リオデジャネイロオリンピックで史上初めて結成された「難民選手団」が7月30日、オリンピック公園内のプレスセンターで記者会見した。出場する10選手のうち、シリアとコンゴ民主共和国出身の4人が会見にのぞみ、「全力を尽くしたい」などと抱負を語った。朝日新聞デジタルなどが報じた。
今回のリオデジャネイロオリンピックで国際オリンピック委員会(IOC)は、母国を離れた難民にも出場機会を与えようと、初めて「難民選手団」を創設した。会見にはシリア出身で競泳女子のユスラ・マルディニ選手(18)も出席し「世界にいる難民の代表、希望の代表として全力を尽くしたい」と述べた。
こうしてオリンピックに出場するに至るまで、マルディニ選手は他のシリア難民と同じく過酷な道をたどった。以下に彼女の波乱に満ちた半生を紹介する。
■ボートが故障し、海を泳いで… シリア出身のユスラ・マルディニ選手とは
ユスラ・マルディニ選手は、シリア内戦で国を追われた難民の一人だ。シリアオリンピック委員会の支援を受け、競泳選手として活躍していた。しかし、内戦の早期終結が困難と考えたマルディニ選手は2015年8月、同じく競泳選手だった姉のサラと共に首都ダマスカスから脱出することを決意。レバノンのベイルート、トルコのイスタンブールやイズミルを経て、地中海を渡りギリシャへと逃れた。
トルコからは、密航業者が用意したボートに他の密航者とともにへ向かった。この時ボートには、通常6〜7人しか乗れないところ、20人ほどが乗っていたという。
ところが、出港からわずか15分ほどでボートのエンジンが停止。だんだんと水没し始めたという。マルディニ選手は、姉や他の泳げる人々ともに海へ飛び込み、難民たちが乗ったボートを押したという。
当時の状況について、マルディニ選手はこう語っている。
「泳ぎ方を知らない人もいました。私はただそこに座って、溺れることに文句を言うだけでいるつもりはありませんでした。溺れていたとしても、最低でも、私は自分自身と姉のことを誇りに思いながら溺れていたでしょう」
(ユスラのストーリー リオ五輪を見つめるシリア難民|国連UNHCR協会より 2016/03/18)
彼女たちが懸命にボートを押したことで、故障したボートは奇跡的にもギリシャのレスボス島に打ち上げられ、乗客全員が生還した。
その後、マルディニ選手と姉のサラは、ギリシャからヨーロッパ各国を経由してドイツに入国。今はベルリンで暮らしている。両親もシリアを脱出し、ドイツ国内に居住している。
30日の会見でマルディニ選手は、4年後の東京オリンピックを見据えてこう語った。
「オリンピックはすべての選手にとって夢の舞台で、世界中の難民に『夢はかなえられる』と伝えたい。一生懸命練習に取り組めば、4年後の東京ではメダルが取れるかもしれない」
(難民選手団が会見 五輪での願い語る | NHKニュースより 2016/07/31 06:25)
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