ジャーナリストのメリー・コルビンのトレードマークだった黒い眼帯は、彼女の性格を表していた。彼女は2001年にスリランカで政府軍の攻撃に遭い片目を失った。
シリア中部の都市ホムスで2012年2月22日に、政府軍の砲撃を受けて死亡したアメリカ人女性ジャーナリストのメリー・コルビンさんについて、シリアのバッシャール・アサド大統領は「全ては彼女の責任だ」と主張した。
「これは戦争なのです。彼女はシリアに不法入国してテロリストたちと協力していた。不法入国したのだから、身に降りかかる全てのことは彼女自身の責任なのです」と、アサド大統領はダマスカスでNBC ニュースの独占インタビューに答えた。
コルビンさんはイギリスの「サンデー・タイムズ」に所属する、経験豊かな戦場ジャーナリストだった。2012年2月22日、反政府勢力の支配下のホムスにあった仮設のメディアセンターが政府軍に包囲され、コルビンさんはフランス人写真家レミ・オシュリクさんとともにロケット弾攻撃を受けて死亡した。
コルビンさんの家族は、「反政府的な存在を壊滅する作戦の一環として」シリア政府が彼女の殺害を命じたと主張している。
この訴えには有力な根拠がある。シリア軍事情報部が2011年8月に送ったファックスだ。ロイターによると、そのファックスには、軍や情報機関に対し「海外メディアや国際組織に属するシリアのイメージを損なう人物たち」に厳しく対処するように要求していたという。
2011年6月4日、リビア北西部のミスラタでリビア反政府勢力と共に写真に収まるコルビンさん(左から2番目)
国際人権NGO「アムネスティ・インターナショナル」によると、シリア政府は定期的にジャーナリストやメディア関係者たちを攻撃している。そして政府の方針に勇気をもって異議を申し立てている数万人の市民たちが行方不明になっているという。
コルビンさんは紛争地域で報道に関わるリスクを理解していたが、重要な事実、そしてほとんど報道されない事実を伝えるべきだと決意した。
亡くなる前夜、コルビンさんは彼女の目の前で散弾による負傷で亡くなった赤ちゃんについてCNNのキャスター、アンダーソン・クーパーと言葉を交わした。
「シリア軍はテロリストを狙っているだけだと主張していますが、全くの嘘です」と、コルビンは語った。「ロケット弾、破裂弾、砲撃、対空砲火が同時に街を攻撃しています。シリア軍はただ、寒々しい街と飢えた市民たちを砲撃しているだけなのです」
勇気をもって命がけで真実を明らかにする決意を持っていたコルビンさんは、昔も今も人々の記憶に残り続ける。
ニューヨーク州イースト・ノリッジに住む母のローズマリー・コルビンさんは、娘のために正義を求めている。
1999年、インドネシアからの独立を目指して紛争が激化した東ティモールで、コルビンさんはインドネシア軍に包囲された1500人の女性と子どもたちの命を救った。コルビンさんは他の2人の女性ジャーナリストと共に、東ティモールに留まった。彼女は国連が設立した多国籍軍を説得して、駐留を継続して大量虐殺を阻止するよう求めた。
コルビンさんは2001年にスリランカで政府軍の攻撃により片目を失った。トレードマークとなった黒い眼帯は、彼女の生きざまを表していた。
コルビンさんとオシュリクさんの死は、国際世論、特にメディア関係者に衝撃を与えた。2012年当時から困難を極めていたシリアでの報道が、より一層踏み込んではいけない領域になった。
シリア人たちは、国内の戦争を報じる危険な仕事を任されている。シリア国内にいる海外ジャーナリストや監視団は、今やまれな存在だ。シリア政府も反政府勢力も、メディア関係者を誘拐し殺害するからだ。
7月14日、ダマスカスでNBCのビル・ニーリー記者のインタビューを受けるアサド大統領(左)。苛酷な内戦で不正行為は一切していないと主張した。
6年目になるシリアの内戦は、「アラブの春」の影響を受けてシリア人たちがアサド独裁政権から自由と正義を求めて平和的なデモをしたことから始まった。
政府の刑務所で日常的に拷問が繰り返され、市民の居住地域で大規模な爆撃が行われている証拠があるにもかかわらず、アサド大統領は、40万人が死亡したといわれる内戦で一切の不正行為をしていないと主張している。
「良い戦争など聞いたことがありますか?」と、アサド大統領は語った。「良い戦争なんて誰も聞いたことがないと、私は思います。これは戦争なのです。常に犠牲者がいて、いつも無実の人たちが手段を選ばず殺害されます。どうやって殺害されたかなんて、誰にもわかりません」
ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。
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