カリフォルニア美術大学に通うハワイ出身のキアナ・カーンスミスさんは、日本人とジャマイカ人の両親を持つ。
カーンスミスさんはマルチレイシャル(さまざまな人種の血を持つ人)が持たれる誤解や複雑な気持ちを「パピティ」というキャラクターで描いている。
パピティは犬と猫のミックス(子犬のパピーと、子猫のキティをあわせた造語)だ。
マルチレイシャルとして自分が感じていた気持ちをカーンスミスさんはこう話す。
「たくさんの人が、私以上に私がどういう人間かを知っているように感じてきました。人種的な背景に基づいて、私がどんな人になるべきか、どう振るまうべきかを周りから言われている、そんな感じです」
「人種とコミック」の授業で受けた、自分の経験に基づいた作品をつくるという課題で、カーンスミスさんはパピティをつくった。
(KIANA KHANSMITH)
パピティは、外見が周りと少し違うことで、どこにも属していないような気持ちをいつも味わっている。
それはきっと、マルチレイシャルの人たちが感じている気持ちだ。
その複雑な気持ちをを、カーンスミスさんはパピティを通してこんな風に描いている。
私たちは、ようやく彼らを受け入れ始めた。
しかし今でも、彼らがどこに属するのかわかっていない。
……そして時には、
本人たちも、わかっていない。
パピティは、ステレオタイプで判断される時もある。そしてそれは、カーンスミスさんが子供の時に経験に基づいている。
どのグループに属するのか、決められてしまうこともある(たいていは、ステレオタイプに基づいて)
猫:「君、耳が垂れているんだね。それに鼻が大きいね」
猫:「かわいいと思うよ。それにとてもユニークだ」
カーンスミスさんは自身の経験を振り返り「黒人、アジア人両方のステレオタイプにはめられ、私が何かを達成してもそれには目を向けてもらえないこともありました。『無視すればいいよ、君は君なんだから!』と言ってくれる人もいました」と話す。
その言葉は嬉しかったが、幼いときは、なかなかそんな風には考えられなかったそうだ。
ステレオタイプと「こう振る舞うべき」という期待が原因で、周りが「あなたが誰か」を決めてしまうことがある
遠吠えをすると猫たちに引かれる。魚を食べると、犬たちから嫌がられる。
猫たちから「君は犬だ」と言われ、犬たちからは「君は猫だ」といわれる。
「複数の文化をあわせもつ」ということを、理解できない相手もいる
猫「投げた物を取りにいく猫なんて、初めて」
パピティ「家族の半分は犬なんだ。だから子供の頃からやってたんだよ」
猫「ごめんなさい。あなたが猫だと思ってた。犬でもあると思っていなかった。さっき木に登っていなかった?」
パピティ「木にも登るよ」
猫「そうなの?犬が木に登るって、あまり聞いたことないな」
犬「あ、君は犬じゃないね」
パピティ「犬だよ。半分猫なんだ」
犬「そうなんだ!初めまして子猫ちゃん」
「ミックスなんだね。すごくエキゾチック」
マルチレイシャルは文化も伝統もさまざま。
犬と一緒に骨を食べ、遠吠えをして
フリスビーをキャッチする
カーンスミスさんは全てのマルチレイシャルの人たちの気持ちに寄り添いたいと思って、主人公を動物にした。
そしてその狙い通り、カーンスミスさんの気持ちは大勢の人に届いた。
パピティをSNSのTumblrに載せると、たくさん人たちから好意的なメッセージが寄せられた。中にはパピティを絵本にして欲しいというリクエストもあったそうだ。
「マンガにすごく勇気付けられた、自分たちのことが描かれて嬉しい、といったメッセージがたくさんの人から届きました」と、カーンスミスさんは語る。
そして、複雑な気持ちを感じる時はあるけれど、マルチレイシャルとしてアメリカで生きるのは「同じくらい特別で美しい経験」とカーンスミスさんは話す。
マルチレイシャルのパピティは、マルチレイシャルだからこそ同じように「周りと違う」と感じている人たちの気持ちを理解できることに気が付く。
「こんにちは、パロットフィッシュ(インコと魚のミックス)といいます」
「わたしはパピティ!」
お互いを理解できる喜びがある
ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。
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