テレビ、冷蔵庫、洗濯機が家電の「三種の神器」と宣伝されたのは昭和30年代。
今やどの家庭にも欠かせない家財道具となったこれらの製品の陰で、歴史に名を残さずに売り場から消えていった家電製品も数多くあった。でもそこには、暮らしの質を改善しようと奮闘していた開発担当者の思いが見える。発売当時は注目されなくても、数十年を経て実ったアイデアも数多い。
大阪府枚方市の会社員、増田健一さん(53)。写真集で見た高度成長期の昭和30年代に魅せられ、旧国鉄・JRの乗務員や会社員をしながら、脇目も振らずに古道具市などで買い集めた家電は約800点、ポスターやチラシを含めると約2000点に上る。「いくら使うたんかな、家一軒は建ったでしょうね。まあコレクションの保管用に小さい家一軒買いましたけど」
歴史的価値が認められ、今は大阪市立「大阪くらしの今昔館」研究員も兼ねる増田さんのコレクションの一部が、東京で展示されている。その一部を見てみよう。
「洗濯機がまだまだ庶民に高嶺の花やった頃、各メーカーいろいろ知恵を絞ります。昭和31年(1956年)に売り出されたのは、自分で担いで振って洗う洗濯器(左)。昭和32年(1957年)に改良発売された手回し式の手動洗濯器(中央)は30万台を超える大ヒットになります。たらいに突っ込んで回す『ポータブル洗濯機』(右)もありました」
「洗濯機にも噴流式、渦巻き式と、いろんな種類があって、メーカーが開発にしのぎを削っていました。こちらは昭和31年の東芝の噴流式洗濯機。それまで一方向にしか回っていなかったので、洗濯物が団子になってしまってたんですが、30秒ごとに反転してよじりをなくしたのが、この製品のすごいところです。ちなみに当時の洗濯機にはハンドル式の手絞り器がついてました」
「こちらは振動式。うるさいとか、量を洗えないとか、時間がかかるということで、その後、渦巻き式が主流になっていくわけですが、1998年にサンヨーが、超音波を発生させて洗剤半分で済むという洗濯機を売り出しました。考え方はあってたということなんでしょうね」
「当時の宣伝を見ると、主婦を家事労働から解放するんだ、という、メーカーの意気込みが伝わってきますね」
「今で言うテレビのリモコンも昭和30年代からありました。無線の信号を送ると、テレビ側の機械のワイヤーが連動してウィー、ガシャッ、ウィー、ガシャッとチャンネルを回す仕組みです。高卒初任給が6700円の昭和34年(1959年)に2万2000円。まだテレビも完全に普及していない時代でしたから、買うのはよっぽどお金持ちやったんでしょうねえ」
「扇風機に指突っ込んだら危ない、いうて、痛くないように羽根を軟質ビニールでつくったのが左の扇風機。ちなみに、結構痛いです。右は1台で2台分の働きをする扇風機です」
「電気スリッパです。って歩けんがな」
「食卓にも知恵を絞ってます。これ、何やと思います? トーストとホットミルクと目玉焼きが一度に出来るという触れ込みで売り出された製品です。ただ、実際にはホットミルクが温まってからトースト、目玉焼きと作らなければならなかったんで、朝の忙しいときに8分ぐらい、じーっとこの機械の前に座ってないといけなかったんですなあ」
「こちら、魚焼き機ですが、熱源が下でなく上についている。焼けるときに油が垂れて焦げて部屋中煙だらけにならないように、という、今で言うユーザー目線で開発されたものですね」
「高度成長とともに空気への関心も高まって、空気清浄機やマイナスイオン発生器が発売されました。当時としては高価だったこともあって一般的ではなかったけど、のちに業務用のエアコンには標準装備になりますよね」
「決してヒットはしなかった、普及しなかったものもありますけど、作り手の思いが伝わってきますよね。家電製品は今と違って、なかなか手が届く値段ではなかった。サラリーマンは頑張って働いて、月賦で一品一品揃えよう、メーカーは生活を便利にさせようと、お互い頑張ってた。そんな昭和30年代の時代の勢いっていうんですかね、そういうものを感じていただければな、と思います」
開館30周年記念特別展「昭和レトロ家電-増田健一コレクション-」は、10月16日まで、東京・足立区立郷土博物館で開催中。珍しい家電製品やポスターなど約300点を展示している。
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