46年間も離ればなれだった母子、「科学の力」で再会を果たした

1971年にプエルトリコで離れ離れになった母親と2人の息子が、アメリカ・テキサス州の空港で感動の再会を果たした。46年ぶりに母子を引き合わせたのは、DNA鑑定だった。
Channel BreakingのYoutubeより

1971年にプエルトリコで離ればなれになった母親と2人の息子が、アメリカ・テキサス州の空港で感動の再会を果たした。46年ぶりに母子を引き合わせたのは、DNA鑑定だった。

離ればなれになっていたのは、母親のエルシー・ラミレスさん(64)、兄レイモンド・エブリューさん(47)とアントニー・ウィッグズさん(46)。

3人は8月4日、ダラス国際空港で再会を果たしたが、そこまでの道のりは長かった。

CNNによると、ラミレスさんは1971年、夫との関係が破綻し、当時住んでいたプエルトリコを離れた。その際に、現地のソーシャルサービスが、エルシーさんと幼いの2人の息子を引き離した。

兄レイモンドさんは祖父母に引き取られ、その後に父親がテキサスに連れて行った。

一方弟のアンソニーさんは、マータ・ウィッグさん夫妻に養子として迎えられ、一家でカルフォルニアへと移り住んだ。

アンソニーさんは当時のことについて、「父はパニックになったんだと思います。僕のことをどうしていいのか分からず、知人のところに連れて行ったら、たまたまその人がソーシャルサービスで勤務していたようです」と、CNNの取材に対して答えた。

ラミレスさんは、マサチューセッツに移り住んでからも、我が子の居場所を探していたが上手くいかず、精神的に落ち込んでいた。

大人になったアンソニーさんは、家系について興味を持った。養母から見せてもらった自分の出生証明書を頼りに、プエルトリコやニューヨーク、フロリダの電話帳を調べては、電話をかけ続けた。

するとついに、テキサスに住むレイモンドさんの元妻とつながり、兄と再会することができた。この時、レイモンドさんは28歳だった。

その後も母親はなかなか見つからなかったが、今年の5月に大きな前進があった。アンソニーさんの彼女が彼の誕生日にDNAテストをプレゼントし、そのおかげで、家系について膨大なデータを得ることができた。

DNAのデータを基に、アンソニーさんはエルシーさんのおいにたどり着き、彼女がマサチューセッツに住んでいることを聞いた。

Facebookでエルシーさんの名前を検索すると、彼女の親友を発見。エルシーさんの携帯番号を教えてもらい、レイモンドさんと一緒に電話をかけた。留守電を残した1時間後、折り返しの電話が届いた。

「いつも祈っていた。いつもあなたたちを探していた」。エルシーさんは愛する我が子にそう伝え、3人は喜びの涙を流した。

3人は8月4日、テキサスのダラス国際空港で再会を果たした。エミリーさんは46年ぶりに抱きしめた2人の息子に「アイラブユー」と囁いて、何度も頬にキスをし続けた。

アンソニーさんは、Peopleの取材に対して「眠れない時もありました。いよいよ母と会う瞬間が近づいてくると、まだかまだかと落ち着きませんでした」と振り返った。

さらに「夢のようでした。46年間もの間母親を探し続けて、時間も労力もかかったし、いろんな感情が巡りました。でも今は『やってやったぜ』と言いたいです」と思いを語った。

レイモンドさんも、「唇を噛んで、ひたいに汗がにじました。母と抱き合うと、心臓がバクバクしました」と喜びを語った。

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