「腹が減っては戦はできぬ」——それは武士に限らず、盤上で熾烈な戦いを繰り広げる棋士にとっても同じこと。空前の「将棋ブーム」の火付け役となった藤井聡太四段の食事に注目が集まったのは記憶に新しい。
「冷やし中華大盛りにチャーシュー6枚追加」「肉豆腐定食に餅追加」...。私たちには思いもつかないようなメニューを、時に棋士たちはオーダーする。
棋士たちはどんなことを考え、どんなものを食べるのか。漫画家の松本渚さんは実在の棋士たちにも取材しながら、漫画『将棋めし』で一風変わった棋士と食事の関係性を、いきいきと描く。
「食事なんか、対局と関係ない」と、中には怪訝に思う人がいるかもしれない。だが侮るなかれ。食事の選択が原因で、実際に対局で負けた棋士もいるという。一体どういうことなのか。棋士と食事のユニークな関係や、将棋初心者にも知ってほしい「将棋の魅力」について、松本さんに聞いた。
——作中に登場する様々な「将棋めし」ですが、特徴的なエピソードが魅力ですね。盤外戦術の要素として描かれていることもありました。例えば、主人公が「うな重・梅」を頼んだら、対局相手が「竹」を頼んだので、負けじと「松」を頼むとか...。
物語の中では、将棋ファンに知られているエピソードや棋士の先生に食事のエピソードを取材して、その上で自分流に解釈をアレンジして描いています。
うなぎのランクのエピソードは、監修の広瀬章人八段が経験されたエピソードなんですよ。ただ、漫画に描かれているようなことが現実の将棋界ではあるんです。
観る将を自認する『将棋めし』の漫画家、松本渚さんは「食の逸話を持つ棋士は多く個性が垣間見える」と話す。たとえば主人公が対局相手とうな重の格を張り合う場面は、監修を務める広瀬章人八段(30)の実体験だ。「自分より格上のうな重を注文され、やられたと思った。劣等感から対局も負けてしまった」と広瀬八段は振り返る。
——実際に棋士の先生に取材されて、印象に残っているお話はありますか。
取材してみると、ベテランの棋士の先生方は食事で験を担ぐ方は多いように感じます。若い人ほど「考えてないです」ってお答えになりますね。
印象に残っているのは、やっぱり広瀬章人八段ですね。実際にタイトル戦を経験されているので、そのお話は勉強になりました。例えば移動中に出されたお弁当。四方9マスに分かれていて、真ん中に将棋の駒の形をした人参が入っていた「将棋弁当」だったそうです。
ほかにも、おやつにクッキーを頼んだら、めちゃくちゃ量が多くて食べきれなかったとか(笑)。
——将棋会館で実際に使われている出前には、いろいろ種類がありますよね。松本先生が好きなメニューは。
やっぱり「ほそ島や」のカツ丼ですね。めちゃめちゃ美味しいです。私の好きなカツ丼の味なんです。
カツ丼って、安いところだとベタベタしていたり、ただ甘いだけだったりするんです。けれど、ほそ島やは違う。 それに、普通のお蕎麦屋さんだとカツが薄いことがあるんですが、ほそ島やのはボリューム感もあります。
私は食いしん坊なので、余裕で一人前完食できちゃいますね。食事の時はここぞとばかりに食べるんですが、担当さんには「ええ!?松本さん食べれるんですか!?無理ですよ、俺もう食べれないです」って毎回ドン引きされています(笑)。
ほそ島やといえば、サービスメニューの半カレー中華。あれも名物です。絶対描きたいと思っています。
——ボリュームが多いと言えば、みろく庵の「丸山定食」がおなじみですね。
私も食べました。丸山先生の「唐揚げ3個増量」の一手は妙手だと思います。
通常の唐揚げ定食だと唐揚げが3個なのですが、ご飯とのバランスを考えると少し物足りない。なんなら3個といわず唐揚げ6個追加の「超丸山定食」もありかもしれない。
——丸山九段と言えば、7月に「ほそ島や」の冷やし中華大盛りに「チャーシュー6枚追加」という新手もありました。
これまで丸山先生の自己記録は「5枚追加」だったんですが、自己記録を更新しました。「どこまでいくんだ!?」って思いましたよ。もしかしたら、7枚もくるのかなと。ただ「チャーシュー追加」の戦型をとった時の丸山先生、勝率は悪いような...。
——最近では、佐々木勇気五段が肉豆腐定食の「餅追加」に脚光が集まりました。佐藤会長も「冷やし中華」に餅追加という鬼手を繰り出しました。
佐藤先生、さすがの緻密流です。私の頭の中にその手はなかった。棋士の先生方は漫画のフィクションを平気で超えてくる。本当に素晴らしいですよ。
——将棋界では藤井四段の連勝記録だけでなく、その食事にも注目が集まりました。松本先生は藤井四段のどのあたりに注目されてますか。
食事を見ていると、やっぱり麺類が多いですよね。「中学生だから麺類が好きなのかな」って思ったりとかすると、急に可愛く見えてきたりとか。あとはネット上で注目されている「バリバリ財布」も。ニコニコ生放送では、財布をあける前から既にコメントで「バ」って流れたりする。ファンに愛されているなあと思います。
こういう一面を見ると、藤井四段もやっぱり中学生なんだなっていうことが垣間見えます。食事も一緒で、棋士の食事を知ると、その棋士が急に人間味を感じられる。
プロ棋士の人たちって、こっちが全く思いつかない手で戦っている。神様や天上人のような存在です。食事周りの話やオフの話を聞くと「あの人も人間なんだ。かわいいな」ってキュンとしてしまいます。
だって、藤井四段みたいなバリバリ財布を使っている中学生ってたくさんいると思いますが、それを藤井四段がつかっているところを見るとキュンってくる。そういうのが垣間見えやすいのが対局中だと食事だなと思うんです。
——藤井四段の麺類多めのチョイス、松本先生はどう分析しますか。
なにより麺類って食べやすいですよね。温かいうどんは寒い時には暖まるし、冷やし中華は暑い時にスッキリと食べられる。中学生ですから、「ガッツリと麺を食べたい」って思うのかなぁとか想像したりはします。
あとは愛知の出身ですから、ご当地の「味噌煮込みうどん」は気になるのかなぁとか。ただ、藤井四段は食事について「とくに何も考えてない」とインタビューで答えていたので「なんか、申し訳ございません」って思ってしまいました。でも、考えてないにしては麺類が多いなあとは思いました。
麺類というか、重たいものや味が濃いものが多いなっていう印象がある。「中学生の胃袋が強靭だなぁ」「味が濃いものが好きなのかなあ」という感じは受けました。
——今後の話の中で紹介したい料理はありますか?
とんかつふじもとの「ヒレカツ定食」ですね。あれは丸山先生の夕食の定跡なんです。研究の結果、あれが一番いいみたいなんです。 冷やし中華のチャーシュー追加も「ここで頑張りたい」っていう時にやってらっしゃるのかなあと。
あとは、みろく庵の「銀だら定食」はやりたいですね。これ、みろく庵の名物。最近は豚キムチうどんや肉豆腐定食の影に隠れていますが、みろく庵はやっぱり魚料理が美味しい。鯖煮込み定食とかおすすめですよ。
先日、王位戦の控室にお邪魔したら、勝又清和六段先生とお会いしたんです。「将棋棋士の食事をテーマにした漫画を描いてるんです」ってお話をしていたら食事トークになって。「今、みろく庵は餅追加の肉豆腐定食が流行ってますよね」って話をしたら「え?どう考えても銀だら定食一択でしょ」と仰っていました。
——藤井四段が「29連勝目」を達成した対局で注文した「豚キムチうどん」は、特に注目が集まりました。
あの時に興味深かったのは「豚キムチうどんを食べに行った」というファンより、「豚キムチうどんを実際に作った」という報告がSNSでも多かったんです。「おばあちゃんが、藤井君にあやかって作ってくれた」とか、そういう心温まるエピソードもありました。
棋士の食事文化を知らない人の中にはは「そんな話よりも局面の話をしろ」という人もいました。でも、本当に将棋と関わりのない人にも影響を与えているんです。
主婦の方々は藤井四段の食事の報道を見て「じゃあ私もあやかって、この豚キムチうどんを作ってみよう」とか。サラリーマンの人では「今日の打ち合わせは頑張りたいから、気合を入れるため藤井君にあやかって味噌煮込みうどんを食べに行こう」みたいな。
こういう話を聴くと、食事というのは将棋を知らない人にも、将棋の魅力の一端を広めているんだなぁと。将棋そのものではないけど、将棋の一部に関わって、楽しんでもらえる。ここに繋がりというか、パイプができた。
そこから「藤井君は最近何を食べたんだろう」みたいな感じで、速報サイト(名人戦棋譜速報)とかを見に行ってもらえたら、将棋ファンとしても嬉しいですよね。 入り口が小さくても、細くても、なんでもいい。棋士の食事も、将棋の世界に浸ってもらえるきっかけの一つになると思います。
——将棋への入り口は人それぞれで良い、と。
戦前の観戦記事では、棋士の対局風景や食事に関する記事はなかったようです。ただある時、倉島竹二郎さんという観戦記者が、棋士の食事を含めた観戦記を書いた。
編集部からは「必要ないのでは」と横やりもあったようですが、読者からは「新聞の将棋欄がおもしろくなった」「棋士の人となりがわかって嬉しい」といった反響があったそうです。ファンから叩かれたのではなく、感謝されたっていうのが泣けますよね。
他のファンの方に比べれば、私の将棋ファン歴ってまだまだです。かつて将棋会館の地下には「歩(あゆむ)」というレストランがあったそうですが、その時期から将棋を見ていた方もいらっしゃいます。
あるファンの方は「歩」でカレーを食べていたら升田幸三先生(実力制第四代名人)がスッとやってきて「カレー食っとるのか。それ不味いだろ?」って言われたそうです。超羨ましいですよね(笑)。
あまり棋力のことは考えず、自由に将棋を楽しんでいいと思います。サッカーとか野球とかを見て批判する人が、実際に完璧なホームランやシュートができるかというと絶対そうではないですから。そういう感じで、もっと将棋を気軽に、ガンガン見て楽しんでほしいですね。
——自分が楽しめるポイントを探すのが大事ですね。
たとえ周りから「食事ばっかり注目してるけど何なの?」と言われたとしても、「これが自分の将棋の楽しみ方だから」と胸を張っていいと思います。棋士の食事も立派な文化だと思うので。
「棋力が高い」すなわち「その人の価値」と考える人もいらっしゃる。ただ、棋士の世界は「勝つか負けるか」という厳しい勝負の世界ですが、一般の人がゲームとしてやる場合は、その結果で「生きるか死ぬか」なんてことはありません。
それこそ食事とか、着物の色とか、手つきとか、対局時の所作も。対局の棋譜だけじゃなくて、棋譜を取り巻く状況というのも、また「将棋」だと私は思います。
みなさんが思い思いに将棋を楽しめる間口がひろがれば、ファンの一人として、とても嬉しいですね。
松本渚
振り飛車党新人漫画家。
2014年から漫画雑誌『コミックハイ!』(双葉社)にて『盤上の詰みと罰』を連載。
2016年7月から漫画雑誌『月刊コミックフラッパー』(KADOKAWA)で『将棋めし』を連載中。(既刊2巻)2017年7月驚愕のスピードでテレビドラマ化。ただいま放送中。
『将棋めし 2』はKADOKAWAから発売中。