性暴力は、被害者が声を上げにくいため、なかなか表面化しにくい。そんな中、「性暴力被害を受けた」とジャーナリストの伊藤詩織さんが実名と顔を公表して声を上げ、大きな議論を呼び起こした。
海の向こうでも同じような動きが広がる。アメリカでは、ハリウッドの大物プロデューサーやシリコンバレーの経営者、大物ジャーナリスト、そして元大統領らに対する性暴力・セクハラ被害の訴えが相次いでいる。「#MeToo(私も被害を受けた)」というハッシュタグとともに、被害を受けた女性たちが世界各地で声を上げ始めた。
男女平等が進んでいるようにみえるアメリカ。しかし、華やかなハリウッドや最先端の働き方が賞賛されるシリコンバレーでも、暗部が浮き彫りになったかたちだ。アメリカ在住のエッセイスト・翻訳家、渡辺由佳里さんが現地の様子をレポートする。
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ハリウッドで大きな影響力を持っていた大物映画プロデューサーのハービー・ワインスティーンの性暴力とセクハラ事件をきっかけに、ソーシャルメディアで同様の体験をシェアする #MeToo のムーブメントが広まっている。
ソーシャルメディアのムーブメントは、広まりやすいが長続きしないのが特徴だ。だが、 #MeTooは、ソーシャルメディアのハッシュタグを超えたムーブメントになりつつある。
ワインスティーンほどの大物ですらハリウッドを追放されたことに勇気づけられたのか、別の業界でも被害者や目撃者が沈黙を破り始めている。
最近になって複数の女性が告発しているのが著名なジャーナリスト2人だ。
ひとりは、ベストセラーの『大統領オバマは、こうしてつくられた』の共著書でもある著名な政治ジャーナリストのマーク・ハルペリンだ。かつてはABCの政治局長を務め、現在はシニア政治アナリストとしてMSNBCとブルームバーグ・テレビで活躍している。現時点で訴え出ている5人のうち4人は、ABC時代にハルペリンの同僚あるいは部下の女性だった。これらの若い女性ジャーナリストに対して、ハルペリンは、いきなりキスをして胸を掴んだり、性器を押し付けたり、断っても執拗にセックスを促したりしたという。
もうひとり複数の女性から被害を訴えられているのは、ITジャーナリストとして有名なロバート・スコブルである。
きっかけになったのは、ITジャーナリストのクイン・ノートンがMediumに書いた「ロバート・スコブルと私」というエッセイだった。
このエッセイによると、主な経緯はこうだ。
オライリー・メディアが主催するハッカーイベントのフー・キャンプで、ノートンと友人たちはスコブルが公の場で女性と性的な行為に及んでいる(make out)のを目撃した。スコブルも女性も酒に酔っていたが、女性のほうは泥酔していて何が起こっているのか理解できていないように見えた。ノートンは、このままではレイプに発展する可能性もあると思い、近くにいた人に頼んでスコブルに紹介してもらった。その人はナーバスな様子でスコブルのことを「彼は危険」と言ったが、ノートンは表情を変えずに「私もそうだ」言った。そのとたん、スコブルは前置きなしにノートンを襲い、胸と尻を触った。驚いたせいか周囲の者が助けようとしなかったので、ノートンは手のひらでスコブルの顎を叩き、「また私を触ったら、次は鼻の骨を折ってやる」と二度繰り返した。
もうひとりの犠牲者ミシェル・グリーアは、スコブルが関わっていたRackspaceで働いていたときに脚を触られるなどのセクハラにあった。しかし、彼の影響力が怖くて職場に訴えることができなかった苦しさをBuzzFeedに語った。
TechCrunchに掲載されているグリーアとスコブルのフェイスブックの対話(スクリーンショット)を読むと、スコブルがその事実を認めていることは明らかだ。
スコブルはグリーアに「酒をやめて行いを改める」と約束したが、その後で、アメリカ航空宇宙局(NASA)の研究者であるサラ・サイツに婚外交渉を持ちかけている。サイツ本人が、ノートンのエッセイのコメント欄で後に「それは私のことだ」と告白した。
これらの性暴力やハラスメントそのものはもちろん重要な問題。だが、同時に見過してはならないのが、加害者の弁明だ。
マーク・ハルペリンは、CNNに次のように答えた。
「この期間、私は、たしかに部下を含む同僚の女性との付き合いを求めた(pursue relationships)。これらの見解(女性からの訴え)から、自分の行為が不適切であり、他者に苦痛を与えたことを今になって理解した。その理由で(for that)、非常に反省しており、謝罪する」
スコブルは、「いや、それに関しては、私は無実だ」というエッセイで、最初に暴露記事を書いたTechCrunchやBusiness Insiderのことを「現時点ではゴシップブログにすぎない」といい、「もっとましなものだと期待していたのだが」と貶めた。
続いてスコブルは被害者たちの破壊行動に移った。
スコブルは、「サラ・サイツと私はオンラインでの不倫をした。私は結婚していた。サラはそれを承知だったし、気にしていなかった」、そして「私に彼女のキャリアを伸ばす力がないことが明白になったとき、彼女はばかにされたと感じ、私の妻に伝えると脅迫した」とサイツの人格攻撃をした。また、グリーアについては、会社の構造で直接の部下ではないから「セクハラ」にはならないし、フー・キャンプで最初に襲ってきたのはノートンのほうだと説明している。
加害者ふたりの釈明には共通点がある。
「あちらが誤解していたとしても、こちらにとっては故意の性暴力やハラスメントではない」というニュアンスだ。
被害者にとって、同意の質問もされずにいきなり襲われたらはっきりとした「暴力」だ。だが、ハルペリンは「付き合いを求めた(あるいは求愛)」と表現することで「理解のすれ違いにすぎない」という印象を与えようとしている。スコブルの場合も、被害者はハラスメントだとして友人にも相談しているのに、(両者合意というニュアンスが強い)「オンライン不倫」と呼んでいる。
ハルペリンとスコブルの頭の中では、彼らの行為はもっと無邪気なものであり、自分たちのほうが過剰な反応の被害者になっているようだ。
加害者のこのような釈明が危険なのは、事情を知らない人の視点に大きな影響を与えることだ。
スコブルに心理的に近い立場の人は、被害者が「自分のキャリアを助けてくれなかった」「フラれた恨み」などの理由でセクハラを訴えていると信じるだろう。そして、訴えたほうを非難し、攻撃するようになる。すでに心の傷を受けている被害者は、ソーシャルメディアで見知らぬ者から攻撃され、ヘイトメールを受け取ってボロボロになる。
ノートンがエッセイに書いた友人Kは、夫に打ち明けただけだったが、夫が加害者の攻撃に出たために被害者としてのアイデンティティが明らかになり、誹謗中傷の対象になった。Kは、それに絶えきれず自ら命を断った。
こういうことが想像できるから、被害者はなかなか名乗り出ない。
性暴力やセクハラの目撃者/バイスタンダーが黙っているのにも理由がある。
スコブルがRackspaceの後に加わったUploadでクリエイティブ・プロデューサーだったダニー・ビットマンは、Uploadの創業者がセクハラで訴えられた後に会社を去った。ビットマンにとって、創業者は良いメンターだった。だが、尊敬していた彼らが自分にとって受け入れがたい行為をしているのを見過ごしてきた自分にも疑問を抱くようになっていた。
ビットマンが自分の気持ちをまとめた記事を書こうとして書けなかったのは、自分自身と戦ってきたからだ。彼はMediumのエッセイで躊躇した背後に存在した心境を次のように表現している。
「もし率直に批判したら、僕が尊敬している男性たちはそれでもその行為を続けるだろうか? 僕のことを見下げるのではないか? 僕とはもうつきあいたくないと思うのではないか? 僕のやろうとしていることはやり過ぎではないのか?」
ビットマンは、男女平等を支持しているつもりの自分が、男性側の気持ちばかりを思いやって自分の発言に抑制をかけていたことに気付いた。
アメリカのIT業界には、男性が女性を性的なオブジェクトとして扱う男尊女卑の「ブロカルチャー」がある。それについてもビットマンは率直に語っている。
IT業界には男性のほうが圧倒的に多い。新入りの男性は、新しい環境で受け入れられたいから、女性に関する露骨な性的コメントや冗談に同意し、自分でもウケを取るために言うようになる。居心地が悪くて反論したくても、そんな意見を言うとのけものにされてしまうかもしれない。それが怖くて性的な冗談に参加しているうちにそれが日常化してしまう。
性暴力が放置されやすいのは、被害者が報復を恐れるからだけではない。バイスタンダーも同じように恐れている。
被害者も、バイスタンダーも、自分が属している社会から「のけもの」にされるのが怖い。だから、強い加害者をかばうか、見えないふりをする。そして、平穏な状態を壊す被害者のほうが厄介者に感じる。そのあたりの心理は、学校のいじめとよく似ている。
では、この悪循環をどう変えていけばよいのか?
娘が通ったアメリカの公立学校では、幼稚園のときからいじめ防止教育が徹底していた。いじめとは何かを教え、いじめの芽を摘み、バイスタンダーが強い加害者ではなく被害者のほうにつくよう教えるというものだ。その結果、父兄や生徒を何年かにわたって取材したが、いじめは非常に少なかった。
性暴力に関しても、まずは「性暴力」や「セクハラ」、「同意」の定義についてはっきりさせるべきだろう。
ハルペリンとスコブルは(故意かもしれないが)「同意」について徹底的に誤解している。ベテランのジャーナリストですらそうなのだから、知識のない若者が意図せずに性暴力を行い、相手に一生続く心の傷を与えてしまう可能性はなきにしもあらずだ。
「嫌よ嫌よも好きのうち」とか「女は強引な男のほうが好き」といった間違った情報も、根気よく否定していかなければならない。
女性のほうも、酒の場での男性の「シモネタ」を笑って聞き流したり、性暴力やセクハラを「男だから仕方ないよね」と受け入れたりして「ものわかりがよい女」になるのをやめるべきだ。それは、強いいじめっ子のほうにつくバイスタンダーと変わらない。
しかし、他人に説教する前に、自分自身がまず「性暴力とは何か?」と考えてみるべきかもしれない。そして、自分の胸に手をあてて、「自分はどんなバイスタンダーになりたいのか?」と尋ねてみる。
そうすれば、ダニー・ビットマンのように自分が取るべき行動が自ずと見えてくるだろう。
性の被害は長らく、深い沈黙の中に閉じ込められてきました。
セクハラ、レイプ、ナンパ。ちょっとした、"からかい"。オフィス、教室、家庭などで、苦しい思いをしても私たちは声を出せずにいました。
いま、世界中で「Me,too―私も傷ついた」という言葉とともに、被害者が声を上げ始める動きが生まれてきています。
ハフポスト日本版も「Break the Silence―声を上げよう」というプロジェクトを立ち上げ、こうした動きを記事で紹介するほか、みなさんの体験や思いを募集します。もちろん匿名でもかまいません。
一つ一つの声を、確かな変化につなげていきたい。
メールはこちら break@huffingtonpost.jp