ベトナム戦争の枯葉剤を作ったのはモンサントだった この会社は今、遺伝子組み換え作物でベトナムに浸透している

「我々が過剰に順応してしまうと、我々の文化も破壊されるのは免れない」

ベトナム中部・ダナンにあるダナン飛行場端の汚染地を監視するベトナム人兵士、2009年7月1日撮影。ベトナム戦争中、米軍は400万ガロン(約1万5000キロリットル)を越える量の枯葉剤などの除草剤を軍事基地に貯蔵していた。現在は、国内線と軍の共用飛行場となっている。

ベトナム、ホーチミン市からのレポート

55年前、アメリカ陸軍がベトナム南部の広範な地域に、枯葉剤(エージェント・オレンジ)として知られる有毒な除草剤を何百万リットルも使って散布を開始した。しかし、現在のベトナムは、アメリカを恨んだり、隔絶したりするのではなく、親米感情であふれかえっている。

かつて、アメリカの支援下にあった南ベトナム共和国の首都サイゴンは、ベトナム社会主義共和国最大の都市ホーチミンとなり、現在ではマクドナルドやスターバックスが進出している。ベトナム経済の中心地となったこの都市には、Appleストアも増えている。ベトナム人の顧客はiPhoneの最新モデルの発売を心待ちにしているし、市民の多くがiPhoneを洗練された欧米化の象徴と考えている。人口9000万のうち、ベトナム戦争が終結した1975年以降に生まれた人が大きな割合を占めるようになり、彼らはアメリカとの苦い過去にこだわるのではなく、未来志向になっている。

しかし、欧米化が進み、巨大バイオテクノロジー会社のモンサントのような企業が進出するにつれ、何十万人もの死傷者を生んだといわれる枯葉剤の歴史を葬り去ってしまうおそれがある。

現在に至るまで、枯葉剤へのモンサントの関与について見解は大きく異なる。アメリカとモンサントは、枯葉剤がアメリカ政府の依頼で製造されたことを示す声明を発表している。そのため、モンサント社は直接的な責任がないと主張している。ベトナム政府の見解はより複雑で、個別の加害責任には一切言及せず、その代わり、アメリカに加害責任の全体を問い、被害者の補償を求めている。

ハノイの自宅で母親、グエン・ティ・タイン・ヴァン (35) の腕に抱かれるファム・ドゥック・デュイ (10)  2007 年6月16日撮影。ベトナムの医師は、ベトナム戦争に従軍したデュイの祖父がダイオキシンに曝露し、何世代にもわたって影響したと考えている。

モンサントのベトナムへの関与は、半世紀以上前に遡る。モンサントは、アメリカ軍からベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が潜伏するジャングルを枯死させ、農耕地を壊滅させるための枯葉剤の製造を委託された。モンサントは、ベトナム戦争中に枯葉剤を供給した数社のひとつだ。1961年から71年までの間、アメリカ陸軍は、猛毒のダイオキシンを含む枯葉剤約1200万ガロン(約4万5000キロリットル)をベトナム南部の広範囲に散布した。

アメリカとベトナムの国交正常化(1995年7月12日)から2年後の1997年、ベトナムは二国間協議で枯葉剤の問題を提起しはじめた。ベトナム共産党中央委員会書記長ドー・ムオイはアメリカ財務長官ロバート・ルービンに、両国が協調して枯葉剤の問題解決に取り組むことを希望すると伝えた。これは、ベトナム政府が外交上で枯葉剤に関してとる公的立場だ。国民向けには、2004年にNGO「ベトナム枯葉剤被害者協会」が、モンサントをはじめとする枯葉剤のメーカーに対してニューヨークの裁判所に集団訴訟を起こした。この訴訟は、ベトナムがモンサントなどの化学メーカーに対して起こした唯一の訴訟だったが、裁判所に棄却された

また現在のモンサントは、社名以外は枯葉剤の開発を支援した当時のモンサントとは違う企業だという理由で、枯葉剤製造に対する責任がないと主張している。

米軍特殊部隊基地の飛行場だった場所のそばにある「ホットスポット」で田植えをする農民。ベトナムのルオイ、2009年6月28日撮影。枯葉剤を含む除草剤は、以前飛行場だったこの場所に貯蔵されており、この土地は高濃度に汚染されていた。

モンサントの広報担当者チャルラ・ロードは、モンサントのベトナムでの歴史についてコメントを求められたときに「モンサントは、現在までの10年間、農業に専念している」と話した。「しかし、弊社は、1901年創業の会社と同名なだけだ。昔のモンサントは、アメリカ政府向けの枯葉剤の製造を含む、多種多様な事業に関わっていた。アメリカの裁判所は、政府向けに枯葉剤の製造を請け負ったメーカー企業は、政府の指示による業務を実行した政府請負業者だったため、枯葉剤の軍事利用による損害賠償請求に対する責任を負わないという判決を下している」

アメリカ政府はまた、ベトナムでの死者や惨状に対する責任を認めない声明を発表した。一方で、枯葉剤への曝露に起因すると「推定」される、アメリカの退役軍人の被害、疾病、そして死亡者のみ責任を認めている

遺伝子組み換え作物は、人類の科学的功績であり、ベトナムは、これらをできるだけ早く受け入れる必要がある

――カオ・ドゥク・ファット-前ベトナム農業農村開発相

ホーチミン市の北東約111キロにあるドンナイ省にいるグエン・ホン・ラムや、同じ世代の農家にとって、モンサントといえば枯葉剤ではなく、モンサントが主催するパーティーと、遺伝子組み換え種子を連想する。ラムによると、2012年から14年まで、モンサントの遺伝子組み換え作物がベトナムで作付け開始されるのに合わせて、開始記念イベントとしてモンサント主催のパーティーが開催されていた。ラムは、枯葉剤とモンサントの関わりを認めてはいないが、モンサントが地域に浸透していく様子をよく知っている。

「3日間続いたパーティもありました」と、リムは農家へのプロモーションも兼ねた地域奉仕活動のイベントについて語っている。「400人くらいの農家を収容できるように、テントが数十張も用意されました。パーティーはいつも結婚披露宴のように楽しいものでしたね」

モンサント主催のこのような集会は、ここでは特に、ベトナム国内の農家に接触する機会を増やすことを目的とした企業には珍しいことではない。

「弊社では、このようなイベントを何百回と開いています。百聞は一見にしかずといいますが、彼らの生活はまさにその一見に左右されるのです」と、モンサントの子会社「デカルブ・ベトナム」CEOナラシムハム・ウパデャユラは語った。「弊社は、農家に未来への希望を提供したのです」

欧米化と、モンサントなどの巨大バイオテクノロジー企業がベトナム国内に浸透していった結果、枯葉剤の歴史は葬り去られてしまうおそれがある。NGUYEN HUY KHAM / REUTERS

■ 遺伝子組み換え作物の論争

遺伝子組み換え作物に関する論争は、環境活動家が反対する一方で、100人以上のノーベル賞受賞者たちが支持するなど、議論が乱立している。モンサントとベトナムについての論争も同様だ。

現在のモンサントは、枯葉剤の歴史よりも遺伝子組み換え種子のほうが関わりは深い。モンサントによると、遺伝子組み換え作物の開発は農家の利益となるだけでなく、昆虫、除草剤、干ばつへの耐性が高い種子から、より多くの収穫が見込めるという。ウパデャユラによると、モンサントはベトナムと周辺地域の農業を持続させるには農業バイオテクノロジーが鍵になると考えている。そして、2015年に約600万トンのトウモロコシを輸入したベトナムにとって、遺伝子組み換えトウモロコシは重要だという。

「ベトナム政府は、ベトナムが自給できるようになり、科学と技術が農家を支援できると強く信じています」と、ウパデャユラは言った。「弊社の目標は、このテクノロジーを最大限に浸透させることです」

ウパデャユラはまた、ベトナムで遺伝子組み換え作物の販売許可を得るまでに10年かかったと述べた。「本当に長い道のりでした」と、ウパデャユラは語った。「大人数で漕いでいたボートがやっと、岸にたどり着いたのです」

人は、幽霊を見たことがないからこそ幽霊が怖い。一部の人は、遺伝子組み換え作物を見たことがないから懸念する

カオ・ドゥク・ファット-ベトナムの前農業農村開発相

遺伝子組み換え作物賛成派は、収穫を増やし、食品の安全性を補強し、9000万人いるベトナム人に安価で食物を供給できるのだから、ベトナムに導入されるのは当然の結果と見ている。しかし、反対派の活動家は、種子と化学薬品はコストが高く、収穫も不確実だし、現地の食の安全を弱める可能性があるから、バイオテクノロジーは発展途上国にはふさわしくないと、「発展のための農業知識、科学と技術の国際評価 (International Assessment of Agricultural Knowledge, Science and Technology for Development)」 の報告書を根拠にしている。  

遺伝子組み換え作物に対し最も強硬に抗議している環境保護団体グリーンピースによると、「遺伝子工学は、自然にはありえない方法で遺伝子操作し、科学者が植物、動物、微生物を作り出すことができる」と主張する。 グリーンピースのサイトには、遺伝子組み換え作物が「異花受粉と、自然界の生物との異種交配を介して畑から畑へと、自然界に広がる可能性があり、遺伝子組み換え作物を本当にコントロールすることが不可能になっている」と書かれている。

遺伝子組換え種子がベトナムで一般的になるにつれ、その利点と懸念に関する論争に、かつては枯葉剤を製造し、今は遺伝子組み換え作物メーカーとしてモンサントがベトナム市場に再度参入するという不幸な皮肉が重なってくる。

畑の真ん中に立ち、栽培中の遺伝子組み換えトウモロコシを指差す農業従事者のグエン・ホン・ラム。

しかし農家のラムは、この論争をなんとも思っていない。ラムは2014年12月、水田だった農地にベトナムで初めて遺伝子組み換えトウモロコシの種子を植えた。今では、7000平方メートルの農地にモンサントの遺伝子組み換えトウモロコシを栽培している。ラムは畑の中心にある仮設小屋に腰を下ろし、初期の収穫について振り返った。2回の収穫で利益が20%増加したという。

しかしラムは、モンサントが枯葉剤を製造していた会社だったとは信じていないようだ。ラムは、自分の農場の利益を増加させてくれるモンサントの新技術に可能性を見出し、ベトナムの有害な惨状はアメリカ政府のせいだと思っている。

ベトナム戦争時、アメリカの支援下にあった南ベトナムのために戦った兵士だったラムは、農作物にしか関心がない上に英語が読めないから、モンサントの黒い過去と、遺伝子組み換え作物の議論については今も懐疑的だ。モンサントが特許を取得した遺伝子組換え種子の価格が高騰していること、あるいはモンサントが枯葉剤への関与していたことに触れると、彼は不満そうだった。

この国の政府が、国民のために正しい意思決定をしてくれると信じています。

――ベトナムの農家、グエン・ホン・ラム

ベトナム語の記事しか読めないラムには、ベトナムの新聞でモンサントに関する記事を読んだとしても役に立たなかっただろう。最近になるまでベトナムのメディアは、程度の差はあるが、モンサントと遺伝子組み換え作物にフリーパスを与えていた。遺伝子組換えのトウモロコシが初めて収穫された2015年4月以降になって初めて、ベトナムの2大紙「トイチェー」と「タン・ニエン」が遺伝子組み換え作物の栽培の実現可能性と、モンサントが再びベトナムに参入してきたことの理由付けを疑う記事を掲載した。

ベトナム戦争にモンサントが関与したという話を知った時、ラムはモンサントが「危険」だと決めつけるには情報が不足していると思い、その話を否定し、信頼性を疑った。彼はベトナム政府とモンサントを信頼している。

「モンサントに対する疑惑のすべてが事実だとしたら、大変なことです」と、ラムは言った。「モンサントの製品が本当にそこまで有害だとしたら、私だってボイコットしていたと思います。でも、私は政府が国民のために正しい意思決定をしてくれると信じています」

枯葉剤の被害者、ハノイ在住のグエン・スアン・ミンと、グエン・ティ・トゥイ・ジャン。ホーチミン市のピースビレッジ、2006年9月15日撮影。

ラムのような一般市民がモンサントと枯葉剤との関係性を受け入れられないという事実、そして枯葉剤の話はモンサントがベトナム国内で注目度が増していることの裏返しだという事実。こうした事実から、環境活動家は不満をつのらせている。モンサントはどうしてベトナムに戻り、世界中の科学者の間でも意見が分かれている製品をいともたやすく販売できたのか? ベトナムの政府と農家はどうして、多数の犠牲者に対する責任を否定し続ける枯葉剤メーカーをここまで歓迎しているのか?

■ ベトナムでのモンサントの事業拡大

枯葉剤の使用についてモンサントが共犯関係にあったことにさまざまな意見が対立している中で、モンサントは最近ベトナムに動物飼料用の遺伝子組換えトウモロコシを3種類ライセンスしている。また、ウパデャユラによると、2017年末までに7種類の認可を目指している。ベトナムのメディアは、モンサントが一流農業大学と教育NGOに寄付したことを賞賛している。モンサントはまた、約300万人と推定される枯葉剤の被害者数を記録し続けているベトナム赤十字社寄付した。

この寄付を非難する人は多いが、モンサントは最近ブログで「ベトナム赤十字社への資金提供は、ベトナムの農家を支援する大きな取り組みの一環だ」と記した。

アメリカ政府との経済関係を改善しようとしているのは、アメリカが危うく跡形もなく抹消しそうになった国との信頼と通商を再構築しようとしているからだ。

モンサントはブログで、このプロジェクトは「困窮しているコミュニティに持続可能な支援を提供すること」を目標としていると記している。また、ベトナム赤十字社とのパートナーシップは、とりわけ「衛生環境の改善に向けた資金提供を通じて、地方の2000世帯の生活を改善の一助となった」と付け加えている。

ベトナムがモンサントを信頼する理由はさまざまあり、そして複雑だ。増加し続けている中産階級向けにより多くの穀物を栽培し、より多くのタンパク質を提供する必要性からアメリカと和解し、新たな貿易協定であるアメリカ主導の環太平洋経済連携協定(TPP)の成果を享受したいという目的もある。アメリカ政府との経済関係を改善しようとしているのは、アメリカが危うく跡形もなく抹消しそうになった国との信頼と通商を再構築しようとしているからだ。2016年5月にアメリカのバラク・オバマ大統領がベトナムを3日間訪問した時にも、友好関係が強調された。オバマ大統領の訪問は、アメリカとベトナム間の貿易提携を強化させ、アジア圏内でベトナムを中国に対する有効な防波堤として確保することを目的としていた。

ベトナム北部のフンイエン省コアイチョウ地区の野菜畑で作業をする農家。2014年9月29日撮影。

■ モンサントのベトナム再参入にアメリカの影

ベトナムでアメリカ企業が増加する中、モンサントは遺伝子組換え作物を拡大させるための下準備を何年もかけて進めてきた。モンサントは、アメリカ政府の支援を得て、国交が回復した1995年以降ベトナムで経済的、文化的な存在感を確立してきている。

ベトナムは戦争には勝利したが、経済戦争で敗北した。外国資本が参入せず経済成長ができなかったからだ。インドのジャーナリスト、ナヤン・チャンダのインドシナ戦後史『ブラザー・エネミ――サイゴン陥落後のインドシナ』によると、アメリカの銀行と石油会社は、1976年に早くもベトナムとの貿易と金融関係を検討するようハノイに招待された。しかしアメリカはベトナムへの輸出禁止措置を選択し、国交正常化の1995年までベトナムの発展を妨げた。95年にアメリカは輸出禁止措置を撤廃し、モンサントはベトナムに駐在員事務所を開設し、ベトナムの農家に接近するための地域支援活動を開始した。アメリカ政府の公式文書と内部告発サイト「ウィキリークス」が流出させた公電によると、ベトナムのアメリカ大使館は、10年ほど前にベトナムがバイオテクノロジー規制法案を検討しているとき、活動家から「モンサント寄り」と非難されている科学者をベトナムに送り、遺伝子組み換え作物の利点を説明させた。その研究グループの責任者は、シンガポールにある南洋理工大学の著名なバイオテクノロジー専門家、ポール・テンだった。

テンは、2008年にアメリカ大使館主催で行われたベトナムのバイオテクノロジーの発展に関する会議で基調講演をした。これは、ベトナム政府が遺伝子組換え作物の開発計画を発表したわずか2年後のことだ。テン自身、2000年から02年まで、モンサントアジア支部の幹部だった。

1月にSkype経由でインタビューした時には、テンはモンサントで勤務していたことがあったにもかかわらず、利益相反はなかったと述べた。テンは、ベトナムにはモンサントの帰還を歓迎する理由があると考えている。

「モンサントには、すでにテクノロジーがあります」と、テンは述べた。「どんな国でも、最高のテクノロジーに乗り換えるのが賢明だと思います。これは、競争力と、より多くの食料を生産するという面で、他の国に追いつく時間を短縮することができるからなのです」

ベトナム政府は、バイオテクノロジー業界と、強力な後ろ盾となったアメリカ政府から偏ったアドバイスを受けていた

――『偽りの種子—遺伝子組み換え食品をめぐるアメリカの嘘と謀略』著者、ジェフリー・スミス

アメリカ農務省(USDA)が依頼した年次報告書「ベトナム・バイオテクノロジー・アップデート」によると、アメリカ政府は、バイオテクノロジーの発展について調査させるため、ベトナム当局者を海外に送り込んでいた。

2007年12月、アメリカ大使館はベトナムの高官8人を1週間のバイオテクノロジー研修ツアーに参加させた。USDAの報告書には、このツアーの目的は「モンサントとの重要な人脈」を作ることだったと記されている。

当時のベトナム農業農村開発相カオ・ドゥク・ファットは2009年にモンサントのバイオテクノロジー研究施設を訪問し、2010年には「人は、幽霊を見たことがないからこそ幽霊が怖い。一部の人は、遺伝子組み換え作物を見たことがないから懸念する」と発言している

カオ・ドゥク・ファットはベトナムの新聞「ノーン・ギエップ・ベトナム」に、「種をベトナムにもってきてほしいと依頼する書簡をモンサントに送った」と述べた。「手続きの問題だけだ。遺伝子組み換え作物は、人類の科学的功績であり、ベトナムは、できるだけ早く受け入れなければならない」

ベトナムのアメリカ大使館も、ベトナムの法律がモンサントに有利になるよう積極的に尽力していた。

ウィキリークスが流出させた公電によると、2009年9月、駐ベトナムアメリカ大使マイケル・マハラックは、当時の官房長官で現首相グエン・スアン・フックに、食品とバイオセーフティ法案からすべての遺伝子組換え食品と農作物の表示義務に関する規定を削除するよう求める書簡を送った。      

アメリカ-ベトナムの国交回復20周年記念のスピーチをするジョン・ケリー国務長官ハノイ、2015年8月7日。BRENDAN SMIALOWSKI/GETTY IMAGES

もう1件の公電によると、2009年10月、マハラックはフックとの会談で、この法律は「世界的に食料の需要が増大し、気候変動が農作物の生産に悪影響を及ぼしかねない時代に、始まったばかりのベトナムのバイオテクノロジー計画への障害になるだろう」と述べたという。

アメリカ政府は、ウィキリークスが流出させた公電の信憑性についてコメントを差し控えてきた。しかし、国務省の報道官ケリー・ハンフリーはメールで、「バイオテクノロジーは高品質の食品への需要の増加、気候変動とその他の環境的な圧力などの世界的な課題の解決に役立つ」と繰り返し述べている。

「モンサントは、アメリカやその他の国に多数ある、世界的な課題への解決策を見つけるためにバイオテクノロジーを使用している企業や、政府と研究機関などの中のひとつに過ぎません」と、ハンフリーは述べた。

我々が過剰に順応してしまうと、我々の文化も破壊されるのは免れない

――グエン・キム・フォン

アメリカのロビー活動も容認されてきた。

ベストセラー『偽りの種子—遺伝子組み換え食品をめぐるアメリカの嘘と謀略』の著者ジェフリー・スミスは、このテーマに関するインタビューで、「ベトナム政府は、バイオテクノロジー業界と、強力な後ろ盾となったアメリカ政府から偏ったアドバイスを受けていた」と語っている。

政府関係者とベトナムの専門家との会合後、スミスは「特定の政府機関が、遺伝子組み換え食品はより大きな経済発展と科学的功績を生み出すと説得したのは明らかだ」と述べた。

■ 枯葉剤の問題は脇に追いやられた

ベトナム国営の農業遺伝学研究所総裁ル・フイ・ハムは、終戦から41年後にモンサントがベトナムに再び参入したことを擁護している。ベトナムでは、明らかに優位に立っている遺伝子組換え食品賛成派の実権をハムが握っている。

「モンサントが枯葉剤のメーカーだったことを理由にモンサントを拒否するのなら、ボーイングもボイコットし、ベトナムに入国させないようにするべきだ」と、ハムはインタビューで語った。ボーイングは、ベトナムに大量の爆弾を落としたB-52戦略爆撃機を製造した。

しかし、ベトナムには公然とモンサントに反対する反対派が少数いる。その筆頭にいるのは、1992年から2002年までベトナムの副大統領を務めたグエン・ティ・ビンだ。

ビンは2004年、モンサントとその他の化学メーカーへの集団訴訟に国際的な支援が広がったことを支持した。またこの年ベトナム政府は、NGO「ベトナム枯葉剤被害者協会」がニューヨークの裁判所でモンサントなど、枯葉剤メーカー数社に対して起こした集団訴訟を支持した。

モンサントはこの判決で、ベトナム人被害者への補償を拒否し、非難をアメリカ政府にそらすことができるようになった。

この裁判所は以前、アメリカの退役軍人が枯葉剤メーカーに対する訴訟を起こしたのと同じ裁判所だった。この訴訟は1984年にモンサント社とその他のアメリカの化学メーカー企業数社が29万1000人の原告に12年間にわたって1億8000万ドル(約187億円)を支払うことで和解した

しかし、ベトナム枯葉剤被害者協会の訴訟では、1984年の訴訟と同じ裁判官ジャック・ワインスタインが「除草剤の供給は戦争犯罪にあたらない」という化学メーカーの主張を認め、訴訟は棄却された。モンサントはこの判決でベトナム人被害者の救済を拒否し続け、非難をアメリカ政府にそらすことができるようになった。

ビンはベトナムでは伝説的な人物だ。86歳となった今でもビンは、「待たされることを拒む短気な活動家で、世間は未だに彼女の意見をよく聞く」と、アメリカの作家レディー ・ボートンが記している。

ダナン空港そばのダイオキシンで汚染された土地に立つ警告標識。かつて米軍基地だったこの場所で、ベトナム戦争の残留ダイオキシン除去プロジェクトの開始を飾る式典が開催されていた。ASSOCIATED PRESS

遺伝子組み換え作物がバイオテクノロジーという輝かしい名の下にカテゴライズされているベトナムの学者の間では、遺伝子組み換え作物は素晴らしい農業改革だという考えが浸透しており、反対する人間は、後進的で保守的だと非難される。ビンはバイオテクノロジー企業モンサントがベトナム史に汚点を残したことに警鐘を鳴らし、ベトナムの将来を懸念しているが、ほとんど影響力はない。

しかし彼女の主張に同調する人もいる。フランスとのインドシナ戦争、そしてアメリカとのベトナム戦争を生き延びた86歳のグエン・キム・フォンもその1人だ。フォンは、戦争については寛容で、アメリカとベトナムの関係が前進することを喜んでいる。しかしフォンは、モンサントが今もなお枯葉剤がもたらした影響をほとんど認めないままベトナム国内で勢力範囲を拡大していることには不満を持っている。

「政府はベトナム人を代表して、モンサントに枯葉剤の被害者とその家族に謝罪するよう要求しなければなりません」と、フォンは語る。「そしてモンサントは、被害を受けた被害者に適切な賠償もしなければなりません」

しかし、ビンやフォンのような人々の意見の多くは、遺伝子組み換え作物とモンサントを約束の地と考える政府の役人の意見にかき消されているようだ。このような状況下では、モンサントのベトナムへの浸透を止められるものがあるとは考えられない。現在ベトナムでは、2020年までに国内の農地の30〜50%で遺伝子組み換え作物を栽培することを目標としている。

しかし、このような目標があっても、フォンやその他の戦争被害者たちは、懸念を表明し続ける。

「我々が過剰に順応してしまうと、我々の文化も破壊されるのは免れない」とフォンは語った。「我々はみな、正義を望んでいるだけだ」

ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。

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