女の子たちの足をきつく縛って小さくする「纏足(てんそく)」は、中国で早くて10世紀にはあったと考えられている。望ましい結婚相手をみつけるための習慣と広く信じられていたが、新研究は別の理由を明らかにした。(BETTMANN VIA GETTY IMAGES)
今では恐ろしくて時代後れで、性的な習慣だと考えられている纏足(てんそく)。
中国の年若い女の子たちが痛みを我慢して足を小さく折り曲げる理由を、歴史学者たちは、男性を魅了するためと考えてきた。
小さく曲げられた足は、蓮の花になぞらえて「金蓮」と呼ばれた。刺繍をした靴に詰め込まれた金蓮は優美で華奢、そして社会的地位が高いことの象徴でもあった。
しかし新研究によれば、纏足には別の理由もあったという。
スタンフォード大学出版から1月に発行された「Bound Feet, Young Hands (曲がった足、若い手)」によると、纏足には、織物などの仕事を手伝うために女性たちを何時間も座らせるという目的があった。
本の著者であるローレル・ボッセンとヒル・ゲイツは、纏足の歴史を調べるために中国の人里離れた村に住む1800人以上の高齢の女性に話を聞いた。そして、纏足が農村部でも広がっていた習慣だったという事実を発見した。これは「纏足はエリートの象徴」だという概念を打ち崩す発見だった。
ボッセンらが話を聞いた女性たちは、纏足がまだ伝統的な習慣として受け継がれていた時に生まれていた。
纏足がいつ始まったのかは正確にわかっていないが、ボッセンはこの習慣の始まりは、早くて1000年前にさかのぼると考えている。
「纏足をした最後の世代は亡くなりつつあります。しかし私たちは幸運にも、たくさんの女性に話を聞くことができました。これほど広範囲に渡って、纏足をした女性から聞き取り調査をしている研究データは他にありません。これだけの大規模調査をする、最後のチャンスだったと思います」と、ボッセンはハフポストUS版に語った。
農村部での纏足の習慣は、規律を保つための手段だったとボッセンらは考えている。幼い娘の足を曲げることで、母親たちは娘たちは長時間座らせ、糸を紡ぐなどの手を使った仕事を手伝わせて家の収入を増やす。
「娘たちに纏足をした母親たちは、娘たちを労働力にしようと考えていました。『纏足した女性は仕事から免除され足を大切にしながら生きていた、彼女たちはお金を稼ぐ存在ではなかった』という見方は間違っていると思います。女性たちは手仕事のスキルを身につけ、生涯にわたって仕事をしていたのです」とボッセンは述べた。
ボッセンはまた、纏足をした農村部の女性たちはこれまで正当に評価されてこなかったと考えている。
「中国の女性は、これまで評価されてきた以上に社会に貢献してきました。織物をするなど大きな貢献をしてきたにも関わらず、それが低く評価されていた、もしくは忘れ去られていました」
一方で、「纏足が男性を魅了するためだけの習慣ではなかった」としても、それが女性たちにとってつらい習慣ではなかったという結論にはならないとも述べる。
「若い少女や女性たちは、移動する、遊ぶ、選択肢を持つといった機会を奪われました。ひどい習慣でなかったとは言えません」
纏足は20世紀の初めに禁止された。しかしボッセンがインタビューした女性たちのように、生涯足を折り曲げて過ごしてきた女性たちもいる。ボッセンは、彼女たちの存在が歴史に埋もれてしまった可能性もあると考えている。
ボッセンとゲイツはこれまで信じられていた「纏足は、女性を男性にとって魅力的で望ましい存在にするための習慣だった」という説を、否定しているわけではない。
これまでの説を肯定する調査結果もある。たとえばヴァージニア大学の調査では、纏足をした19世紀の中国人女性が「足が小さく折り曲げられているほど、良い夫と結婚できると信じていた」と証言している。
しかしボッセンとゲイツは、今回の研究では、女性たちが性的な対象として扱われていた一方で、家族や社会のために一生懸命働かなければいけなかった女性たちもいたことが明らかになったと考えている。
「工業化される以前の中国における手仕事の重要性は、軽視されがちです。女性たちは、家族のためにお金を稼ごうと糸を紡ぎ、機を織り、縫い物や刺繍をして洋服や寝具、織物をつくっていました。それが女性たちにどれほど大きなプレッシャーをかけていたか、これまできちん認識されていませんでした」
「これまで、纏足した女性たちの足ばかりが注目されてきました。その一方で、女性たち自身や彼女たちの果たしてきた役割は無視されてきました。纏足した女性たちの手仕事に注目した人や、年老いた女性たちに、若い時にどんな仕事をしてきたのかを尋ねる人はとても少ないのです」
ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。