男女平等、福祉の国として名高いフィンランド。この国の高齢者の暮らしや介護はどうなっているのだろうか。フィンランド人男性と結婚後、現地に移住し2人の子供を育てるフリーライター・靴家さちこさんが紐解く、フィンランドの介護事情とは?
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福祉の国では高齢者ケアも充実してる?
「フィンランドに住んでる」というと、「高齢者介護の福祉も充実しているの?」と聞かれることが多い。実際、フィンランドの高齢者政策は、1982年に国連で採択された国際行動計画に基づき、高齢者の経済的自立、自己決定権、社会統合と公正の保障を配慮し、可能な限り自立して暮らし、良質な福祉サービスが受けられることを目指している。
雨の日も、一人でも外出する自立したフィンランドの高齢者
1970年に既に「子の親に対する扶助義務」を廃止し、男女ともに労働参加の継続が可能なフィンランドでは、高齢者への年金給付などの所得保障は国が行い、福祉サービスに関しては、地方自治体がその責任を負う。よって、日本のように親の介護を理由に離職する人は珍しい。
フィンランドはその70年代から、高齢者人口の比率において20年近く世界をリードしてきた。2060年時点では、65歳以上の人口比率は28.2%に達すると言われている。
高齢先進国のフィンランドの高齢者は、どんな暮らしをしているのか。介護者はどんな働きかたをしているのか。高齢者にも介護者にも優しい福祉とは――?
義理の両親を介護した経験と、現在フィンランドで就業している日本人の「ラヒホイタヤ」(ホームヘルパー、保育士、歯科助手、フットケア、障害福祉士など10種類をまとめた「日常ケアに関する中卒レベル資格所持者」)の2人に聞いた実情を紹介する。
■フィンランド人、親が老いても「同居はありえない」
私の夫の母は享年75歳、父は79歳で、それぞれ2008年と2011年に亡くなった。2人は離婚しており、同じ町のアパートでそれぞれ一人暮らしをしていた。義母は足腰が弱って歩行器を使っており、時折飲酒の量が過ぎるので、週末に、やはり同じ町に住む夫と義姉が交代で部屋の掃除や話し相手をし、日用品の買い物は別れても良き友だった義父が手伝っていた。糖尿病のインシュリンの注射も自分でし、ほとんどラヒホイタヤの世話にはならなかったが、ある日の明け方、床に倒れて亡くなっている姿が発見された。
こう書くと、近所に娘や息子がいながら、どちらも同居してあげなかったことに驚かれるかもしれない。しかしフィンランドでは、「義理の親はもちろん、自分の親と住むのもありえない」「親だって子どもと一緒じゃ嫌でしょう」と眉をしかめられてしまう。フィンランドの高齢者とは、老いても自分の家に住み、身の回りのことを自力でしたい人達なのだ。
歩行器で近所のスーパーへ買い物に出かけるフィンランドの高齢者
「介護は可能な限り自宅で受けたい」という高齢者の願いは、自治体にとっても、施設を建てる費用が節約できるのでありがたい。フィンランドでは、かつては施設介護が主流だったのだが、90年代から各自治体が在宅介護サービスの充実を図り、当時全国に5万あった老人ホームを1/3までに減らすことに成功した。
■十分な福祉を受けるには「拳でテーブルを叩く」必要
義父は、元妻を亡くして以来、アルツハイマー病を発症し、薬や食事を摂り忘れることが増えた。夫と義姉が手伝いを始めたが、当時は二人とも仕事をしていたため、夕方までは訪問介護を依頼したが、症状の進行は早く、義父は外套を着用せずに雪景色の外を徘徊したり、椅子から立って歩いたことを忘れて、何もないところで腰をおろし転倒したりするようになった。
雪道にも慣れてはいるが、路面が凍ると高齢者が一人で外出するのは危険だ
ついに義父の肝機能も悪化して入院した時、夫は医師に、老人ホームへの入所を打診した。公立の老人ホームでは、年金などの本人の所得から80%を支払えば、薬も含む医療費のほか、食事からオムツなど、あらゆるケアが無料で受けられるのだ(例えば年金の最低保証額である634.30ユーロが月収の場合、507.44ユーロ=約6万3000円)。
しかし入所する為には、医師の診断書が必要となる。ところが医師は、「息子のあなたが同居してはどうか」と夫に迫り、「資格を取ってホームナースになり、国から補助金を受給しては」と提案してきた。確かに夫は当時、会社を辞めており、開発が進んで急に人口の増えたこの地域では、ホームはどこも満室だった。
結局、退院した義父は自宅に戻され、ヘルパーの訪問を1日3回に増やしたが追いつかず、転倒と青あざは増える一方だった。見かねた夫は市に抗議のメールを送り、「市が、このまま老人に怪我させながら自宅療養を続けさせるならマスコミに訴える」とも言い、義父の写真を撮り始めた。
約4カ月後、夫が画像を添付したメールを書き始めたその時、やっとホームから入所可能になったと連絡が来た。この話を周りのフィンランド人に聞かせたところ、そのうちの一人はさして驚かず、「この国で十分な福祉を受けたければ、『拳でテーブルを叩いて』要求しなければ」とジェスチャー付きで熱弁した。このフレーズは、長年フィンランドで暮らすにつれて実感することが多くなった。
■コディンホイタヤ(在宅介護)という仕事
ここで、フィンランドで介護職に就く、日本人を紹介しよう。テーリカンガス・里佳さんは、フィンランド南部の自治体で、民間企業の在宅介護士として働いている。勤続1年目の里佳さんは、この仕事を「一人で現場を任されているのでやりがいがある」と気に入っている。成人向けのラヒホイタヤ養成コースで学び、最初の1年で全資格共通の基礎を、2年目に老人介護を専門的に勉強し、資格を得た。多くの実施訓練も経験し、保育園と公立の老人ホームでも訓練を受けたという。
在宅介護士のシフトは3週間ごとに組まれ、一日8時間で10~16世帯を訪問する。一回の訪問は20分程度。チームの同僚達とスケジュールを調整し合って、互いに助け合う。残業は時折、事務処理で会社に残ることもあるが、基本的には無い。給料はフィンランド国内では高い方ではないが、重労働を伴う仕事ではないのでそう低いとは感じていないそうだ。が、週末や深夜の勤務は200ユーロ(約2万5千円)の手当が付くので、積極的にシフトに入れている同僚もいる。
在宅介護士の仕事は、1)食事の提供(温めるだけで、調理はしない)、2)被介護者に必要な日用品をスーパーに発注し、3)配達物を受け取る、4)薬の管理と、健康状態によっては医師への連絡、5)入浴の手伝い、6)運動したい人に付き合う(屋内)、7)必要がある人には社会福祉庁からのサポートが受けられるよう、手続きを手伝う。
医療行為は、インシュリンなどを注射するぐらいで、それ以上のケアが必要な人は訪問看護士のサービスを受ける。家の掃除や外出の手伝いをする義務は無く、清掃は被介護者がサービス業者を雇うか身内が手伝う。
サービスの利用料は、公の場合、例えば年金634.30ユーロを受給する一人暮らしの場合、1カ月で20時間利用で16.55ユーロ(約2千円、※タンペレ市の場合。算出方法は自治体により、利用者の収入によっても異なる)。一方、民間企業の月20時間コースは、1カ月580ユーロかかる(約7万2千円、※シポー自治体の民間企業の場合)。
フィンランドの在宅介護サービスは、各自治体が自宅介護を推し進めた90年代が黄金期といわれており、当時の介護士は、被介護者と共に買い物に出かけ、買ってきた食材で調理をし、掃除やゴミ出しも手伝い、散歩にも出かけたそうだ。2000年代に入って上記の通りに限定されたのは、時代とともに平均寿命も延び、高齢者人口が増加し、自治体の財力が追いつかなくなったからだ。
■「老いても自分の家に住み続けたい」は本音か
あるとき、義父は孤独が身に染みて「ホームに入りたい」と漏らした。しかし公の老人ホームは、医師の診断書無しには入れない。民間の老人ホームは、月額平均4000ユーロもかかるので、義父はデイケアサービスで妥協した。
自立できなくなってから最終の手段として入所する、公立の老人ホームのロビー
里佳さんが担当する高齢者にも、民間のホームに入りたいと訴える人もいる。だが、そう言っていられるのも頭がしっかりしている時だけで、容体が悪くなると、新しい環境に移ることを避け、「やっぱり自宅に居たい」と言い出すものだそうだ。
親の扶助の義務が無いフィンランドでも、親の面倒を見てあげたい気持ちが無くなるわけではなく、兄弟姉妹はラヒホイタヤと入れ替わりで、親のそばにいる時間を確保しているそうだ。「日本のように同居までしないけれど、交代で毎週様子を見に来たり、買い物や掃除をするなどして親の生活支援をしています」と里佳さんは語った。
■日本人ラヒホイタヤ(施設介護士)が見た公立の老人ホーム
日本人のラヒホイタヤを、もうひとり紹介しよう。Aさんは、公立の老人ホームで重度の介護を必要とする入居者グループを担当する施設介護士だ。
勤務時間は1日何時間勤務という形ではなく、週に38時間15分という時間数が決められている。早番は7時に始まり、遅番は14時から、夜勤は20時半からの3つのシフトに組まれている。Aさんの部署では、それぞれ16人の被介護者を抱える2つのグループを、介護士2人と看護士1人が担当している。
各自個室に賃貸物件として住まう公立のホームの入居者たち
実務は、被介護者の着替えやおむつ替えのほか、寝返りを打たせたり車いすに座らせたりするなどの肉体労働がメインだ。中には、暴れ癖や暴言癖がある人もおり、身体が大きい人もいるので、そのような人のケアにあたる時は、2人で出向くという。
大変な重労働だが、賃金は平均2133ユーロで、国民の平均の3分の2ほどである。昇給は勤続5年目からで、一般に年間約24日から30日保障されている有給休暇も、勤続10年目にしてようやく増えるなど、他の業種と比較すると労働環境は良いとは言えない。
なお、寝たきりの被介護者の家族は、自分自身も高齢である場合や、変わり果てた親の姿を見るのが辛いなどの理由から訪問回数がぐんと減るという。中には「食事の質が悪い」「着せている服が悪い」と文句をつけたり、本人が辛くて寝ていたいのに、「もっと外出させて欲しい」「毎朝定時に起こしてあげてほしい」とリクエストしたりする人もいる。
それでも「公立のサービスの評判はあまり良くありませんが、できるだけ希望に合わせたケアもしていますので、満足しているご家族もたくさんいます」とAさんは語る。
公立の老人ホームのバルコニー。ガラス越しに見える緑と湖が美しい
■日本とフィンランド、高齢者ケアの違いは?
公立の老人ホームでは、ヘルシンキなどの大都市をのぞき、何か特別なサービスがあるわけではない。全てが平均的、もしくはそれ以下だ。それでも公立のホーム入居者は、いかに高額な医療や投薬治療を受けでも、ホームの入居費用と合わせて収入(年金)の80%を支払い、残りの20%は本人が自由に使えることが法律で守られている。
日本の高齢者医療との違いは、積極的な胃ろうはしない、延命措置の判断は医者が行うといった点が挙げられる。他に、生前の義父のようにホームで容体が悪化し、病院に入院した場合には、手術費も含めての支払いが年間633ユーロ(約7万2千円:ケラヴァ自治体の場合、2008年当時)までと上限が設定されているのもフィンランドならではだろう。
■お手本にすべき所はどこか?
なお、金銭的に余裕がある高齢者は、グリーンハウスでガーデニングや畑仕事ができたり、手芸講座や講演など各種外出イベントにも参加できたりする「テーマ型老人ホーム」や、食事に無料でワインも提供されるQOL(クオリティー・オブ・ライフ)が高い民間の施設を選んで利用している。福祉大国だからといって、稼ぎの良し悪し関係なく万人が一律の介護を受けているわけではない。
新しくてモダンなデザインのエクステリアが映える民間企業エスぺリの老人ホーム 提供:Esperi 撮影:Sini Pennanen
2000年初頭から出始めたそのようなニーズの多様化に対応しようと、民間企業のサービスがスウェーデンなどの海外から導入され、国内の大手企業が対抗するようになった。一方、地方自治体のサービスではそのようなニーズに対応しきれず、民間企業のサービスを自治体が買い上げ、社会保障と組み合わせてリーズナブルな価格で提供するようにもなっている。
祝日や特別な日の食事には無料でワインも提供される民間企業エスぺリの老人ホーム 提供:Esperi 撮影:Sini Pennanen
フィンランドの高齢化比率は、1994年に日本に追い抜かれており、今や65歳以上の人口が全体の25%を占める日本が「世界一の高齢化国」の座についている。その日本で、諸外国の制度やシステムが参考になるのか、やや説得力が欠けるかもしれない。しかし、介護離職を生まない法制度や、様々な在宅介護サービス、介護職の人たちの現実的な働きかたなどは、ヒントになるかもしれない。
(文・写真 靴家さちこ)
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