木島英登さん、バニラ・エア問題を振り返る「障害を理由にあきらめたくなかった」

車いすの男性がバニラ・エアの旅客機に搭乗することを拒否され、自力でタラップをよじ登ったことは大きな反響を呼んだ。本人がこの問題について改めて振り返った。

奄美空港で6月、車いすの木島英登さん(44)=大阪府豊中市=が格安航空会社(LCC)「バニラ・エア」の旅客機に搭乗することを拒否され、自力でタラップをよじ登って乗り込んだ出来事は大きな反響を呼んだ。

批判の矛先はバニラ・エアだけでなく、木島さんにも向けられ、「クレーマー」「プロの障害者」などの中傷が相次いだ。一連の事態について木島さんはどう感じたのか。改めて本人に聞いた。

インタビューに応じた木島英登さん=大阪府豊中市

——問題が報道された後、木島さん自身もソーシャルメディアなどで批判されました。

ネット上だけではありません。自宅に匿名の批判電話がかかってきましたし、誰かが私になりますまして登録したと思われるダイレクトメールやメルマガも届きました。自分が運営する団体の住所と電話番号をインターネットで公開していたので悪用されたんだと思います。

被害を受けて急きょ非公開にしましたが、ネット上には私を「プロの障害者」「クレーマー」呼ばわりする誹謗中傷が大量に残ったまま。売名目的で取材を受けたんだろうとか、講演で儲けている、けしからんとか。

今回の騒動自体もわざと起こしたんだと言われました。バニラ・エアの奄美-関空路線では自力で歩けない人の搭乗を拒否することを知っていて、それを告発するためにやったんやろうと。これもまったくの事実無根。純粋に友人たちと奄美に遊びに行っただけです。

事実でないもの、悪意を感じるもの。便所の落書きと変わらないですよ。本物の便所の落書きはいつか消えますが、ネット上のそうした書き込みはずっと残ります。

正直、今回のバッシングは人生最大の出来事一つかもしれません。私が歩けなくなったのは、高校のラグビー部の練習中にけがをしたのが原因でした。当時、リハビリセンターで大学に行きたいと打ち明けたら、ほかの障害者から「いけるわけないやろ」と言われて悔しかったのを思い出しました。大学はおろか、仕事も難しい、電車だって乗れない、「すいません」と頭を下げながら生きなきゃいけないって言われて。

でもあの時、逆に「自分のやりたいことをとことんやってやる」って開き直ったんです。自己実現できる社会が理想だと思って生きてきました。車いす生活になってから世界158カ国を訪れたし、ハンドサイクルやチェアスキーにも挑戦しました。とにかく、障害を理由にあきらめたくなかったんです。

——木島さんが、車いす利用者だとバニラ・エア側に事前連絡しなかったことを批判する人もいました。

わざとしなかったわけではないですよ。航空券はネットで購入したんですが、そのとき気づかなかっただけです。メディアの取材でも明らかになりましたけど、たとえ事前連絡してもバニラ・エア側は乗せなかったわけですよね。事前連絡という仕組みが、障害がある人を排除するための、ある種のフィルターになっている場合もある。

昨年、障害者差別解消法が施行され、障害者に対して合理的な配慮をするよう義務付けられています。でもね、私は何も法律ができたからバニラ・エアは改善せなあかんと言いたいわけではないんです。法律ができる前から改善されるべきだと思いますし。法律は一つの基準でしかないですよ。逆に法律を守っていたらそれでいいのか、ってことではないですよね。やっぱり、人としてどう思うのか、人権意識の問題として考えることが大事だと思うんです。

「会社のルール」をたてに、代替案も示さずに杓子定規に「乗るのはだめ」というのは納得できませんでした。乗るのはだめって、かつてアメリカで黒人が差別されてた時代に、バスの座席が制限されてましたよね。これと似てる気がします。バスの話でいうと、車いすマークがついているノンステップバスなのにもかかわらず、事前連絡がないから利用を断られた事例が今でもあると聞いたこともあります。

日本の社会て、「できる」ためになんとかしようとするのではなくて、「できない」ことを言うために、あれこれ理屈を並べようとする風潮がある気がします。

今回の騒動でも同じだと思うんですよ。自分では歩けないから同行者に車いすを担いでもらおうとしたらだめと言われ、自力で上がろうとしたらそれもだめと。こちらはどうやったら乗れるか知りたいし、それによって提案もできるわけですよ。「いつもやっていることだから大丈夫です」とかも言えるし、最後は自己責任でという覚悟もある。でも「危険」「規則で決まっている」の一点張りでしょ。なら、杖ついてる人も、酔っ払っている人も、スマホ見てる人も危ないですよね。その人たちも乗せないんですかね。

——以前にも同じようなことがありましたね。いったん搭乗拒否され、あわや乗り損ねるという。

2002年のことです。航空会社はANAで、空港は伊丹でした。「歩けない人が1人で乗ることはできない」「事故があったときに助けられない」という説明でした。

別に手伝ってくれと言ってるわけではないんですよ。助けてもらえないのならそれでいい。床をはって乗ればいい。「設備がない」というのも、こちらは設備を求めているわけではない。世界中の空港を利用してきましたが、設備がない小さな空港でも乗れなかったことはないです。要は、航空会社側に乗せる気があるのか、ないのかということなんです。結局この時は粘り強い交渉の末、乗れることになりましたけど。

それから15年ですよ。また同じような出来事に出くわしたわけです。今回は同行者がいても乗ることができないという話だったのでびっくりしました。

車いす利用者が飛行機に乗る時、よく質問攻めにあうんですね。「どうして車いすに乗ってるんですか」とか「どうして歩けないんですか」とか。障害のことをあからさまに聞かれ、本当に嫌な思いがします。そんなことまで言わなあかんのですかね。そんなとき、私は航空会社の職員に対して「目が見えない人には『なんで目が見えないんですか』、足がない人には『なんで足がないんですか』と聞くんですか」と尋ね返しています。ちなみに、世界の空港では障害の理由を聞かれることはありません。

単純に「どのようなお手伝いが必要ですか」と聞いてくれたらいいんです。自分のことは自分が一番よくわかるから。車いす利用者と言っても様々な人がいます。

——木島さんは障害を負ってから世界各地を訪問していますね。各国と日本とを比べて障害者に対する接し方は違いますか。

まず、飛行機の搭乗問題でいうと、構造的な課題があると思うんです。他国のハブ空港では、障害者や高齢者、子ども、妊婦、けが人たちのサービスを専門に担当する空港の職員がいるんですよ。応対にも慣れている。ところが日本では各航空会社がそれぞれやってますよね。

それと何より、人々の問題が大きいと思います。日本は無関心で、当事者に責任があるという考え方が強いと思います。障害者だけでなく、何か困った人がいたら、日本人は他国と比べて見て見ぬ振りをする人が多い気がします。

個人的な意見ですが、助けられた経験が乏しいのも影響してるのかなと。SOS出すのも下手な気がしますよ。ちょっと声を出してお願いすればいいのに、恥ずかしいのか、あまりしない。道に迷ったら周りの人に聞けばいいのに、スマホを頼りにする人も増えましたね。人と人との関係が希薄な社会です。自らも助けられてみるという体験が、障害者や困っている人の立場を理解する鍵だと思います。

障害者の対義語としての健常者という言葉は嫌いです。障害者が助けられることが多いのは事実ですが、障害者だって人を助けることはできます。

「お互いさま」の気持ちが大事だと思います。いろんな立場に自分を置くことで他の人の気持ちを理解する。そんな社会になったらうれしいです。

木島英登(きじまひでとう)

大阪府出身。高校3年生のとき、ラグビー部の練習で脊髄を損傷して下半身不随になり、車いす生活となる。大学卒業後に大手広告代理店に勤務。退社後、バリアフリー研究所を設立。158カ国を訪問したほか、ハンドサイクルやチェアスキーにも取り組む。自身の活動についてホームページでも情報発信している。著書に「空飛ぶ車イス」「秘境の車イス」など。

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