めちゃくちゃ珍しい2000年前の「暴君ネロの金貨」が出土

エルサレム旧市街の近郊で、ローマ皇帝ネロの肖像をが刻まれたローマ帝国時代の金貨が発掘された。
Rare Ancient Roman Coin, Gold, Sestertius, Nero c 64 AD (Photo by Hoberman Collection/UIG via Getty Images)
Rare Ancient Roman Coin, Gold, Sestertius, Nero c 64 AD (Photo by Hoberman Collection/UIG via Getty Images)
Hoberman Collection via Getty Images

エルサレム旧市街の近郊で、ローマ皇帝ネロの肖像が刻まれたローマ帝国時代の金貨が発掘された。9月21日、CNNなどが伝えた。

この金貨は、ノースカロライナ大学シャーロット校のチームが発掘調査をしていたエルサレム旧市街の南にある「シオンの丘」で発見された。見つかったのはユダヤ人の大邸宅跡で、ユダヤ教の儀式用のプールとバスルームも残っているという。考古学者によると、発掘された金貨は、この邸宅に住んでいたユダヤ人のものだと思われる。

金貨の表にはネロ帝の肖像が彫られており、ふちの部分には「NERO CAESAR AVG IMP」と記されていた。「CAESAR」はローマの英雄ユリウス・カエサルのことで、歴代のローマ皇帝が自らの権威を示す称号としても使用した。

裏面にはオークの葉冠と「EXSC」「PONTIF MAX TR P III.」の文字が刻まれており、考古学者らはこれらの文言から金貨の年代を特定。金貨は紀元56~57年にかけて鋳造された可能性が高いという。

エルサレムを含め、現在のパレスチナやイスラエルなどにあたる地域一帯は、かつてローマ帝国の属州だった。

発掘の責任者の一人、シモン・ギブソン氏は「こうしたコインが科学的な発掘の過程で出土するのは、エルサレムでは初めてのこと。この金貨は特別なものです」と声明を発表した

ギブソン氏によると、こういったコインは通常、個人的なコレクションの中からしか見つからないという。その場合、「コインがどうやって作られたのか、その起源についてはっきりした証拠は得られない」と述べている。

ノースカロライナ大学のラファエル・ルイス教授は発見された金貨について、「銅のコインや銀貨とは違って、このコインは金でできている。なので、腐食もありません」と述べた上で、「使われている金は非常に高品質です」と語った

■「暴君」の代名詞、ネロ帝とは

ネロ帝の彫像(左)

ネロ帝(在位54〜68年)は帝政ローマ初期の皇帝。治世初期は師であった哲学者セネカらの補佐もあり善政を敷いたが、のちに残忍な性格をあらわし、義弟・母・妻らを殺害。「暴君」の代名詞とされる。

「母を謀殺後、良心の呵責に苛まれる皇帝ネロ」ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作(1878年)

64年にローマで大火災が発生した際には、舞台に立って街に広がる炎を見ながら、弦楽器を弾いたり歌を歌っていたという逸話も語られる。また、「ローマの大火災は、皇帝が街を作り変えるためにわざと起こした」という噂が広まると、火災の責任をキリスト教徒に負わせて大迫害をおこなった。

当時の歴史家タキトゥスは「年代記」の中で、「(大火災は)偶然だったのか、元首の策略によるのか、不明だ」「消火を邪魔し、松明を投げながら『その筋の命令でやっているのだ』と叫んでいる者もいた」と、当時の様子を記している。

その後、ネロ帝は陰謀に加担していたとしてセネカに自決を命じるなどして、やがて人望を失った。暴政は反乱を招き、元老院からは廃位を突きつけられ、軍隊にも見捨てられ、ローマから逃亡したのち自殺した。

ネロ帝によるキリスト教徒の大迫害は、ローマ帝国におけるキリスト教徒の迫害と殉教の始まりともされ、以降ローマ皇帝の多くはキリスト教徒の迫害を繰り返した。ペテロやパウロもこの時に殉教したとされる。313年、キリスト教は「ミラノ勅令」で公認され、392年にはローマ帝国の国教となった。

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