、「自分はしっかり足を踏ん張って、不動の位置を保って、変わらないぞ」と。「流れゆく日々」は、そういう決意で書かれたものだった。
でも、僕は「流れて行くんだったら、塵や芥と一緒に自分も海に向かって流れて行こう」と思った。それで「流されゆく日々」というエッセイをはじめました。
どっちがいいとか、悪いとかっていうことじゃない。それはそれで、生き方として僕は尊敬しています。
――自分の生き方を確立しつつ、他者の生き方を尊重することが大事。
長野の善光寺に行ったとき、1つの和歌を知りました。
「五十鈴川 清き流れはあらばあれ 我は濁れる水に宿らん」
これは「清き流れ」を否定してるわけじゃない。でも、「私は濁れる水にあって、ボウフラのように生きるぞ」という、仏の強い決意がそこに出ている。
「清き流れ」を尊敬した上で、「濁れる水」の生き方を確立する。相手を認めるって大事なことなんです。
五木寛之さんの新著『デラシネの時代』はKADOKAWAから発売中。
五木寛之:作家。1932年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮半島にわたり、47年に引き揚げる。52年早稲田大学第一文学部露文科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年に『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年に『青春の門』(筑豊編ほか)で吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞。10年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。
ハフポスト日本版は、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。
学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。
企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。
読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
『だからひとりが好き』Facebookページも開設しました。最新記事や動画をお知らせします。
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