産後うつの発症率が最も高く、ママたちが「一番孤独でしんどかった」と振り返る期間。それが産後1~3カ月だ。2014年に初めての出産を経験した漫画家のはるな檸檬さんは、この時期をどうやって乗り越えたのか?
新刊『れもん、うむもん! ――そして、ママになる――』を出版したはるなさんに、わが子を愛おしく思えるようになるまでの過程、そして「完全に私のことだった」という待機児童問題について話を聞いた。
コミックエッセイ『れもん、うむもん! ――そして、ママになる――』
■余裕ができるまで「かわいい」なんて全然思えなかった
――漫画に描かれていた産後の孤独、はるなさんはどうやってその山を乗り越えられたのでしょう。
『れもん、うむもん!』でも描きましたが、私は故郷の宮崎から産後の手伝いに来てくれた実母を3日で帰しちゃったんですよ。それまではお母さん大好きっ子だったのに、大げんかしちゃって。
――産前後で実母と確執があったというママの話はよく聞きますね。
だから1カ月健診で外出するときも、超怖かったですね。母は実家に帰しちゃったし、夫は仕事だから一人で行くしかなくて。でもそのときは抱き方さえもまだよくわからなくて、抱っこ紐も買う余裕がなかったから、すっごいガタガタ震えながらおくるみに包んだ赤ちゃん抱えて、タクシーに乗って……もう本当に怖かったです。あんなにきつい外出はなかった。
――産後はホルモンバランスの変化が急激すぎて、心身ともに不安定になりやすい時期ですが、経産婦でもその事実を知らない人も多いようですね。
そう、まるで地上とエベレスト並にホルモン値が上下するなんて、私も産後に義妹から教えてもらって初めて知ったんです。そういうことを情報として知っておくだけでもラクになるじゃないですか。知らないと「ただのヒステリー」って自分でも思っちゃいますよね。
結局、母の手を借りられなかった分は、夫に頼み込んでかなり仕事を休んでもらいました。それで夫婦交代でフラフラになりながら赤ん坊の面倒を見て、なんとかちょっと落ち着いてきたときにようやく「子ども、かわいいかも」って思えるようになりました。
――大変でしたね。それが生後3カ月くらいのときですね。
やっぱり「かわいい」と思えるようになるのって、余裕がないと絶対できないんですよ。余裕がないときって、自分以外は全員敵に見えてしまう。小さな子どもまでもが、敵というか、自分を追い詰めるものに見えてしまう……。だから虐待だって全然他人事じゃありません。そういうニュースを見るたびに本当に苦しくなるんですけど、ほとんどの人は境界線にいると思うんです。そのきわきわの部分で、どうにか踏みとどまっているんじゃないかな。
日本って、母になった途端に個としての人格をいきなり無視される感じがありますよね。「子を産んだ瞬間に母親という生き物になりなさい」「無償の愛を注ぐものとして存在しなさい」という無言の圧力がすごく強い。そういう母性神話が根強く残っているから、みんな弱音を言いづらいんじゃないかと思います。
■自分の子への愛はエゴの延長線上、ではなかった
――『れもん、うむもん!』で描かれている親バカになる心理も興味深いですね。血の繋がりよりも、毎日見ていることによる愛着こそが「かわいい」の源ではないか、という分析は実感としてもわかる人が多いのでは。
昔、赤ちゃんの取り違え事件ってありましたよね。私たぶん血の繋がらない子を育てることになったら、その子が自分に全く似ていなくても「すごいかわいい!」ってなる気がするんです。毎日世話をして、いろんな表情の変化を見ていたら、そのことが愛おしさを増幅させる感覚があって。
先日のNHKスペシャル「ママたちが非常事態!?〜最新科学で迫る ニッポンの子育て〜」でもやっていましたけど、男性も子どもの世話をすることで脳からオキシトシンというホルモンが出て、愛情が強まるそうなんです。だから血の繋がり云々じゃなくて、やっぱり毎日世話をすること、関わり合いの中で愛情って生まれてくるんですよね。
■東村アキコ先生の育児をそばで見た経験は、私の宝物
前編で、東村先生と自分の産後があまりに違いすぎてショックだった、という話をしましたが、でも先生の育児を見ていたおかげで3カ月を過ぎた後はすごくラクになれたんですよ。東村先生って、子どもをあんまり怒ったりしないんです。例えば子どもが物を壊しても「コップは何個でも割れるでしょ」「子どもはそういう生き物」という感じで。壊してほしくないものは高い所に挙げておいて、あとはもう基本壊れるものという前提。服とかも「破けてるね。ウケる~」「あ、納豆ついてた」って(笑)。
納豆つけてカピカピになっててもまあいいや、っていうおおらかさと、どうせ思い通りにはならないんだという諦め。そういう姿勢はすごく先生の影響を受けているというか、宝物をもらったと思っています。
――おおらかさ、いいですね。
うちの夫も妹の子どもの世話をした経験があるからなのか、そういうおおらかさがある人なんです。離乳食も「食べないなー。じゃあ捨てようか。二十歳までミルク飲んでいる人なんて誰もいないんだから、いつかは食べるよ~」っていう感じで。彼もそういうスタンスだったおかげで救われましたね。
私より先に出産を経験していた夫の妹の言葉も心強かった。私は根が真面目なので産後3カ月まではもうめちゃくちゃギチギチになってたんですけど、「何にもしなくていい。お母さんがニコニコしていることのほうがずっと大事だから」と義妹が言ってくれて、その言葉にもすごく助けられました。
だからそこからはもう、ノンストレスですよ(笑)。離乳食はレトルトだったし、お風呂だって毎日じゃないし、寝る時間もテキトー。それでもちゃんと子どもって育つんだ、ということは東村先生を見て知っていたので、育児の常識とかそういったものに追い詰められずに済みました。
■「日本死ね」じゃなきゃ「私死ぬ」状態だった
――現在は都内にお住まいですが、待機児童問題はやはり他人事ではないと感じていますか?
2016年4月から認可園に入園できましたが、それまでの約1年半待機児童だったので「保育園落ちた日本死ね」問題は完全に私のことでしたね。「日本死ね」じゃなきゃ「私死ぬ」って毎日思ってました。シッターさんにお願いしたり、一時保育に預けたりもしてましたけど、やっぱりすごくお金がかかるんです。
だからこの春まではずっと、子どもを寝かせた後の深夜0時から朝5~6時まで仕事して、その後4時間くらい寝て、日中は子どもの面倒見ながら一瞬だけ寝たり、一緒にお昼寝したりして、なんとかトータル6時間睡眠という生活だったんですけど、もう無理だと限界を感じて。
――そんな生活が1年近くも続いた?
そうです。なので、この4月に保育園に入れたことは、本当に奇跡というか、宝くじが当たったような気持ちでした。
■母性は「地べたを這いつくばって手に入れる」もの
――保育園生活が始まると、子育てもまた次のステージに突入しますね。ママになってからの1年数カ月を振り返ると、「母性」というものへの印象は変化しましたか。
全然違います。産む前は、母性は本能、勝手に備わっているものだと思っていた。自然と溢れ出るものなんだろうって。
でも今、私が感じる母性は「諦め」です。いろんなことを手放して、一個に集中する感じ。「素敵なママに見られたい」「女として充実していたい」といった執着や自意識を捨てて、人前でも平気で「いないないばぁ」ができるようになる感じというか(笑)、とにかくこの子を生かしていくためには全力を尽くす。いろんなものを手放していった果てに腹が座ること、それが母性なんじゃないかな、と思います。
命を守る、それ以外のことは諦める。そう集中してしまえば、すごく強くなれるし、スパッと迷いがなくなる。勝手に降りてくるもの、生まれるもの、備わっているものではなく、「地べたを這いつくばって、どうにかやっと手に入れる」もの。それが私にとっては「母性」なのかもしれない、というのが実感です。
はるな檸檬(はるな・れもん)
1983年、宮崎県生まれ。漫画家。2010年、宝塚ヲタクを題材にしたWeb連載「ZUCCA✕ZUCA」にてデビュー。全10巻を超える人気シリーズとなる。その他の著書に自身の読書遍歴を描いた自伝エッセイ漫画『れもん、よむもん!』や『タカラヅカ・ハンドブック』(雨宮まみとの共著)がある。
出産・産後の孤独としんどさ、それを乗り越えた先にある「母性」の強さを描いたコミックエッセイ『れもん、うむもん! ――そして、ママになる――』(2016年3月刊行)が注目を集めている。「れもん、うむもん」公式ツイッター:@lemon_umumon
(取材・文 阿部花恵)