小学4年生の菫(すみれ)は、両親が離婚して、お母さんと二人暮らし。好きなTVドラマは「相棒刑事」で、将来の夢は小説家になること――。
『すみれファンファーレ』(小学館)というマンガで描かれているのは、10歳の少女のささやかな日常の出来事だ。にも関わらず、大人の読者から「すみれちゃんと友達になりたい!」「子どもらしい行動のおかしみと、大人のシリアスな問題が絶妙なバランスで共存していて、癒されつつも涙してしまう」などと支持され、「THE BEST MANGA 2013このマンガを読め!」では6位にランクイン、「これも学習マンガだ!」で「多様性」カテゴリーに選出されるなど、注目を集めてきた。
いつもと変わりない日常を生きる多様な家族のかたちとは? 5年に及ぶ連載を完結させた作者の松島直子さんは「どの家庭も問題はあるし、衝突すること、悲しいこともありますよね」と子ども時代を振り返りつつ語った。
『すみれファンファーレ』の著者・松島直子さん (c)波多野公美
■離れて暮らす父、出迎えてくれたのは再婚相手の女性だった
――『すみれファンファーレ』1巻の最初のエピソードではすみれが、離れて暮らす父親のもとへ新幹線に乗って会いに行く場面から始まります。けれどホームで出迎えてくれたのは、父の再婚相手の若い女性だった。
連載を始めるきっかけとなったその話、「夕暮れの花束」はもともと投稿作でした。私の母は三姉妹なのですが、両親が離婚しているんですね。それで母の父親、つまり私にとっての祖父とは離れ離れで暮らしていて。母たちは当時住んでいた山口から、祖父がいた名古屋まで夜行列車で会いに行ったことがあるそうなんです。
祖父にはすでに新しいパートナーがいたそうですが、母が祖父について語るときの口調はいつもとても自慢げでした。「あ、大好きなんだな」というのが子ども心にもすごく伝わってきました。だから私も祖父に対しては悪い感情がないし、パートナーだった女性のことも「さん」付けで名前で呼んでましたね。娘である母としては彼女に複雑な思いはあったとは思います。
大学卒業後、マンガ家になろうと決めて投稿を続けていたときに、ふっとそのことを思い出したんです。「じゃあ逆に、お父さんに会いに行ったけど、会えない女の子の話はどうだろう」って。その作品が「IKKI」という青年マンガ誌の新人賞を受賞してデビューにつながりました。
編集部に保管されているネーム。丁寧なイラストやメモがぎっしり書き込まれている (c)波多野公美
■離婚した両親、父には新しい妻。でも誰も悪くはない
――離婚も再婚も大人側の選択ですが、誰かが「悪者」であるかのような描き方は一切されていませんね。むしろすみれの母、父、その再婚相手、全員が自分の決断に罪悪感を抱き、自信を失っています。
誰かを悪者にしないように、というところはやっぱりすごく気をつけました。どの家庭も問題はあるし、間違ったり、衝突すること、悲しいこともきっとたくさんあると思うんですね。家族っていいことばかりじゃないものだから。
子どもの頃、「こんなに家族のことで悩んでいるのは私だけなんじゃないか」と自分の家以外のおうちがすべて幸せそうに見えていた時期があるんです。中学生になったある日、エレクトーンの先生にその気持ちを打ち明けたら「直子ちゃん、問題のない家庭はないよ」って言ってくれたんですね。
その言葉を聞いて「あ、もしかして先生のおうちでもそういうときはあるのかな」と初めて気づきました。先生のおうちはとっても素敵だし、先生はきれいで、皆の人気者で、幸せそう、楽しそうに見えるけどそうじゃないときもあるのかもしれないな、って。
自分の家の中のことって、他の人に話しても伝わらないだろうな、わかってもらえないだろうな、という気持ちが昔からあるんですけど、だからこそ、私は『すみれファンファーレ』を描いたのかもしれません。家族のいいところや、そうじゃないところ。そういう言葉にしづらいものをマンガという形でポップ化してみる、そんな気持ちで描いていました。
■マンガの形でポップ化することで、当事者じゃない人にも届く
――母子家庭の心細さ、綱渡り感、それから離婚によって自信を失ってしまったすみれの母・真理子の姿も全編に渡ってリアルに描写されています。
『すみれファンファーレ』より
私は子育ての経験がないのですが、そんな自分がきちんとこの物語を終わらせることができるのか、特に最終巻を描き下ろしている間はとても不安でした。でも体験したから描ける、体験していないから描けない、っていうのは違うかもな、とも考えていて。自分が子どもとして親に愛情かけて育ててもらったときのことを思い出しながら描けば大丈夫なんじゃないかな、と。
もしも母子家庭の描写をリアルだと感じてもらえたのなら、「すみれって、真理子ってどういう人なんだろう」と「個」としての彼女たちを見つめて考えぬいた結果なのかなあ、と思います。
『すみれファンファーレ』より
――アルコール中毒の父や、闘病中の母がいる家庭のエピソードなど、子どもたちが直面するシビアな現実も描かれていますね。
家族の問題を描いたとき、その当事者にしかわからないような作品にはしたくなかったんです。届ける先は同じようにつらい人だけ、その人たちとだけと分かち合いたい、という方向性じゃなくて、むしろ逆。マンガの形でポップ化、一般化することで、当事者じゃない人にも届くような物語にしたい、というのは意識していました。
――毎回1話読み切りで、重いテーマを扱っていても、読後感はいつもじんわりあたたかいですね。
マンガを読むのって一種の憂さ晴らし、娯楽ですよね。現実をひととき忘れられるような、読み終えた後に少し心が軽くなるようものを描きたい、という気持ちが『すみれファンファーレ』に関してはありました。
でもちゃんと自分なりの思想性みたいなものを描かなきゃ、という気持ちもあって。描いている最中はどうしてもどっちかに偏りそうになるんですが、そのふたつを自分の中でパタパタパタと裏返していく、そういう作業の繰り返しでした。
■いつの時代でも親は子を傷つけてしまう
――物語の終盤でキーパーソンになったのはすみれの祖父ですね。祖父と母、母とすみれ、それぞれの親子関係を通じて、親という不完全な人間の悲しみと、それによって傷つけられてしまう子どもの切なさが浮かび上がってきます。
すみれの母親の真理子は、いいお母さんだと思うんですね。でもどんなにいいお母さんでも、子どものことを傷つけてしまうときもあるかもしれませんよね。誰だって生きていく上では誰かを傷つけるし、傷つけられてしまう。どんないい親御さんでも、たぶん。
そうやって傷ついてしまったすみれが、彼女の中の激しさをどんな風に表現するのか、ということを最終巻では表現したかった。すみれという「個」にとっての人生の一番は一体何なんだろうってことをつきつめて考えたら「これだね」って思えるものが見つかって。だからラストはもうこの道以外にはない、と思えるところまでいけました。この作品に後悔はありません。
『すみれファンファーレ』より
――担当編集者によると、最終巻の原稿を読んだ編集長から「すばらしい!」と感想付きの付箋が貼ってあったそうですね。大切な人に気持ちを「伝える」ことの大切さ、そして悲しみの先にカタルシスを感じました。
ありがとうございます。カタルシス、感じてほしかったんです。連載中は悩むことも実は結構あって(笑)。でも沈めば沈むほど、美しい物語が描けるような気もしていたんです。そういう自分の心の働きを利用して描いた部分もあるかもしれません。
――もう次作の構想はありますか?
具体的にはまだ決まっていませんが、次はラブストーリーを描きたいですね。人を愛するっていうことを真面目に、クソ真面目に描いてみたい(笑)…と思っていますが、描けるかな? どうでしょう…全然違ったものになったりして。どうなることやらです(笑)
(取材・文 阿部花恵)
「家族のかたち」の関連記事はこちら。
▼画像集が開きます▼
(※スライドショーが開かない場合は、こちらへ)