中国は、文化大革命の時代に毛沢東を称える数多くのプロパガンダ用ポスターを発行した。このポスターには「世界革命人民の中心、赤い太陽の毛主席 万歳!」と書かれている。
中国の文化大革命から今年で50周年を迎えた。文革は、中国共産党の10年にわたる混乱と内部抗争に陥れた社会運動だった。
1966年5月16日、毛沢東主席が率いる中国の政権は全国民に対し、「労働者階級からの権力奪取を目論む資本家の一味」とみなされる人物を一掃するよう布告が発せられた。1958年から毛沢東が推し進めていた大規模建設、農業増産を目指した大躍進政策が行き詰まりを見せ、2000万人の餓死者と経済危機を生み、毛沢東へのの支持が衰えかけていた頃だ。
中央政府からの呼びかけに答えて、学生たちは大学側に反旗を翻し、農民は地方政府への反乱を起こした。全国の若者たちがこの動きに同調して、紅衛兵と呼ばれる民兵組織を作りあげ、文化的遺物をぶち壊してこの国の歴史的遺産の残り香まですべて破壊し尽くそうとし、多くの知識人や政治家たちを「反革命分子」として迫害した。
政府の公式統計によれば、この文化大革命により殺害された国民は170万人以上に上るという。
毛沢東が描かれたこのポスターには、「大洋の航海は操舵手による。帝国主義者からの侵略に抵抗するために強大な海軍を作らねばならない」と書かれている。
中国にとって、この時期の記憶は蘇らせたくないものかもしれない。毛沢東の死から5年後の1981年、中国共産党中央委員会は、文革をこ「重大な災厄と損害、逆行」をもたらした「完全な失敗」だったと認める決議を採択した。
2016年5月16日、中国国内ではこの出来事に関する議論もなく、おおむね平静を保っていた。
政府はこの日、文革にまつわる公式行事は一切行われなかった。この話題について大きく取り上げた国営のメディアも、一つもなかった。中国を代表するどの新聞を見ても、南シナ海をめぐる論争などの他の記事で第1面が埋められていた。
この国では過去、影響力の大きな話題に関して頻繁に検閲が行われているが、文化大革命についての議論はソーシャルメディア上で検閲を受けたわけではないようだ。ただし、人気あるマイクロブログのプラットフォーム「ウェイボー(新浪微博)」上ではこのテーマに関するコメントはごくわずかだ。
しかし、ここに集めた文化大革命の頃に発行された年代物のポスターを見ると、この国はその当時、文革とその目的についてまったく別の見方をしていたようだ。政府が発行したポスターの多くでは、産業を育成し徴兵を奨励するために、農民や兵士たちが国家のヒーローとして褒め称えられている。登場人物の多くはまた、毛沢東語録の赤い小冊子を手に持つ姿で描かれている。
ポスターをよく見てみよう。
「中国人民は高い志を持つ」と書かれている。
「産業の力」と題されたこの木版画では、2人の労働者のうちの1人が毛沢東語録の赤い小冊子を抱えている。多くの人々が、罰を逃れる目的でこの赤い小冊子を常に持ち歩いていた。
このポスターに描かれた農民と労働者は全員が微笑んでいる。「中国工会第九次全国代表大会の成功裏の開催を熱烈に祝す」と書かれた文字が見える。
一人の農民と人民解放軍の将校が大きく描かれたポスター。題字には「人民解放軍へ戻れ、四大運動をより高い地平に導け」と書かれている。
農民たちと並んで地方を歩く毛の姿を描いたプロパガンダ用ポスター。文化大革命の間、毛は高等教育を受けた若者たちに、地方に行って農民たちからの「再教育を受ける」ように勧めた。
「革命と生産の新たな勝利の時代、70年代へようこそ」と書かれたポスター、中国の労働者たちが手には道具、もう片方の手には毛沢東語録を持って描かれている。
「毛沢東語録を大きな声で読もう」と題されたこの木版画で赤い小冊子を持つ男。
「旅の友、毛沢東語録」と題されたこの木版画には、赤い小冊子と「毛主席最新指示」と書かれた文書を持って旅行する一団が描かれている。
この木版画の題名は「毛沢東語録は太陽の力」
農民や兵士たちが大きく描かれた木版画、題名は「毛主席はこう語った」
農民や兵士たちがそれぞれ赤い小冊子を持ち、大きな赤い旗には「偉大なる団結の旗を高く掲げ、更なる大勝利を勝ち取れ」と書かれている。この木版画の題名は「すべての人民は毛沢東語録に従う」
「喜びをもたらす毛沢東語録」と題されたポスターには、「毛主席語録 革命を掴み取れ、生産を促進せよ、労働を促進せよ、戦略を促進せよ」と書かれた板を掲げる農民が大きく描かれている。
ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。
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