生きている人たちを「本」として「貸し出し」、「読んで」もらう「図書館」がある。「ヒューマンライブラリー」というイベントで、社会的なマイノリティの人たちを招き、来場者にその人生や経験を語ってもらうというもの。2000年にデンマークで始まり、日本でも2008年に初めて開催、現在では70カ国以上で実施されている。
日本では草分け的活動となるヒューマンライブラリーが11月、明治大学の中野キャンパス(東京都中野区)で開かれた。国際日本学部長の横田雅弘教授のゼミ生が中心となって企画、今年で8年目になるという。
この日、「本」として参加したのは、うつ病経験者やトランスジェンダー、性暴力被害者、さまざまな障害、病気を持つ人など34人。なぜ、ヒューマンライブラリーでは生きている人を「本」として貸し出すのだろうか?
■「僕は生れつき、左まぶたが上がらない病気」
ある教室をのぞくと、「読者」である3人に語りかけている男性。まぶたが下がったり、開きづらくなったりする病気、眼瞼下垂(がんけんかすい)の患者、フレイクさんだ。この日、フレイクさんが自身を「本」に見立ててつけたタイトルは、「僕は生れつき、左まぶたが上がらない病気」だった。
病気のことや自身の生活のことなどを読者に丁寧な説明をするフレイクさん。「例えば、この病気には見た目問題があります」と打ち明けた。眼瞼下垂は、フレイクさんのような先天性のものと、加齢などによって起こる後天性のものがある。左右対称の目に近づけるためには手術が必要になるが、完全に「見た目」を治すことは難しい。
目という顔の目立つ部分に変化がある病気のため、いじめを受けるなど人間関係にも影響することもある。病気の認知度も低く、理解が進んでいないため、患者の人たちは生きていく上でさまざまな困難に直面しなければならない。フレイクさんも幼い頃、「目が変だと言われるから抱いて歩けないと祖母に言われた」という。
「当事者と患者の言葉の違いってわかりますか? 眼瞼下垂の場合だと、軽い人は当事者ではあるのですが、自分を病気だと思っていません。目に左右差があるけれど、疾患だと考えていないのです。だから世界観が違う。自分は患者だったのかと知った時、ショックを受けるわけです。自分は病気じゃないと反発する人もいます」
フレイクさんは、この「ヒューマンライブラリー」に何回も参加するなど、病気について語ってきた。現在は、眼瞼下垂に対する理解を深めたり、患者やその家族が交流するためのNPO法人「眼瞼下垂の会」に携わるなど、さまざまな活動に多忙な日々を送る。「人生は道ではなく、歩き方」というフレイクさんの経験に基づく話に、「読者」は熱心に耳を傾けていた。
自身の病気や人生について「読者」に語るフレイクさん。
■最初は学生たちには戸惑いも
横田教授のゼミがヒューマンライブラリーをスタートしたのは2009年。横田教授は、その2年前まで一橋大学で教鞭を執っていた。
「一橋大学では、比較文化経験論の講義をしていました。そこでは、その講義がなければ一生出会うことがないであろう人、例えばホームレスの方や宗教家の方などを訪ねてインタビューし、最後には他のグループや一般の方たちにその体験を伝えるというワークショップを行っていました」
当時は「ヒューマンライブラリー」という言葉はなかったが、現在のものに近いワークショップを実施していたという。そして、明治大学に赴任してから2年目の夏、横田教授は新聞に「ヒューマンライブラリー」が紹介された記事を見つけた。「自分のやってきたことに近い」と思った横田教授は、学生たちに「やってみないか?」と提案してみた。
しかし、学生たちは「そんなこと、簡単にはできません」と戸惑った。相手は「生きている人」である。それでも、学生たちはとことん話し合ったという。1時間後、研究室で話し合いの結果を待っていた横田教授のもとへ、「やります」と学生たちが報告に来たことから、すべては始まった。
学生たちは2009年冬、初めてのヒューマンライブラリーを実施(当時の名称は「リビングライブラリー」)。以来、3年のゼミ生20人あまりが中心となり、他の在校生や卒業生たちが助ける形で、毎年運営されている。
明治大学で開かれたヒューマンライブラリーでは、「本」の人たちを紹介する写真展も
■「多様性を経験から学び取ってほしい」
ヒューマンライブラリーの目的を横田教授はこう話す。
「いくらカルチャーショックのことを説明しても、実際に経験しないとわからないことがあるように、異文化の問題をテキストで説明はできますが、本当に学ぶには経験が大切です。そこから多様性に触れ、学び取ってほしいと思って始めました。
学生たちは、これまで会ったこともない人たちを『本』としてお招きするために、戸惑いながらも、自分の中にある偏見にも向き合って、この企画を遂行していきます。その中で、目の見えない方への配慮とか、LGBTの方への配慮とか、いろいろな配慮に慣れていく。それは、難しいことではなく、基本的なことを押さえていればできることです。
そうやって、国内的な多様性に目が開かれれば、外国における多様性も理解できます。国際人になるためには、国内の多様性に無頓着であることはおかしいという気持ちがあります。基本は同じです。教条的にマイノリティに配慮しろ、理解しろ、と言うだけでは浸透しません」
この日、生きている「本」を借りた読者は、約300人となった。「本」となった人の中には、ハフィントンポスト日本版で取材してきたアルビノ・エンターテイナーの粕谷幸司さんや、トランスジェンダーの杉山文野さんの姿もあった。
ヒューマンライブラリーの公式サイトには、こう掲げられている。「その『本』を表紙で判断しないで」。自分の内にある偏見を捨てるために、私たちはもっとたくさんの「本」を読もう。
「本」として参加したアルビノ・エンターテイナーの粕谷幸司さん。