学校という集団が苦手、大人になっても職場の飲み会が苦手、でも「ひとり」行動にはどうしても罪悪感を感じてしまう——。
ハフポストの企画「#だからひとりが好き」には、悩みを抱えた人々から大きな反響が寄せられている。そんな、本当は「ひとり好き」な私たちに勇気を与えてくれるのが、朝井麻由美さんの著作『「ぼっち」の歩き方 魅惑のデートスポット編』(PHP研究所)だ。
『「ぼっち」の歩き方』に掲載された、ひとり二役で節分に「ひとり豆まき」をする朝井麻由美さん。撮影もセルフタイマーで。
朝井さんはこの本の中で、ボーリング、井の頭公園のボート、豆まき、バーベキュー、誕生日パーティー、果てはラブホテルまで、すべてに「ぼっち」で果敢に取り組み、その様子をレポート。「ひとり」の哲学を突き詰めている。
若干の哀愁も漂わせながらも、「ぼっちを謳歌する方向に舵を切った今、私はとても生きやすい」とまとめられた思いは力強く、迷いがない。
朝井さんは、「ひとり」をどう生きているのだろうか。思いを聞いた。
学校文化に馴染めなかった
——朝井さんが「生きやすくなった」以前のこと、生きづらいと感じられていた時代のことを教えてください。
高校までは、やっぱり、学校文化になじめない感じはずっとありました。
小学校ぐらいからでしょうか、いわゆる「グループ」があって、そこに馴染めないと生きていけない、みたいな感じの雰囲気がどうしてもありますよね。
私も「ひとり好き」と言いつつ、浮くのはやっぱり嫌だったんで頑張っていたんです。馴染めない感じはずっと持っていたんですが。
完全にハブられるだとか、いじめられるとかではなく、なるべく、どこかのグループには入るようにしていたんですよね。
でも、「どうして教室移動で一緒に行かなきゃいけないんだろう」とか、「どうして一緒にトイレに行くんだろう」とか、疑問に思っていました。
——小学校ぐらいだと女子の方が「グループ」の同調圧力みたいなものが強いかもしれないですね。
それだけでなく、学校側から強いられるグループ行動っていうのもありますよね。修学旅行とか、遠足とか、体育のダンス発表とか、何かにつけて班行動が強いられる機会が多いですよね。
否が応でも、学校生活の中にはグループ行動が絶対にあるので、避けられないんですよ。学校側が作るグループでみじめな思いをしないためには、やっぱり普段からちゃんとグループに属してないといけないので。普段のグループが、そのままそういう発表のグループとかになりがちですから。
そういう辛さは、高校生ぐらいまで続きました。
——それが馴染めなくて、学校に通えなくなってしまう人もいますね。
ただ、私自身は、すごく疑問を持っていたわけではないんですよ。なんとなく居心地の悪さを感じつつも、こういうものなんだって、思っていました。
疑問を持っている人だったら、多分、学生時代でも、ひとりで行動してますよね。そういう人も実際にいました。一匹狼的な人が羨ましいと思いつつも、私にはできないなって思っていたんです。
大学でICU(国際基督教大学)に入って、詰まってた息が解き放たれた感じがとてもありました。大学は単位制で授業もバラバラだし、校風としても個人主義的な雰囲気があったので。
ひとりで行動してもいいんだって最初に思ったのは、大学に入ってできた友達が、「私、別にラーメン食べたかったらひとりで行くよ」と言っていたことです。これ、結構衝撃だったんです。そのセリフがそんなにケロリと言えちゃうものなんだ、って。
それまでって、ラーメンを食べたいと思ったら人を誘ってましたし、ひとりで行っちゃいけないと思っていたので。
今でこそひとりでラーメンを食べに行く女性は珍しくないですが、当時は、まだまだひとりでは行きづらいっていう感覚が社会の中にもあったんです。その中で、これ、やっていいことなんだ、っていう風に思って、私も真似して「ひとりラーメン」を食べに行ったのが、割と最初の「ぼっち」的記憶ですね。
「ひとりラーメン」が人生の幅を広げた
——それからは意識的にひとりで行動するようになったんですか?
そうですね。憧れてはいたし、単純に「ラーメン食べたい」と思ったときにいちいち人を誘うのは面倒くさいとも正直思ってましたし、ひとりで行ってもいいんだったら、こんないいことはないなって思いました。
その足かせが外れたのは、その瞬間からかな、という感じがします。
——気の持ちようというか、ささいなことだけれど、人生が変わりますね。
そうですね。本当に幅も広がりますし、それまでは行きたいのに我慢することがすごく多かったなって思うんですよね。どこかに行くにしても誰かを誘わなきゃいけないし、でも基本的に、そんなに人を誘うのも得意じゃないですし。
やっぱり誘うときって、その時点でまず気を遣うというか、相手にそこの店に本当に行きたいと思ってるかな?って気にするわけですよ。「本当にいいと思ってるのか」とか、何段階にも悩んでしまう。
そういう、気持ち的なコストがかかるのと、単純に時間をすり合わせる作業をしなければならないのとで、コスパが悪いですよね。
なので、思い立ったときにひとりでヒョイって行けると、行ける場所の幅が広がるなって思います。
――誰かと行動するのって、人が多ければ多いほど無駄な時間も増えますよね。
私、あれも嫌なんですよ。例えばみんなで、ご飯や飲み会とかに行ったときになかなか移動しない問題。あれにすごくイライラして。二次会に行く行かないとかの話とか、ありますよね。
——ああ!めちゃくちゃ嫌ですね。一連の「行くの?行かないの?帰る?どうする?」みたいな。
居酒屋の前で撮る写真も、本当に嫌で。しかもあの写真、いつも思うんですけど、みんな後ろに行きたがりますよね。どうせ誰かは前列で写らなきゃいけないんだから、全員が後ろに行こうとしていたらいつまでたっても終わらないのに!
私、もうそれが面倒くさくてすぐ前に行きます。さっさと終わらせたいから。
しかもああいう写真って大体、暗いから微妙な写りだし、それをFacebookに載せられたくないとも思いますね。
集合写真って、そのときの会のことを思い出せないですしね。写真がFacebookで投稿されたり、LINEとかで送られてきたりもするじゃないですか。でもその集合写真は、保存したことがほとんどないですね。本当に要らないですね。
だから、それが嫌で途中でサッと帰るでもいいし、そもそも行かないでもいいし、そういうことが、許される場が最高だと思います。でも多分、そんな自由な振る舞いが許されない組織とかもありますよね。
——職種によってはありますよね。
それこそ堅い職種とか、日本系大企業とかは、行かないと許されないみたいなところが多いと思うんです。例えば、商社とか銀行とかでしょうかね。クリエイティブ職の方が比較的自由だと思うんです。
あと、マッサージに行ったときに話しかけてこないでほしいっていうのもありますね。絶対、嫌なんですよ。マッサージされている、この気持ちに集中したくないですか。
——分かります。
「私は凝りをほぐされてるー、今」って思いたいのにって思います。最近は予約のときに、備考欄に「施術中に話しかけられるのが苦手で静かにしたいです」みたいなのを書くようにしてます。
——あ、そう書けばいいんですね!
それを書けば話しかけてこないですね。セラピストの方も、お客さんと話すことが癒しになると思って仕事でされていることだと思いますので。でもそれって、本当に人によりけりですし。美容師さんも同じで、多分、おもてなしのために話してくれているんでしょうね。でも私は、そういう会話に疲れてしまいます。
「ひとりラブホ」でシャンパンを注文した朝井さん 『「ぼっち」の歩き方』より
「コミュニケーションにかける燃費が悪い人間だと思う」
——コミュニケーションが癒しになる人とそうじゃない人がいると。
そうそう。私、結構、コミュニケーションにかかる燃費がすごい悪い人間なんだなって思うんです。
人が、誰かとコミュニケーションをとるときに使うエネルギーが1だとしたら、私は多分8ぐらい使っちゃうんだなという感じです。
最近、Twitterでも、内向的な人と外交的な人の違いの漫画が話題になりましたよね。
「内向的な人は、人と会うことではなく、ひとりでいることで充電するようにできているから、外交的な人とはそもそも違っている」という風に描かれていて。まさに私もそうだなって思いました。
——じゃあ朝井さんも内向的な方ですね。
そうですね。多分、内気ではないと思うんですけど。性格診断のようなものでは、絶対に「職人気質」みたいな診断になります。だから内向的だと思います。
「女性は話したい生き物」っていう風潮も、ちょっと意味が分からないですよね。あれは非科学的ですよ。「別に私、話したくないけど」みたいな、何言ってんだろうってよく思います。
——ライターは初対面の人と、お話される仕事でもありますけれど。
私は、仕事だからって思えばできるほうで、お金を頂いてるものとか、その後に何かつながる仕事だからっていう風に思えば大丈夫ですね。そこは、一種の割り切りでやっています。
あとは、仕事だと目的があるから分かりやすいなって思っていて、今みたいに「ぼっちの話を聞きに来ました」っていう依頼で、それがあればその話をすればいいからいいんですよ。頭をそこまで使わない。でも、雑談は辛いです。
——パーティーのスモールトークは苦手ですか。
立食パーティーとかで、「初めまして。何されてるんですか」「普段、休みの日は何されてるんですか」とか、苦手なのはそういう会話ですね。目的がないじゃないですか。
飲み会とかも、目的があればまだ平気です。「きょうはこの話をするために同じ趣味の人たちが集められました」とか、目的がはっきりしていれば、大丈夫です。
共感してくれる人の熱量がすごい
——私もそうですが、そういうお話には「分かる!」っていう強い共感を持つ方が多いのでは。
そうですね。支持していただける読者の方の熱量は本当に、すごい。よくぞ言ってくれた、共感しましたっていう反応は結構多いかなという風に思います。
共感していただける方は、「何となく社会に辛さを感じていた」という方が多いようですね。コミュニケーションが苦手だったりとか、人と協調できなかったりとか。その点で悩みを抱えた、発達障害の方からも、共感しましたという感想をいただいたこともあります。
——本では、ただ「ぼっちで行動してみました」だけではなく、毎回、一歩先のぼっちの哲学にたどり着きますね。
毎回、発見があるんです。「ひとりとは何ぞや」とか、「なぜこれをひとりでするといいのか」とか。ひとりの良さを見つけようって思いながら行動して、それをうんうん考えて、ひねり出したのが私なりの哲学、みたいな感じです。
基本的には、その場所に、誰かと行ったときにどうなるかをまず想像して、その差は何なのかな、っていうところを考えて出すようにしています。
——色々な「ぼっち」体験をされて、朝井さんにとって「ひとり」で行動する快適さは、どんな部分にありましたか?
例えばボーリングなどは、ぼんやり「そんなに楽しくないな」って思ってた程度だったんですが、ひとりで行ってみて、「ひとりの方がやりやすいけど、何でだろう?」ということを、考えました。
それで、「みんなで行くとハイタッチがあるからだわ」ってことに気づいたんです。
多分、私が嫌だったことって、あのハイタッチのテンションの高い感じ、それが苦手だったんだ、っていうことに気づいて、ハッとしました。
そして、ひとりで井の頭公園のボートに乗ったときに思ったのは、すごく淡々とした時間が過ぎるんですが、それが結構楽しかったんですよ。淡々としてて。全然、ドラマチックではないんですけど。
でも誰かと行くと、よほど信頼できる仲じゃないと気まずさが生まれてしまう。「盛り上がらなければならない」みたいな雰囲気になりがちなんだな、と思いました。
だから、淡々とした楽しさがある趣味に関しては、人と行って「盛り上がらない感じ」がしてしまったら、結果、その楽しさが見えなくなってしまうというようなことがあるんだ、と思いました。
ドラマはないけど地味に楽しい、みたいなところには、ひとりで行ったほうが良さを感じやすい。
「頑張って盛り上げよう、盛り上がろう、この場を楽しもう」みたいな気負いがなくなるからなんでしょうね。
そういう話は、本当にこの取材を経て、だんだん分かってきたのが正直なところです。3年間の取材の中で、自分の中でどんどん言語化できてきたなと思います。
——逆に、本の中には、「ひとりバーベキュー」に行ったのに、火のつけ方がわからず挫折。「ひとりではできないこともあった」というエピソードもありました。
バーベキューのときに考えたのは、結局、ひとりで行動するには、その分のスキルが必要になる、ということでした。
ひとりでバーベキューをしたければ、全部、ひとりで荷物を持って、全部ひとりで火を付けなければならない。スキルも必要だし、荷物を持つことも、要するに物理的なコストをかけなければいけない。
それをみんなでやると、協力して火をつけられたり、協力して荷物を持って行けたりする。それって、絶対に、みんなで行くことの利点ではあるんですよ。
けれども、それをひとりで背負ってまで、コミュニケーションをしなければいけない辛さを避けるかどうか。それは、両方を天秤にかけて、自分がどっちを取りたいか、という話なんだろうなと思いました。
ひとりラブホを体験する朝井さん。ベッドもひとりで使うと広くて快適。『「ぼっち」の歩き方』より
「『ひとり』を押し付ける気はない」
——この本はある種の重いテーマを含んだ内容ですが、ユーモアたっぷりに書かれていて、アハハと気楽に読めますね。
偉そうな感じになるのが苦手なんです。「ぼっち」の第一人者みたいな感じで「教えを乞う」みたいな立場で来られると「いや。もうちょっと。そんなもんじゃないです」みたいな感じになってしまいます。
別に、私は何も高尚なことをしているわけではなく、「ぼっちの人を救う」みたいな、おこがましいことも考えてなくて、私は自分のしたいライフスタイルをしているだけなので。
だから、ユーモアとかウケ狙いっぽい笑いがないと、教祖みたいになっちゃうので、嫌ですね。
それは、上から教える立場になっちゃうと、押し付け感が出てしまうから。そうなってしまうと、私が書いてることと、そもそも矛盾してくるとも思っているんです。
ひとりで行動したいっていう大きな動機のところが、何よりも、集団を押し付けられたくないということに端を発しているので。
——「ひとりを押し付けるつもりではない」ということですね。
集団を押し付けられたくない。でも、私は、ひとりを押し付けるつもりもないんです。
集団行動が好きな人はそれをすればいい。でも、私はちょっと馴染めなかったから、ひとりっていうライフスタイルを見つけた。
だから、「集団はダメだよ。ひとりのほうがいいんだよ」っていうことは絶対に言いたくないんです。
(インタビュー後編はこちら:ひとりで過ごすことに罪悪感があるのは、一体なぜなんだろう?朝井麻由美さんに聞いた。)
▼プロフィール
朝井麻由美(あさい・まゆみ)さん
ライター・編集者。東京生まれ東京育ち。血液型O型。東京都立西高等学校、国際基督教大学教養学部教育学科卒業。レッツエンジョイ東京で連載中の『ソロ活の達人に聞く』を元に『「ぼっち」の歩き方』(PHP研究所)を出版。その他の著書に『ひとりっ子の頭ん中』(KADOKAWA/中経出版)、『女子校ルール』(中経出版、構成担当)。公式サイト、Twitter(@moyomoyomoyo)。