ゲイの歴史は大切だ。ブックカフェ「オカマルト」の挑戦

「オカマルト」は「オカマ」と「オカルト」の造語。この2つ、僕の中では同じことなのよ。

レインボーウィーク中の5月4日、東京レインボープライドの主催で「性をめぐるアーカイブの世界 ―過去を未来へ伝える―」と題したトークショーが開かれた。

LGBTコミュニティに関する資料をいかに後世に伝えるかが議論されたこのイベントにパネリストとして参加し、アーカイブの必要性を訴えていたのが小倉東(おぐら・とう)さんだ。

(撮影:波多野公美)

イベントに登壇した(左から)小澤かおるさん、石田仁さん、三橋順子さん、田亀源五郎さん、マーガレット(小倉東)さん(撮影:波多野公美)

ゲイ雑誌『Badi(バディ)』の創刊(1995年)に携わり編集長として長年にわたって活躍、ドラァグ・クイーン、マーガレットとしての活動もしている小倉さん。その小倉さんが昨年、2016年11月、新宿2丁目にLGBT関連の雑誌・書籍等を集めたブックカフェ「オカマルト」をオープンした。

出版人としての小倉さん、そしてドラァグ・クイーン、マーガレットさんがブックカフェに託す思いとはなんなのか。

小倉東さん。新宿2丁目のブックカフェ「オカマルト」で(撮影:宇田川しい)

■ 子どもの頃、はじめて読んだゲイ雑誌に感じた絶望

――小倉さんは『バディ』の創刊に携わり、編集長として日本を代表するゲイ雑誌にまで育てあげました。

新しいゲイ雑誌を作るという話を聞いて思い出したのは、子どもの頃にはじめてゲイ雑誌に出会った時のこと。小学校5年か6年の頃、近所の店に『薔薇族』(1971年に創刊された日本初の商業ゲイ雑誌)が置いてあるのを発見して「自分が求めていたものはこれだ!」と思ったの。でも手に取れないのよ。買いたくて買えなくて何日も通い詰めた挙句に万引きしちゃったの。

むさぼるように読みましたよ。男の裸の写真に興奮はするんだけど、よくよく読んでいくとイヤーな感じがした。当時の『薔薇族』はホモであることは隠して世間体のために結婚して、でも夜はゲイバーで遊べばいいじゃないみたいな主張をしていた。それを読んだときに絶望感しかなかったの。万引きをしてしまったという後ろめたさも重なって、男が好きであるってことは、こんな犯罪をおかさなきゃいけないような悪いことなんだろうかって。

『バディ』を創刊する時に、自分が子どもの頃に買えなくて、万引きして読んで絶望したような本にはしたくないと思った。それで仕事を引き受ける時に自分で目標を2つ決めた。まず『薔薇族』の売り上げを抜く。そして、昔の僕のような子が読んで、ああ良かったと思える本にする。

僕は創刊当初からゲイリブやHIVについての硬派な企画を提案していたけれど、ある日、オーナーから呼び出されて「ゲイリブとエイズの話は売れなくなるから載せないで」って言われたの。勝気な性格だから、じゃあ、売れればいいのよねって言ってそのまま帰ってきた。その後はもう必死で売り上げは作りましたよ。

――『薔薇族』の売り上げを抜くためにどんなことをしたのですか。

『薔薇族』は作り手が顔を出してなかった。知らない人が書いている情報を、ただ受け取るだけの読者。それじゃ絶対、本が良くなっていかない。

だから自分が作ってますって名乗りを上げようと思った。そうすると、おまえが言ってること違うよって読者が文句を言える。文句を言われたほうはそれにちゃんと答えていく。編集者やライターが顔出しをするっていうのは僕が主張して『バディ』で仕掛けたの。

編集部の中には「編集者が誌面に顔なんて出すもんじゃない」って言う人もいました。昔の編集者には黒子に徹するべきみたいな職業意識を持つ人もいたんです。だけど僕は自分たちが顔をバンバン出していくことで「ゲイだって言っても大丈夫なんだ」みたいなイメージを読者に与えられるんじゃないかとも思ってたんです。

「ゲイが亡くなった時に思いの詰まった本を何もわからない親類縁者の手によって捨てられるのは忍びなさすぎる。それを少しでも集めておこうと思ってLGBT関連の本を意識して集めはじめたの」と小倉さん(撮影:宇田川しい)

■ 「フーコーから風俗奇譚まで」、きれいごとだけではない資料を残したい

――昨年の11月にブックカフェ「オカマルト」をオープンされました。

きっかけはゲイ雑誌で活躍されていたイラストレーターの木村べんさんが亡くなったことでした。友人を介して、べんさんの蔵書を引き取ることになった。その時に、はっと気がついたのが、べんさんのように活躍したイラストレーターでさえ本人が死んだら大切にしていた本も彼がゲイであったということと一緒に葬り去られちゃうんだなあっていうこと。

べんさんがゲイとして生きてきた時代の証がその本にあるとするならば、大切に次の世代に伝えていかなきゃと思ったの。それに海外に行った時、ゲイのコミュニティを見ると必ずアーカイブを持ってるんだよね。ちょっと羨ましいなあって思っていて、そういうのがあったらいいんじゃないかなって。それでブックカフェをオープンしたわけ。

――アーカイブという意味ではブックカフェがやれることには限界もあると思います。公的な機関できちんと保存する必要がありますね。

確かにそうです。ただ問題は行政が手がけるとなると国会図書館クラスでなければ、うちのようにいわゆる「エロ本」を置くのは難しいということ。

うちの蔵書を公共の施設に持っていくとたぶんエロ本は弾かれちゃう。でも、ゲイがなにか表現をするとしたらエロ本しかなかった時代もあるのよ。優先順位としてまずエロのことを表現したかったんだもん。僕はそういう部分をちゃんと残して、言ってみれば「フーコーから風俗奇譚まで」残したい。大学とかもそうなんだけど、フーコーの部分はありがたがってくれるんだけどエロの部分は飛ばしちゃうんだよね。

今のLGBTブームと同じでキレイな部分だけで認めてもらおうとするのはウソだと思うの。セックスの部分を認めてもらわないと、いつまでもノンケさんに合わせて認めていただく立場になっちゃう。異性愛中心の社会の中で、異性愛に尻尾を振って異性愛の規範でゲイが生きて行く必要なんかさらっさらないんだよって言いたい。

三島由紀夫も寄稿したと言われるゲイ同人誌『アドニス』を手にする小倉さん(撮影:宇田川しい)

■ 地下に押し込められたものとしての「オカマ」と「オカルト」

――「オカマルト」という店名は挑発的ですね。「オカマ」という言葉は差別的であるとしてしばしば物議を醸します。

オカマルトは、オカマとオカルトの造語なの。この2つは結びつかないようだけど僕の中では同じことなのよ。オカルトっていうのはキリスト教っていう文化が世界を支配していく時にそれまでの土着の信仰を地下に押し込めてしまったもの。

同性愛も異性愛という一つの文化が世界征服をしていく時に地下に押し込めてきた文化なの。でも決してなくなることはない。だってギリシアの神々だってエジプトの神々だっていなくなったわけじゃないからさ。

最近はポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)なんて言葉が流行っていて、「傷つきました」って言ったもん勝ちみたいになってる。でも、まずその言葉でなぜ自分が傷つくのかという自分の側のメカニズムを解き明かしてから文句言おうよって思うの。なぜ自分がオカマという言葉で傷ついてしまうのかを読み解くとそこに差別の構造が浮かび上がってくるだろうし、オカマという言葉の存在で救われてきた人たちの存在を知って尊重することにもなる。

オカマと自称し、オカマという言葉をめぐって論争となった当事者である東郷健さんのような人の思想も知るべきでしょ。東郷さんは雑民という言葉で、オカマのような差別語を自分たちが引き受けて世の中を変えていこうとした。

東郷さんは過激すぎる印象で、若い時は僕も認められなかったの。でも、今、この年になると、彼のやろうとしていたことはある意味の理想主義なんだなあと思えてきた。彼は自分の性愛に直結してものを考えていた人だからもっともゲイらしいゲイだったと思う。

ブックカフェ「オカマルト」では現在、東郷健さんの特集展示を実施中。肉筆原稿も見ることが出来る(撮影:宇田川しい)

■ 父譲りのユートピア思想

今、LGBTの活動をしている人はまず目を向けないし、むしろ目を背ける人が東郷さん。でも、もっとも原始的な形で差別を受けてきたゲイたちは彼のようなやり方を許容できるんじゃないかなあ。著作を読んでるとユートピア思想であり共産主義的な思想なんだよね。

僕の中にもユートピア思想があるの。人間がありのまま生きていて誰も傷つけることがなく、誰からも傷つけられないっていうのが理想だなあって思うのよね。格差も階級差もないのがいいなあって。そういう考え方というのは父親の「血」なのかもしれない。

僕の父親は台湾人なんだけど、わざわざ中国に渡って共産党に入党している。そして、その後、どうやら党の命を受けて日本に入国したらしいんです。あの時代にわざわざ中国に行って共産党のために働くくらいだからユートピア思想というか理想主義に燃えた人だったと思うんですよ。

僕は父親が台湾人だということでいじめられて、自分の出自を恥じるような部分もあった。けれど父親が死んだ時にそのことを受け止めて乗り越えられた。そのエネルギーをゲイとしての自分の解放に向けてきたという面はありますね。そういう個人の歴史が僕の活動の背景にはある。

最近のLGBTの活動をしている若い人たちを見ると、もうちょっと歴史を学ぼうよと言いたくなります。これまで辿ってきた道筋が未来の地図になるわけだから。まずは自分たちがどこから来て、どういう道筋を辿ってきたかを学んでいただきたい。そうすると、次にどう進んでいったらいいのかが見えて来るんじゃないのかな。先達たちがどんな道を歩んできたのかに敬意を向けて学んでいくべきじゃないかなと。

そういう意味でも、「オカマルト」がコミュニティの歴史を残すために役立てるお店になればいいなあと思います。

小倉東(おぐら・とう) 和光大学卒業後、原宿「SASHU」を経営する渡辺サブロオの元でメイクアップの仕事に携わる。雑誌での連載を契機に編集・出版業界にも参入。ゲイ雑誌『バディ』の編集長を勤めながらドラァグ・クイーン、マーガレットとしても活動。昨年11月新宿2丁目にブックカフェ「オカマルト」をオープンした。

(取材・文 宇田川しい

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