ハリウッドを象徴する女優、デビー・レイノルズさんが12月28日に死去した。84歳だった。娘のキャリー・フィッシャーさんが死去した、その翌日のことだった。
息子の俳優、トッド・フィッシャーさんが、母親の死をバラエティ誌に認めた。
「母はキャリーと一緒にいたかったのです」とトッドさんはバラエティ誌に語った。
デビー・レイノルズさんは、1952年の『雨に唄えば』のキャシー・セルドン役で、スターの座をつかんだ。人気歌手でもあり、『A Very Special Love』などのヒット曲もある。
本名マリー・フランシス・レイノルズは1932年4月1日、テキサス州エル・パソで生まれた。1939年に彼女の家族(母のマキシンさん、父のレイモンドさん、兄弟のビルさん)はカリフォルニア州バーバンクに引っ越した。そこで10代から俳優としての道を歩み始めた。初めて注目を集めたのは、ゴールデングローブ賞にノミネートされた1950年の『土曜は貴方に』のヘレン・ケイン役だったが、ハリウッドの名声を確立したのは、1952年の『雨に唄えば』だった。この映画が封切られた時、彼女はわずか19歳だった。
その他の彼女の有名な映画作品の中には、『歓びの街角』、『The Catered Affair(原題)』、『タミーと独身者』、『西部開拓史』、そしてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた『不沈のモリー・ブラウン』などがある。過去20年間で、1996年の『ミスター・コンプレックス 結婚恐怖感の男』、1997年の『イン&アウト』、2013年の『恋するリベラーチェ』などの映画に出演し、『ふたりは友達? ウィル&グレイス』、『ラグラッツ』、『キム・ポッシブル』などのテレビ番組にも出演していた。
レイノルズさんは著名なダンサーであり、歌手であり、ナイトクラブのエンターテイナーだった。彼女は『アバ・ダバ・ハネムーン』(映画『愛の二週間』より)、『タミー』(映画『タミーと独身者』より)、『A Very Special Love』、『Am I That Easy to Forge』で、1950年代に最もよく売れた歌手だった。彼女はまた『Debbie』、『Woman of the Year』、そしてトニー賞にノミネートされた『Irene』で舞台を飾ったこともあった。
レイノルズさんはまた、実業家でもあった。1992年にはラスベガスで、自分自身のホテルを開業し、オークションのために映画の記念品を収集した。1979年にはハリウッド北部に「デビー・レイノルズ・ダンス・スタジオ」を設立した。このスタジオは、今でも運営されている。
レイノルズさんの足跡と手形は、ハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターに保存されていて、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームには、彼女の星型プレートが配置されている。2014年には、全米映画俳優組合賞生涯功労賞の栄誉を受け、2016年のアカデミー賞では、ジーン・ハーショルト友愛賞を受賞した。
デビー・レイノルズさんの最初の夫は、キャリー・フィッシャーさんの父、エディ・フィッシャーさんだった。
レイノルズさんは、3度結婚した。最初の結婚相手は、1955年に歌手のエディ・フィッシャーさん。この時彼女は、キャリーさんとトッドさんの2人の子供をもうけている。レイノルズさんの親友、エリザベス・テイラーさんとエディ・フィッシャーさんが不倫した後、1959年に夫婦は離婚した。1960年から1973年までは、実業家のハリー・カールさんと結婚生活を送ったが別れ、1984年に不動産業者のリチャード・ハムレットさんと結婚したが、1996年に離婚した。
レイノルズさんは、娘とは騒動の絶えない関係だった。2人はキャリーさんが亡くなる数年前に和解するまでほぼ10年間にわたって疎遠だった。2011年のオプラ・ウィンフリーさんとのインタビューで、キャリーさんの薬物中毒と躁鬱病により、2人の関係は悪化していた、とレイノルズさんは語っていた。
「キャリーと私の関係の雪解けは多分、彼女が病気であることが判った時、すなわちこのような精神的健康障害に彼女が冒されていて、彼女と一緒にこの世を永久に去ってしまおう、と思った時でした」とレイノルズさんは、ウィンフリーさんに語った。「これはとても大変なことでした。どのようにして彼女が、人生を生きていくのか? 私のできることはただ、彼女を愛することだけです。そして常にそうする決心です」。
「最終的にキャリーと私は、幸せを見つけたと言えるのだろうと思います」と付け加えた。「私は彼女が強く、生き延びてきて、更生することを選んだことに感心しています。諦めてしまい、薬物に屈して使い続けることは、簡単なことだったでしょう。私は一人の母親がするように、彼女を守ろうと常に思っています。私は娘のために幸せを望んでいます。キャリーには、幸せになって欲しいのです」。
デビー・レイノルズさんと10代のキャリー・フィッシャーさん、1972年撮影。
キャリーさんの死後、レイノルズさんはFacebookでキャリーさんへの賛辞を投稿し、「私の最愛の素晴らしい娘の資質と才能を、長い間受け入れてくれた皆さん、どうも有難うございました。今や次の目的地に彼女を導いてくださるであろう皆さんの思いと、祈りに感謝致します。キャリーの母より、愛をこめて」。
1955年以来、精神的健康障害を持つ子供や成人に献身的に尽くす慈善団体、Thaliansの活動にも意欲的に取り組んできた。2011年に会長を退いたが、生涯にわたってメンバーであり続けた。
ハフィントンポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。
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