「Angel Beats!」イメージイラスト (C)VisualArt's/Key/Angel Beats! Project
「アニメにおいてキャラクターが宝石だとすれば、背景は宝石箱です」。人気TVアニメ『Angel Beats!』などの背景を手がける美術監督・東地和生(ひがしじ・かずき)さんは、自身のキャリアを振り返りながらこう語る。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002年)や『パプリカ』(2006年)などの美術監督補佐を経て、フリーランスの美術監督として独立した東地さん。『Angel Beats!』を皮切りに、『花咲くいろは』『凪のあすから』など、アニメーション制作会社P.A.WORKSの人気作品で美術背景を担ってきた。
3月17日(金)~28日にかけて、東京・秋葉原では東地さんの作品展「Earth Colors」が開催され、東地さんが美術監督を務めたP.A.WORKSの6作品から厳選した背景美術などを展示。会場を訪れたファンらは、放映当時のことに思いを馳せながら、作品を鑑賞していた。展覧会に際し、ハフポスト日本版は東地さんに展覧会の会場でインタビューをした。
P.A.WORKSと言えば、登場人物の心情やストーリーを感じさせる情緒豊かな描写や、入念なロケハンに基づく美しい背景美術などに定評があり、中には「背景のP.A.」と称えるファンもいるほどだ。そんなP.A.WORKS作品の美術背景を支えているのが東地さんだ。数多の人気アニメの背景美術を手がけてきた東地さん。かつて、先輩監督から言われた言葉が、今も心に残っているという。
「絵に感情を込めて描いたって、そんなのは愚かなことだ」
一見するとギョッとしてしまう言葉だが、東地さんは「自分の中にバシっとはまって、その通りな気が私はしてる」と語る。一体どういうことなのか。そこには、アニメーション作品とファンとの関係性を重んじる、熱き思いが込められていた。
■全てのきっかけは『王立宇宙軍 オネアミスの翼 』だった
――まず、美術監督というお仕事について、簡単にご解説いただけますか。
アニメーションでは動く絵を描く「作画」パートと、山とか木とか机とか、動かないものを描くパートに分かれています。主に風景、地面、空、山、室内を描く仕事が「背景美術」で、それをまとめるのが美術監督です。具体的にいうと、監督の指示に従って見本になる背景美術の絵を描きます。
背景美術のパートには「美術設定」という役職もあります。その方が背景となる建物や部屋のデザインを、線画でデザインする。その設計図を基に、美術監督が色を付ける。夜だったら電気で照らされた部屋、昼だったら窓から光が入った部屋といったように、時間帯によって描き分けなきゃいけない。見本になる絵をシーンごとに描いて、それをスタッフに渡し、「このシーンはこの色で描いてください」と伝えます。この見本絵(ボード)を基に、スタッフに描いて頂く。テレビシリーズ1話あたり、大体300枚の背景が上がってきます。
それを私のほうで修正したり調整したりしながら、きれいな流れに作り直していきます。感覚的な話になりますが、水が流れる側溝というか、U字溝がありますよね。あれを各スタッフに発注して、出来上がってきたものを並べるとする。もちろん個性もあるから、そのままではきれいに水が流れません。それをカンナで削って、きれいに流れるようにするという感覚です。
その絵自体が上手・下手ではなくて、「物語としてきれいな流れになっているか」を調整します。描き上がってきた絵を、物語の流れの沿ってきれいに流れるようにするのが美術監督の仕事です。
――東地さんは学生時代はどんなことをされていましたか。アニメの世界に入るきっかけは。
大学時代は油絵を専攻していました。名古屋芸術大学の洋画科だったんですが、真面目にやっていたかっていうと…(笑)。卒業制作は真面目に作ったけど…というレベルで、偉そうに言えるような良い成績は全く残していないですね。
ずっと絵を描いてきたけれど、そのうちに「じゃあ、お前どこに就職すんの?」「お前が一番影響受けた絵って何よ?」という自問自答がありました。私の世代では、まだアニメはいわゆる「サブカル」的な扱いがあって、(好きと公言することが)恥ずかしかったり、今よりずっとそういうものであったわけです。でも冷静に考えると、自分が高校生のときに見た劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼 』(1987年)に一番影響を受けてることに気が付きました。
別にゴッホの絵でもなければレンブラントでもない。確かに印象派の巨匠たちはすごい。でも「一番影響を受けたのがアニメだった」っていうことに気付いて、「じゃあ、お前、勉強できねえんだから、もうアニメで絵描くしかねえんじゃね?」と自問自答で感じて、この業界に足を踏み入れました。『王立宇宙軍』なくして今の自分はないですね。
『王立宇宙軍』は、我々のような団塊ジュニア世代に種をまいています。同世代の人間、特に男の子に聞くと「『王立』大好き!」という人が沢山いる。公開されたのは1987年。僕は14歳でしたが(心に)直撃ですよ。興行的に成功しなかったと聞きましたけど、まあ(影響を)くらってるんですよね(笑)。
『王立宇宙軍』を制作したガイナックスは、作り切ったら解散する予定だった。でも興行成績が全然ダメで、借金返さなきゃいけなくて…。でも、それでガイナックスが残ることになり、やがてTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜96年)につながってる。これには運命めいたものを感じます。あの作品は間違いなくアニメーションの歴史に種をまいてる。私自身、その種の一つという自覚があります。
■「鳥肌の立つ作品を作りたい。今度は作る側に…」スタジオジブリを断り、美峰へ 師匠・竹田悠介さんとの出会い
――大学卒業後、まずはアニメーション美術の制作会社に入られたんですよね。
当時は「スタジオジブリ」と、『エヴァンゲリオン』で一番勢いのあったアニメ美術会社「美峰(ビホウ)」という会社、その2つのどちらかに行きたいって思っていました。ジブリを選んだのは、やはり最高峰っていうイメージがあったので。一次試験は受かったのですが、その後に美峰に面接に行ったら、後の師匠になる美術監督の竹田悠介さんに「俺と絵描こうよ」って誘われました。
そう言われた時、不思議と縁を感じました。そこでまた「お前が今まで感動したアニメってどういうものだった?」と自問自答し、「美峰に行こう」と決めました。ジブリの試験を途中で断った時は、みんなから「アホか」と言われた。でも、その選択がなかったら、竹田さんと出会ってなかったし、今ここにいないと思います。
人の縁って、不思議だなって思います。そこで竹田さんに出会ったおかげで、後に『サクラ大戦 活動写真』では美監補(美術監督補佐)に推薦してもらい、『攻殻機動隊』でも美監補に選んでいただいた。そういう経緯があって今がある。自分に正直に、地位とかお金とか、そういうことを考えず、直感でやりたいほうを選んだことが良かったのかなって思います。
――職業を選ぶ時には、年収や地位や名誉とか「いい会社入らなきゃ」というプレッシャーがあったりしますが、自分の気持ちに正直になることは、後々返ってくるものでしょうか。
例えば、大学を受験するときに大学を目標にしてしまったら、大学に入れば目的達成ですよね。会社も、その会社自体に入ることを目的にしてしまったら、入った後は「何をやればいいの?」という話になる。仕事は苦痛でしかなくなる。しかも、アイデンティティーを「その場所にいる自分」に置いちゃってるから辞めることも出来ない。相当辛いですよね。やりたいことが明確だったら、多少辛い目に遭っても、その先は少し変わってくるかもしれません。
その学校や会社は手段であって目的ではない、自分は何をやりたいのかを考えることが大事です。入った後に、自分の目標がもっと遠いところにあると感じたら、「今の会社にいたら、自分のやりたいことは達成できない」と感じて、ステップアップをすることもできます。年収はもちろん大事です。大事だけど、でもそれを第一に置いちゃったら、やっぱり続かないんじゃないかとも思います。難しい問題ですけどね。
自分がやりたかったことは単純です。「将来『王立宇宙軍』みたいな作品に携わりたい」ってことです。当時は中学2年でしたが、ものすごい鳥肌が立ったわけですよ。だから「僕も、そんな鳥肌を立てられる作品を作りたい。今度は作る側になりたい」という目的を常に持っていました。今があるのは、そこに精神的な目標値を置いていたことが大きいと思います。
でも、それって達成しようがないんですよね。ずっと先にあって、今も遠くにある。多分、死ぬまで…この仕事続けられてるうちは、ずっと目標値はそこにある。だから今の若い子が、もしも近くに目標を立てて動いてるとしたら「それは危険だよ」とは思います。
■「いまだに『Angel Beats! が好き』と言ってくれる人がいる」
「Angel Beats!」ユイが去った後の夕景 (C)VisualArt's/Key/Angel Beats! Project
――アニメーション作品というと、監督やプロデューサー、声優に焦点が当たることが多いと思います。今回のように、美術監督に焦点を当てた展覧会って貴重な場だと思いました。
私もびっくりです(笑)。これを目的にやってきたわけじゃないので。今回、企画して下さったP.A.WORKSの長谷川さんに「展覧会やりましょうよ」って言われて、確かにいろんな要素が重なったんだけども、軽い気持ちで「いいですよ」と言ったら、びっくりするぐらいお客さんが来てくださって…。私が一番びっくりしています(笑)。
自分自身の目標は「ぞくぞくするような、鳥肌が立つ作品に携わりたい」っていうこと。そういうアニメを作り上げる面子の一人になりたいだけなので、今回の展覧会は「デザート」みたいなものというか…。とてもありがたいことなので、お客さんにこれまで携わった作品を宣伝できる機会になればいいなと思っています。本来、アナログ時代でいえば、こういう絵って全て廃棄処分なんですよね。
――一世代前のセル画アニメーションでは、セル画は全部捨てられていましたよね。
そうですね。自分もずっとそのスタンスで描いてきたし、終わったらもう終わり。焼却処分。今だったらハードディスクの肥やしになるだけです。
でも、ずっと愛される作品たちと出会えたことが、私にはとてもラッキーでした。いまだに2010年に放送された「『Angel Beats!』が好きなんです」と言ってくれる人が来てくれる。だから、もう二度と世に出ることがなかった絵たちが、またこうやってちゃんと会場に飾って見ていただける。それでまた感動していただいて、もしくはそれを知らない人たちが「見てみようかな」という気になる。それ、すごいありがたいことです。みんなで作った作品ですから。
僕はスタッフの一人に過ぎません。自分は見本の絵を描くだけの人間だから。アニメ作品は大勢の方たちと共に作りますが、「放映したら終わり」の業界。ここで紹介されている作品たちは、今もこうやって愛してもらえて、幸せだなって思います。
■「作品を見て、感情を詰め込むのはお客さんだ。我々ではない」
「Angel Beats!」体育館 (C)VisualArt's/Key/Angel Beats! Project
――作品を拝見していると、キャラクターが描かれていない背景だけでも、当時の感動が思い出されます。「あぁ、『Angel Beats!』の体育館だ。卒業式のシーンを見て泣いたな」といった具合に。東地さんが展覧会あたって寄せた言葉には、「キャラクターが宝石だとすれば、背景は宝石箱」とありましたね。
「宝石箱」という例えもあったけど、何でもいいんです。例えば、ぶっちゃけエロを題材にしたアニメーションもあるじゃないですか。そしたら、ものすごいエッチな入れ物を作ればいいわけですよ。ただ、一つ大事なのは、本気で作らないとダメなんです。「そこの箱の中を見てみようかな」って思わせないとダメ。エロいんだったら目いっぱいエロそうなのを作らないといけない。
「宝石箱」という言葉が出たのは、背景を担当した作品『凪のあすから』(2013〜14年)がきっかけです。『凪あす』では、「めっちゃくちゃ極上の宝石箱を作ってやろう!」っていう意識がありました。背景という仕事は、「器を作る仕事」だと思ってるので。
「凪のあすから」待ち合わせの十字路 (C)Project-118/凪のあすから製作委員会
ただ、アニメーションというもの自体も、実は入れ物を作る仕事だと、私は思っています。これは私の言葉ではなく、アニメ映画『パプリカ』(2006年)で、今敏(こん・さとし)監督(2010年死去)から言われました。僕が「絵に感情を込めることについて、どう思いますか」って聞いたら、今さんは「そんなのアホだ。絵に感情を込めて描いたって、そんなのは愚かなことだ」と。
その真意について、今監督はこう語っていました。「作品を見て、感情を詰め込むのはお客さんなんだ。我々ではない。我々は、どれだけ感情を詰め込まれても壊れない、強固な器を作る仕事なんだ。空っぽでいい。その代わり、壊れないものを作れ」って。
それが自分の中にバシっとはまって、その通りな気が私はしてるんです。もちろん否定する方もいると思うので、絶対にそうだとは言えないんですけど。でも自分は、その今監督の考え方にはものすごい影響を受けました。
――「作品を見て、感情を詰め込むのはお客さん」ですか。
確かに、お客さんって色々な人がいて、色々な思いを持っている。お客さんはアニメを見て、そこに自分の感情を入れる。まるで鏡みたいに、自分自身を投影して、そこで感動するんだと思うんです。
例えば、この展覧会に来られたお客さんが、絵を見て感動したと。それはなぜ感動したかというと、当時、自分が放送されていたアニメ作品に思いを入れていたからだと思うんです。その時の感情を思い出して感動するんですよ。決して絵だけ見て感動するのではなく、当時の物語の流れや音楽とか、そのときの感情が思い出されるから感動できるんですよね。
例を挙げると、今日ちょっとお客さんの様子を見て思ったんですけど、この絵。実はこれ、次回作の背景なんです。でも、皆さんあまり誰も目に留めない。これを見て感動しない。それなぜか。もちろん、お客さんは「知らないから」なんです。この絵は決して他の絵に比べて手を抜いてるわけではない。ただ、お客さんはこの絵をまだ見たことがなく、音楽も何も、これには乗っていないんです。
「次回作の背景」は、会場内のイーゼル上にひっそりっと置かれていた(左下)
――まだ、この絵にはストーリーがないということですね。
でも、今度この作品が公開されて、ものすごく感動できる話で、お客さんがいっぱい感情を詰め込めるものだったら…。この絵を見た瞬間、感動するっていう形になるんですよ。だからアニメって「器」だと思います。自分の仕事は、「器の器」を作る仕事だと思っています。
だから、この絵を誰も見なかったように、私がアーティスティックな絵を描いて個展やったって人来ないですよ。来るわけがない(笑)。お客さんは何百人っていう人で作ったアニメーションで感動したからこそ、この展覧会に来てくれたわけです。
今回の展覧会は「Earth Colors 東地和生作品展」となっていますけど、そんなことはない。あくまで自分は、スタッフの一人だと思ってます。たまたまお客さんとアニメを繋ぐ窓口になっただけなんです。でも、みんなが喜んでくれて、作品を大好きでいてくれるなら、僕でよければ、窓口になりますよっていう感じなんです。
ちなみに、展覧会のタイトルに「Earth Colors」って入れさせてもらったのは、当初「東地和生展」だけだったんですが、それはちょっとお断りして、「Earth Colors展」にしてほしいとお願いしました。というのも、『凪のあすから』という作品タイトルは「Earth color of a calm」という言葉から来てるんですよ。なので、「Earth Colors」という展覧会にしたら『凪あす』のお客さんが何となく惹かれると思いまして。
■「『凪のあすから』ファンが感情を投影できる場所を…」
――東地さんの『凪のあすから』に込めた思い入れを感じます。
『凪のあすから』という作品は、実は不思議な売れ方をしました。正直言うと、放映直後は人気なかったんです。ところが、口コミで少しずつジワジワと売れて。Twitterの公式アカウントのフォロワー数も、放送終了直後は3万人だったのに今では6万人もいるんです。でも、放送終了後に人気が出ちゃったアニメというのは、ファンになってくれた子たちが「楽しかった」「面白かった」って言える場所がなくなってるんですよ。
――熱量を発散する場所がないということですね。
『Angel Beats!』も『花咲くいろは』(2011年)も『TARI TARI』(2012年)も、ちゃんとその場その場で燃焼が終わってる作品です。ところが、『凪のあすから』って燃焼が終わってないんです。モヤモヤしちゃう。「この気持ちをどうにかしたい」っていう人が、おそらく大勢いるというのを感じていて、その人たちが「この作品、最高でした」って言える場所が必要だと思うんです。
そういう場合、例えばグッズを買って発散する方法とかもあると思うんですけど、『凪あす』のグッズはないし、発散の場がどこにもない。そういう人たちがたくさんいる。「たくさん」といっても、覇権アニメ(各シーズンで爆発的人気を得たアニメのこと)とは違いますが、少なくない数の人たち一定以上いる。
そういう人たちに向けて、「どうせ廃棄される絵だったら見せよう」と考えて、Twitter上で「今日のいちまい」という『凪あす』の絵を紹介する日課企画みたいなものをやり始めました。メーカーさんも快く許可をくれました。そうしたら、たくさんの人が見てくれた。
背景だけじゃなくて、作画なども紹介しました。本当にたくさんの数の人たちが見てくれた。そういうのを目の当たりにしてから、今回の展覧会も「Earth Colors」っていう題名にすれば、『凪あす』で燃焼が終わっていない人たちが来てくれて、彼らが感情を投影できる場所ができるかなと。その窓口として自分が立てれば、それでいいなぁと思ったっていうのが今回の展覧会の趣旨でした。
■「物語のために世界観としての背景があるべき。地域活性のために背景はあるべきではない」
――背景美術の美しさって、アニメーションに興味を持つきっかけの一つになると思います。昨年は「聖地巡礼」という言葉が流行語になって、「時代は変わったな」と個人的にも思いました。東地さんが、作品の中で一番印象に残ってる場所はありますか。
いわゆる「聖地」といわれるものって不思議なもので…。例えば『花咲くいろは』は、私自身は取材に2日しか行ってないんです。もちろん写真はいっぱい撮りましたよ。
だけど実をいうと、空気に触れて、あとは想像で描く…そのほうがリアルなんですよ。これは絶対です。写真どおりに描いたらいいものができるかといったら、やっぱり人間が妄想したものが入ってないとつまらない絵になるんですよ。ただ単にリアルな絵になっちゃうだけで。だから、『花咲くいろは』でも、一番魅力的な建物が「喜翆荘」(編注:主人公が働く旅館)になったのは、架空の建物だからなんです。それは『TARI TARI』でもヒロイン達が通う学校がそうでした。
「花咲くいろは」の喜翆荘 (C)2012 花いろ旅館組合
『凪あす』は、それをさらに爆発させたものになりました。きっかけは「あなたが世界観を考えてください」という発注があったからなんです。それは、これまでとは違ったものでした。もちろん最初は嫌だと断りました。でも、「じゃあ、どうやったら参加してくれるか」「取りあえず、打ち合わせに出席してくれ」となり、「どうしたらいい?」と意見を聞かれて…(笑)。
『凪あす』は海と陸の話なのですが、海の中に人が住む村があって、そこと陸が通じている。そんな世界観を描く自信が、自分にはなかったんですよ。打ち合わせで「海の中で布団干すんかい!」という話をしたことをよく覚えています。結局、干すことになるのですが、最初はどうしてもそれが分かんなくて。
でも、辻充仁プロデューサーの巻き込み方が巧みだったのですが、打ち合わせに参加しちゃうと、そこで断った場合は「あの作品どうなっちゃうんだろう」って情が移っちゃうわけですよ。結局、「もう分かったよ。じゃあ、やるよ」と言ったのが『凪あす』に参加することになった最初の顛末です。
そのときに、「(物語の世界観を)自分で作らなきゃいけないってことは、もう自分の成長してきた場所、自分の精神を掘り下げないとできない」と思って。それなら、「自分が生まれ育ったときの空気を持ってくるしかないな」と。それで、たまたま(故郷の)三重県を舞台の参考にしました。はじめから「生まれ故郷を舞台にしよう」とは思っていなかったんです。
別に郷土愛がないわけじゃないんです。でも、決して「聖地巡礼」(を念頭に置いた)アニメは賞賛しません。それは基本的に、「物語のために世界観としての背景があるべきで、地域活性のために背景はあるべきではない」という考えがあります。(アニメを制作した)結果として地域が活性化すれば「それは良かったじゃない?」っていう話であり、物語を濁らせる要素は極力排除したほうがいい。それは絶対だと思います。だから『凪あす』でも、それはすごく意識しました。自分の脳内からの風景を出した。だから、「面白い世界観だ」と思ってくれる人がいたのではと思います。
――他の作品と比較すると、やはり『凪あす』は東地さんの思いが乗っかっている。
アイドルのマネジャーが、担当アイドルを好きになっちゃったパターンだと思います(笑)。それって本当は良くない。プロとしては失格です。だけど、なっちゃったものはしようがない。だから、Twitterでやった『凪あす』の「今日のいちまい」のつぶやきは、失恋した彼女へのラブレターです。正直に言うと、「この作品は本当はもっと評価されたはずだ!」って、うじうじうじうじ考えてたんです。
会社は作品ごとに「終わったね、じゃ次」という感じで、次の作品に進むじゃないですか。当然、何事もなかったかのように次に行く。でも自分はやっぱり悔しかった。すごい敗北感があった。背景は評価してくださる人は多かったんだけど、やっぱり作品として評価されなかったのが悔しくて。
それで始めたのがTwitterの「今日のいちまい」。もうね、男の失恋の格好悪いのを、クヨクヨクヨクヨとやってるようなもんだったんですよ。でも、やってるうちにそれがじわじわ広がったっていうのは、この作品の不思議さですよね。
【後編はこちら】
■東地和生さんのプロフィール
1974年生まれ、三重県出身。大学では油画を専攻後、アニメーションの背景会社に入社。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002)、『パプリカ』(2006)などの美術監督補佐を経て、現在はフリーランスの美術監督として活躍。 代表作は『AngelBeats!』(2010)、『花咲くいろは』(2011)、『TARI TARI』(2012)、『凪のあすから』(2013)『Charlotte』(2015)等、数多くのP.A.WORKS作品の美術背景を手掛ける。懐かしさを感じる街並み、印象的な海や空、物語を感じさせる情緒豊かな描写でアニメーションの世界観を作り上げている。
▼「Earth Colors」東地和生美術監督作品展▼
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