故障している信号機を見つけたら、すぐに行政の担当者に連絡できるーー。
そんな便利なアプリを、市長がつくってしまう。そして実際に市民が活用している。
これはオーストリアの地方都市、リンツ市でみられる光景だ。アートとテクノロジーが市民の生活に溶け込んでいるリンツ市は、オーストリア屈指の文化芸術都市として知られており、毎年9月には世界最大級のメディアアートの祭典「アルスエレクトロニカ」が開催される。
リンツ市では、テクノロジーの力を使い、市の取り組みの“見える化“を徹底している。予算計画などの基本的な行政データから市議会の記録や議事録まで、市政に関する情報はオンラインで公開されているという。リンツ市の前市長フランツ・ドブシュ氏が、市民が手軽に信号機の故障を報告できるスマートフォンアプリをつくったのも、その取り組みの一環だ。
アルスエレクトロニカはすでに東京にも進出している。リンツ市を「文化都市」として蘇らせたアルスエレクトニカの取り組みから、都市開発において鍵となる要素を探った。
■アルスエレクトロニカとは?
「アート・テクノロジー・社会」をテーマにした市民参加型の大規模なイベントで、優れたメディアアート作品に対する表彰も実施。過去には“現代の魔法使い“の異名を持つメディアアーティストの落合陽一氏などが入賞している。
リンツ市のアルスエレクトロニカ・センター。美術館・博物館としての機能も持っており、毎年9月のアルスエレクトロニカ開催時はここを拠点としてさまざまな催事が開かれる。
アルスエレクトロニカは、「文化都市」として再生を遂げたリンツ市を象徴するイベントでもある。
リンツ市はナチスの独裁者、アドルフ・ヒトラーが少年時代を過ごした街としても知られている。第二次世界大戦時はナチスによる軍事占領の下、鉄鋼の街として栄えた。しかし1970年代から第3次産業への産業転換が進み、鉄鋼業は不況に陥り、街は衰退していった。当時の失業率は12〜15%にも上り、製鉄工場が排出したスモッグによる大気汚染も深刻化した。
街の再生に向けて行政が新たな産業誘致や次世代への育成に力を入れるなか、リンツ市民の取り組みから誕生したのがアルスエレクトロニカだ。コンピュータ文化に着目したリンツ市出身のアーティストらが、市民参加型の大規模な電子音楽フェスティバルを1979年に仕掛けた。この大規模なイベントが、アルスエレクトロニカの原型となっている。
創設メンバーは、ただ音楽を楽しむことを目的としたフェスではなく、新しいテクノロジーを参加者が体験できるようなプログラムも取り入れた。例えば、住民たちがラジオを持ち出し、同じタイミングで一斉に周波数を合わせて、ラジオから流れるブルックナーの交響曲を聴くといった企画を実施した。街全体にクラシック音楽を響かせようというエキサイティングなイベントだ。
さらに、アルスエレクトロニカはただ市民を巻き込むアートイベントを仕掛けているだけではない。
行政や企業とパートナーシップを組んで教育機関などを開設し、市民がアートやデジタル技術とアクセスする機会を頻繁に提供することで、次世代を牽引する人材育成・教育にも力を入れている。
アルスエレクトロニカを10年にわたり取材し続けている博報堂の鷲尾和彦氏は、「オープン」という言葉に重きを置くリンツ市民のマインドについて、以下のように記している。
リンツの人たちが「オープン」という言葉を口にする時、そこには立場の異なる人々への「寛容さ」だけではなく、未来の変化をポジティブに受け取り、楽しもうとするマインドをも含んでいる。アルスエレクトロニカがこの街に生み出した最大の成果は、この「未来の変化にオープン」な生き方ではないだろうか。
『アルスエレクトロニカの挑戦: なぜオーストリアの地方都市で行われるアートフェスティバルに、世界中から人々が集まるのか』鷲尾和彦(2017年)学芸出版社
■東京を「住む人のためにある空間に戻すべき」
東京都は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けてさらなる都市開発を進めている。
東京五輪は、さながらリンツ市にとってのアルスエレクトロニカのようなビッグイベントだ。しかし、競技場や経費負担問題などで都・国・自治体の足並みは揃わず、市民の不満は募るばかりだ。
博報堂との共同プロジェクトを始動させるのを機に、アルスエレクトロニカの総合芸術監督、ゲルフリート・ストッカー氏が2017年5月下旬、来日した。今後の取り組みとして、まずはアーティストや企業との連携を進め、課題発見と解決方法へのアプローチを考えていくという。
リンツ市の再生を牽引してきたストッカー氏の目に、東京という街はどのように映るのか。東京をよりよい街にするためには何が必要なのか聞いた。
——ストッカー氏にとって東京はどんな街ですか
東京はひと言で言えば、すごくエキサイティングな街だと思います。現代的でハイテクでもありつつ、人口が非常に多く、インフラや狭い面積の中にまとまっている。例えるなら、東京は「未来の世界の象徴する研究所」とも言えると思います。しかし、東京にはもっと市民が参加できるスペースが増えていくべきです。
東京はインフラなどが非常に整っている街ですが、同時に、公共空間が完璧なまでに規制されている。都市計画において、重要なのはやはり人(市民)です。人をどのようにインフラに組み込んでいくかということを考えていきたいと思っています。
1964年に東京オリンピックが開催された時代は、新幹線やモノレールが開業するなど、東京は大きく造り替えられました。「人」よりも、「街」を整備していくことが重要視されていた時代で、それによって東京の顔はガラリと変わりました。世界のあらゆる都市で、その状態が今も続いています。まずは東京という街を、車や電車のためではなく、住む人のためにある空間に戻すということが重要だと思います。
——東京の人口は約1300万人で、アルスエレクトロニカが誕生したリンツ市の人口の70倍です。東京のような巨大都市でも、リンツ市のように市民が一帯となって参加するイベントや大規模な取り組みは実現できるのでしょうか
都市のスケールを考えると、アルスエレクトロニカがリンツ市でやってきたことをそのまま東京でも適用するということはできないでしょう。そのため、アルスエレクトロニカの取り組みをそのまま導入するのではなく、アルスエレクトロニカの考え方や、市民一帯となって都市を発展させていくためのアプローチの仕方を伝えていきたい。
さまざまな感情を持つ人々が、近代テクノロジーを駆使して、どうすればもっとクリエイティブになるか。未来に向けてどのような目標を作っていけばいいのか。アーティストは批判的な視点を持って物事にアプローチします。ひとつの課題に対して何が問題になっているのか、どこに改善できる可能性があるのか、そしてどう変えていくべきなのか、批判的に考えていきます。アルスエレクトロニカのコアとなる考えでもある、こうした物事のアプローチの仕方をインプットすることが役目だと考えているため、人口が多い・少ないは論点ではありません。
——オリンピック開催を控えた東京に必要なものは、何だと思いますか
まずは過去の間違いから学ぶということが大事だと私は考えています。その間違いとは、すべてが「最先端テクノロジーを街に順応させる」という目的に偏っていたことです。1960年代は、車というテクノロジーを街に順応させました。しかしこれからの時代は、テクノロジーのために都市開発を実現するのではなく、「人のために街をつくる」という考え方を持つべきだと思っています。
これからはスマートシティ(※)を実現していく時代です。新しい時代に向けて、都市を変えていかなくてはいけません。
スマートシティをどう実現していくか、それを考えることも大事でしょう。しかしそれよりももっと重要なことは、“スマートシチズン(市民)“をどう育成していくか考えることだと思います。あらゆる視点を持ち、課題に気付き、批判的なアプローチをしていくスマートシチズンを育成していくことが重要です。
(※)ITや環境技術などの先端技術を活用した次世代都市。東京都の小池百合子都知事も、「新しい東京」をつくるための重要な政策のひとつとして、この言葉を使っている。