台湾東部の花蓮(Hualien)県などを6日に襲った地震による死者は、2月11日までに計17人となった。
花蓮市内では雲門翠堤(Yunmen Tsuiti)ビルが最も深刻な被害を受けた。ビルは12階建てで、低層階がホテル、中層階以上が住居だった。
9日夜の時点で、ホテルに5人が取り残されていた。
花蓮市内では断続的に余震が続き、雲門翠堤ビル近くの小学校の体育館に一時、約370人の住民が避難していた。台湾の蔡英文(Tsai Ing-Wen)総統が8日午後4時半ごろ、被災者らを訪れた。
■「空を飛んでいるのかと思った」
雲翠ビルの5階に住んでいた余曼林(Yu Man-Lin)さんは、取材に対して次のように話した。
横揺れが、激しい縦揺れに変わった。バン!バン!バン!バン!と地面が崩落していった。ショックのあまり、何が起きたのか理解できなかった。
窓の外で人が歩いているのが見えた。
5階の高さを人が歩いているのが不思議だった。皆が、空を飛んでいるのかと思った。救助されて外に出て、5階が1階になってしまっていることに気づいた。
7階には、日本人と台湾人の夫婦がフィリピン人家政婦と一緒に住んでいた。
夫婦は助かったが、家政婦のメロディーさんは亡くなった。夫婦の親族によると、一家で一番明るかったメロディーさんが亡くなり、夫婦は一命を取り留めたものの悲しみにくれているという。
■「助け合うしかない」
雲翠ビル周辺では、飲食物を無償で振る舞う慈善団体と市民らの姿も見られた。
花蓮市でフードトラックを運営する陳佳緯(Chen Jia-Wei)さんは温かい飲み物を提供していた。動機について、次のように話した。
救助活動をする人たちに頑張ってほしいと思い、自分に何ができるか考えた。
ただでさえ寒い季節。雨も降っている。夜通し作業していれば体が冷えると思った。温かいジンジャー・ティーを配ることを思いついた。
台湾は小さな島。お互いに助け合うしかないことを、皆が知っている。
陳さんのルームメイトの謝欣芸(Xie Xin-Yun)さんも手伝っていた。謝さんは「私たちは1999年の台湾中部大地震なども経験した。震災時にどうすればいいか、慣れているのかもしれない」と冷静に話した。
花蓮県は11日、雲門翠堤ビルに生存者がいる可能性はないとして、取り壊し作業を始めると発表した。