日本を代表する漫画家・浦沢直樹氏の展覧会「L'Art de NAOKI URASAWA」が現在、フランス・パリ市庁舎で開催されている。
充実の展示内容は生原稿やカラー原画、ラフやネームなどの制作物に加え、幼少期のお絵かきや大学時代の教授の似顔絵など400点超に及ぶ。アングレーム国際漫画祭での先行展示では、4日間の開催期間で2万人が訪れた。
「面白いものは世界共通だ」と語る浦沢氏本人のコメントとともに、同展覧会の模様をレポートする。インタビューの最後には、電子化が進む日本の漫画界についての考えも聞いた。
今回の展覧会を企画したのは、アングレーム国際漫画祭のアートディレクター、ステファン・ボージャン氏。自身が熱心な「漫画読み」で、幅広い知見の持ち主だ。浦沢氏を評して、「フランス漫画界に多大な影響を与えた大作家」と断言する。
「時代にリンクするダイナミックな物語が浦沢作品の魅力。キャラの細やかな表情描写や濃密なコマ運びで人間の不安を巧みに表現し、読者に『健全なフラストレーション』を与えます。フランスでは谷口ジロー、大友克洋と並んでリスペクトされていますね」
すでにフランスで多くのファンを持つ浦沢作品だが、パリ市庁舎を会場にした今回の展覧会では、普段漫画を読まない層も意識した。
「その作品世界にアクセスしやすいよう、最新作から年代を遡る構成にしました。浦沢ワールドをよく知る熱狂的なファンにも楽しんでもらうため、フランス未発売の『YAWARA!』を含め、氏のほぼ全作品を網羅しています。この展覧会をきっかけに、フランスでの未発売作品も翻訳が進むことを願っているんです」
展示は現在「ビッグコミックオリジナル」連載中の『夢印』(協力:フジオプロ)からスタート。ルーブル美術館とのコラボレーション作品で、展示の生原稿にはミッテラン元大統領も登場する。漫画に親しみのない一般来場者へのフックとしてぴったりだ。
フランスでも評価の高い『MONSTER』の展示では、主人公が宿敵と対峙するクライマックス場面の原稿とネームを同時公開。ネームは簡潔な線ながら、瞼に盛り上がる涙やゆがんだ鼻梁など表情のディテールが生き生きと描写され、それだけで物語を伝える力に満ちている。
この展示を見ながら浦沢氏は、「キャラの表情では、ネームで正しい答えが出ちゃうときがあるんです」と解説した。「速いスピードで描くネームは、感情の流れが捉えやすい。時間をかけて描く原稿では、ネームで捉えた表情がどうしても出せなくて苦しむことがあります」
物語の重要局面では、最適の表情を求めて同じ場面を何枚も描く。あらすじの構成だけではない、ネーム作業の重要性を物語る一幕だ。
続く『PLUTO』(原作:手塚治虫/長崎尚志プロデュース/協力:手塚プロダクション)ではキャラクターデザインの過程を見せ、アングレーム漫画祭でも受賞歴のある代表作『20世紀少年』では、「ともだち」の実際に実写映画で使用されたマスクも展示されている。
『BILLY BAT』(ストーリー共同制作:長崎尚志)、『MASTERキートン』(脚本:勝鹿北星・長崎尚志)、『Happy!』『パイナップルARMY』(原作:工藤かずや)の各作品で、贅沢なまでに多数の原画が公開されている。そこには「漫画を体感してほしい」という浦沢氏の思いが込められている。
「漫画家にとっては、展覧会は到達点ではないんです。原画を印刷し、本の形にして、読者の手に届けるのが僕らの到達点。が、その『漫画の到達点』では見せられないものが、展覧会では見せられる。
描かれたそのままのサイズの原稿、描線の細かさ、修正の跡。僕の指紋が付いている原画も沢山あります。それを体感してもらうことで、今後より親密感を持って、漫画を読んでもらえるのでは、と思うんです」
「日本は幅広い層の漫画読者がいますが、フランスは哲学的に深く漫画を読み込む人が多いように感じます」
アングレーム漫画祭でフランスのファンと身近に接し、浦沢氏が肌で感じたことだ。
「僕が面白いと思うことを、外国の人も面白いと思っている。それは嬉しいことですよね。面白いものは世界共通なんだと」
その意識は、浦沢氏が自らの世代に課す使命感に繋がっている。
「僕らの世代は手塚治虫先生やさいとう・たかを先生など、過去の偉大な遺産を知ってる。それを若い人や未来、世界に伝える橋渡しの役割があると思っています。これからも機会があれば外国へ行って、日本の漫画はこんなに面白いんだよ、と伝えていけるようになりたいですね」
日本では、出版不況と言われて久しい。漫画単行本の売り上げは前年比13%減と大幅に縮小した。しかし浦沢氏は、「漫画を読む読者はまだまだ沢山います」と話す。
「そもそも漫画は今までが売れ過ぎていたんです。今は数十万部でも十分ではないという風潮があるけれど、僕はそれだけ売れたらお祭り騒ぎをしていた時代を知っている。ベクトルが上向きか下向きか、の違いだけなんですよね。例えば凍りかけのコーラと凍ったのが溶け始めているコーラがある。コーラの温度はどちらも同じ、どっちがうまいか、てな話で」
浦沢氏の少年時代は、商業漫画の黎明期に当たる。そのピークがデビュー前後に重なり、「売れ過ぎていた」頃も、そこから売上が落ちてきた今も、実体験として生きてきた。冷静かつ相対的に現象を捉える視線は、その全ての時代を知った上でのものなのだろう。
出版不況と同時に語られることも多い電子化問題も、「全面的に電子を否定するのではない」と前置きしつつ、こう続ける。
「基本的な考えは数年前から変わっていなくて、電子が、読者にとって漫画の良い読み方だと思えないんです。どういう場所で読者と繋がっていくのが正しいかを、しっかり模索するのが大切ですよね。そもそも日本ではどうして、これだけ漫画の電子化が進んでしまったか? それはIT企業に『こういうフィールドを用意したから、みんな参加してくださいよ』と要請されたからで、作家側が自分の望むリリースの形を言えるようになっていないからではないか。発表方法は作家が選ぶ。その上で、よく状況を見ながらやっていかないと」
また浦沢氏にはこの電子化の波が、一過性のものではないのか、という疑問もある。
「例えばフランスでは、漫画でも書籍でも、『本』は紙で読むもの。電子で読むという文化自体が確立されていないんだそうです。それに音楽業界では今CDがどんどんなくなって、LPレコードが復活してきています。そういう動きを見ると、漫画の世界でも本当に、このまま電子化が進むのかな?とは思いますよね」
これは日本以外の漫画市場を知り、漫画以外の活動を手がける浦沢氏ならではの視点だろう。
「今、漫画単行本の売り上げが下がっているからといって、売れすぎていた時のムードに流されて、意気消沈することはない。漫画を読む読者はまだまだ沢山います。今こそ僕ら漫画家も出版社も、読者にいいものを沢山届けることに、専念するしかないのでは」
2018年3月31日まで開催されるこの展覧会。海を渡った浦沢作品が、漫画愛好家の範疇を超え、文化意識の高いパリジャンの目にどう映るのか、興味深いところだ。