韓国・朴槿恵大統領が「進退も含め、国会に任せる」と表明した11月29日の国民向け談話。
29日から30日にかけて日本の関連報道は「辞意」「条件付き辞意」などの言葉であふれ、「『沈む船には誰も乗らない』 朴大統領、追い込まれた末」(朝日新聞デジタル)「政治私物化 国民から絶縁状」(東京新聞)「最後まで説明責任放棄した『不通政権』」(産経ニュース)など、「終わった感」が支配した。
韓国での受け止めとは相当違ったようだ。KBSは「日本の主要新聞が、朴槿恵大統領の『進退問題を国会に任せる』と言及した部分について『辞意表明』と一斉に1面トップで報道しました」と報じた。
これは終わりではない。韓国政治や比較政治が専門の浅羽祐樹・新潟県立大教授は、「政局の混乱」を狙った巧妙な手だとみる。今回の談話の背景や、混乱が続く韓国政治の今後の見通し、影響を聞いた。
■狙いは「政局の混乱」
――今回の朴槿恵大統領の談話をどう見ましたか?
政局を混乱させることが狙いで、実に巧妙な手だと言えます。
「いつ辞める」という時期を明示しないことで、本来は2017年12月20日と決まっていた次期大統領選の日程をいつにするかが、もっぱらの関心事となり、それを巡って熾烈な駆け引きが始まります。与野党にも温度差があり、すぐにでも選挙をやりたい人、後に伸ばした方がいい人、それぞれ思惑があるからです。そこを狙って丸投げしてきた。
「非朴」(与党セヌリ党非主流派)はさっそく揺さぶられています。そもそも、朴槿恵氏を排除する方法を巡っては、首相に権限を代行させる案や、時期を決めて辞任させる案など、様々な思惑の違いがせめぎあっていた。ようやく、憲法に定められた弾劾の手続きを取るという、ギリギリの範囲で野党と与党非主流派が合意して、明日にも弾劾理由を国会に提出する、というタイミングが11月29日でした。野党3党は弾劾の方針を変えていないようですが、野党だけでは弾劾を可決するのに数が足りないので、与党非主流派の協力を得るしかない。
■今後は弾劾→大統領選前倒しか
――12月2日にも国会で弾劾が可決される見込みでしたが、そうすると、延命するのでしょうか?
弾劾自体を取りやめるということにはならないと思います。世論はまったく納得していません。弾劾訴追を葬ったとなると、今度は国民の怒りが国会やセヌリ党に向きかねない。それを見越すと、「非朴」もそう簡単に弾劾訴追をやめられないでしょう。当初の12月2日という予定日より多少遅れる可能性がありますが、12月9日の弾劾可決は免れないのではないでしょうか。
弾劾訴追案を憲法裁判所が審判するまでに最大180日かかりますが、その決着を待たずに、次の大統領選の日程に向けた調整が本格化するでしょう。2017年4月にはもともと国会議員の補欠選挙が予定されていた。与野党の候補者選びなど準備期間が短すぎず長すぎないことからも、ここに合わせて大統領選を実施するというのが、フォーカルポイント(落としどころ)になるのではないでしょうか。
そもそも、大統領の任期途中での辞任について、1987年の民主化で制定された現憲法が想定しているのは、国会による弾劾(それも極めてレアケース)と、せいぜい「有故(死亡)」ぐらいしかない。ルールがない中で、ルール作りを国会に丸投げしたということは、事実上、次の大統領選に出る人たちがルール作りをするということです。
■世界的にも例を見ない「政治実験」
――憲法が想定していない大統領の途中辞任を国会で議論する、となると、憲法改正を議論することになるのでしょうか。
紙の憲法典の改正にまではなかなかつながらないだろうと思っています。日程を決めるだけで精いっぱいでしょう。セヌリ党主流派には「憲法改正で任期を短縮して、法の手続きに則って朴槿恵氏が名誉ある退任をする」という案もあるようですが、日程以外にも、様々な争点がある。朴槿恵氏が選んだ公安検事出身でタカ派の黄教安・現首相を大統領権限代行として引き続き置いていいのか。内閣を改造するなら人選をどうするのか。ましてや憲法改正となると大統領の権限縮小から議院内閣制への改編まで、与野党の思惑はさらに複雑なので、そこまでたどりつかないのではないでしょうか。
しかし、韓国の憲法体制は、もう実態として変わっています。今起きていることは、憲法が想定していない事態です。大統領制の本質である任期の保障を、大統領本人が「国会に委ねる」と言い出したのですから。次の大統領レースに出場する選手たち(多くは国会議員)が、一番大きい変数となるレースの日程を決める。最終的には、ルールそのものがあいまいになって、憲法が想定していない中で政治が動いていく。これは世界的にも例を見ない「政治実験」です。
――国民の怒りは増幅しているようです。
私は今起きていることを「通常政治と憲法政治のせめぎ合い」と言っています。制度の中で動いている人たちは、弾劾という憲法で定められた手続きの中で収めようとするわけですが、国民からすればまどろっこしい手続きだし、自分たちが選んだわけでもない憲法裁判所のたった9名の裁判官が決めるよりも、街頭でデモをやって引きずり下ろすんだ、という考え方です。自分たちが選んだ代理人が逸脱した場合、生身の「われら大韓国民」(憲法前文)、主権者が現れて、委任を撤回するという意思表示です。
一方で今回のデモでは、「成熟」した場面が見られました。警察のバリケードを乗り越えようとする人たちに、デモの後ろから自制を呼びかける人たちがいました。「これは既に勝っている闘いであり、自分たちの側から正統性を傷つけることはすべきでない」という考えです。プラカードには「打倒」という言葉はなく、「下野しないのならば弾劾でも構わない」と法的手続きに則って解決しようという考えが大勢です。
■空白長期化で安全保障は?
――権力の空白が長引くと、北朝鮮と対峙する韓国で、安全保障の空白が起きないか心配になります。
北朝鮮がどこまで自重するかにかかっていますが、北朝鮮情勢が選挙で保守系候補に有利に作用する「北風」は起きにくいとみています。
アメリカ次期大統領のトランプ氏が北朝鮮と「直接取引するのではないか」という期待感を北朝鮮は持っています。韓国も現時点で大統領選挙をすれば、最も支持率が高いのは野党第一党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)氏。盧武鉉・元大統領の側近で、北朝鮮に融和的な政策を採ることは間違いありません。北朝鮮にとっては文在寅政権が成立してくれた方が都合はいいでしょうから。
むしろそうなった場合、日米韓で対北朝鮮の問題を考えるのに、亀裂が入るということはありうるでしょうね。中国とアメリカの間で揺れる韓国外交で、2015年末の慰安婦合意や日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結、それに在韓米軍への終末高高度ミサイル(THAAD)の配置など、やっと日米との安保連携を重視する路線に戻ってきた韓国の外交が、朴槿恵政権の前半のように中国に大きく振れた位置になる可能性が出てきます。
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