「何もかも放り出せ!」
社会党を離れた左翼党のジャン・リュック・メランション党首は、少なくともこの5年間ずっとこう言い続けてきた。今回に限り、フランス大統領フランソワ・オランドは同意するだろう。緑の党・欧州エコロジーのセシル・デュフロ元住宅相と、ニコラ・サルコジ元大統領はそれぞれ予備選挙で敗北したが、オランド大統領も、2017年春の選挙戦が始まる前に再出馬を断念するはめになった。
1958年にフランスの第五共和政が始まってから、現役大統領が1期限りで再選出馬をしなかったのは初めてだ。これはフランス大統領の権力が衰えたことも意味する。議員たちは分裂し、フランス国民は心機一転を求め、オランドは退場に追い込まれた。
絶え間なくニュースが続き、デジタルコミュニケーションと政治に即断即決が求められる時代が、「フレンチ・ドリーム」を蘇らせて「普通の」大統領を夢見ていたオランドを転覆させたと言える。
オランドの退場は、制度的な欠陥に加えて、任期中の5年間、さまざまな外的ショックで足を引っ張られ、ずさんな政策と、失敗を許されない大統領職で優柔不断な態度をとり続けて権力が弱体化した産物である。
オランドが失速した理由、それはさまざまな公約を果たせなかったことだ。伝統的ケインジアン(ケインズの経済政策理論に基づき、景気停滞期に国の財政支出を増加させて経済活動の活発化をはかる考え方)の支持者たちに、資本と購買力を高めることで復興を約束した。堅実な財政再建を求める人たちには、赤字の縮小を公約していた。
2012年末、大統領候補だったオランドが再交渉すると (無駄に)公約していた、財政規律の強化を求めるEU財政協定を批准した頃から混乱の兆しはあった。競争力強化と雇用の税額控除、自由党のマヌエル・ヴァルスを首相に任命したこと、環境保護主義からの離脱、企業に400億ユーロの税控除の「申し出」――こうした政策すべてが左派の破綻に貢献した。
雇用や解雇で企業の裁量を拡大させる労働法改正は、穏健派と急進派、2つの左派の衝突が最高潮に達した政策だった。ヴァルス首相が彼らの「和解できない」違いについて述べ、この衝突は解消されることはなかった。
多数派の左派内で絶え間なくせめぎ合いが続き、政府への不安を加速させた。オランド大統領の就任直後から社会的状況が緊迫さを増し、その後、政権内部の深刻な対立が生まれ、オランドの「普通の大統領」に暗雲が垂れ込めた。緊縮予算と政治の分裂に、大臣たちは失策を重ね、大統領と首相の権威を損ねていった。
2013年10月9日、ロマ民族の15歳少女レオナルド・ディブラニさんが学校行事のためにバスで移動している最中に警察に拘束され、コソボに強制送還された事件で政権内の亀裂が露呈した。また、2014年に制定された「フロランジュ法」(2年以上保有する株主に2倍の議決権を与え、フランスの企業の政府関与を強化させる法)でジャン・マルク・エロー前首相とアルノー・モントブール元経済省の対立も政権弱体化を印象づけた。
事態を悪化させたのは、2013年のマリへの軍事介入、2015年11月のパリ同時多発テロ事件、そして2016年7月のニーストラックテロ事件など、さまざまな外的ショックが起きたために、オランド大統領が制作の優先順位をその都度変えなければならかったことだ。その度に、フランス政府の優柔不断ぶりが際立ってしまう結果となった。
こうした政治的に不安定な状況は、すぐに影響が広がった。 オランドの方針は先が見通せないものだった。オランドは2012年夏、現実から目をそらした。彼が就任してすぐ、330億ユーロの財政赤字節減が必要なのが発覚した。「サルコジ前大統領が深刻な財政赤字を隠蔽していた」と非難しても、後の祭りだった。
オランド大統領は守れない約束もした。例えば、2013年末までに失業率を好転させるという公約を掲げた。オランドは地道な診断と治療ではなく、荒療治に出た。
国際的にはCOP21(気候変動枠組条約第21回締約国会議)を成功させ、国内では失業率の低下させるなど功績を残したが、時すでに遅しだった。絶えずのしかかるプレッシャーの中、オランドは過ちを犯した。
致命的な失策を繰り返してきたオランドが、一つだけ自らの失敗を認めたことがある。パリ同時多発事件の後、テロリストの国籍をはく奪するよう提案したことだ。これが彼の「たった1つの後悔」だと、12月1日の出馬断念演説でオランドは語った。
野党が復活し、与党社会党に分裂が起きた結果、執行部への忠誠を保った人もいたが、社会党の基本的価値観に対するオランドの裏切りを非難する人もいた。
もう一つの失敗は彼の出馬断念会見の中では述べられていない。オランドが完全に再選モードだった2016年秋に出版された本、「A President Should Not Say That: Secrets of Five Years in Office(大統領はそんなこと言うべきでない:大統領府の5年間の秘密)」は大統領の人気低下にとどめを刺した。オランドの本は軽薄で、つまらない文章で溢れていた。司法機関を「臆病者の集まり」、左派を「バカな集団」と言い放ち、閣僚の悪口を言い立てている。オランドの政治的手腕ではなく、その性格のせいで友人すら彼を見捨てざるを得なくなった。
大統領にとっては、痛みを伴う撤退だ。彼の真の評価は、一連の混乱が収束した後で明らかになるだろう。
【ハフィントンポスト・フランス版シニア政治エディター、ジョフロワ・クラベルの寄稿】
ハフィントンポスト・フランス版の記事の英訳を翻訳・加筆しました。
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