カメラのほうが気になる犬たち (c)辻惠子さん
札幌市の公益財団法人北海道盲導犬協会には、世界で初めてつくられた盲導犬のための老犬ホームがある。視覚障がい者の目となり心の支えとなる盲導犬の寿命は、およそ15年。ユーザー(盲導犬を使用する人の呼称)との絆がどんなに深くても、盲導犬として活動できなくなった犬たちは、ユーザーの元を離れなければならない。
引退犬たちはその後、どんな老後を送っているのだろうか? 老犬ホームでの暮らしを綴った『ハーネスをはずして』の著者で、盲導犬を28年間にわたって介護し、250頭を看取ってきた辻惠子さんに話を聞いた。
『ハーネスをはずして』
■世界初、盲導犬の老犬ホームが誕生
——北海道盲導犬協会に老犬ホームができたのは1978年です。世界初の試みとしてつくられたそうですが、それ以前は、現役を引退した盲導犬はどうしていたのでしょうか?
盲導犬の組織的な訓練がはじまったのはドイツで、第一次世界大戦中に視覚障がいとなった戦盲者のために育成されたのがはじまりです。
日本で盲導犬の使用がはじまったのはずっと後で、日本盲導犬協会が設立されたのが1967年。ですから、当時はまだ現役引退する盲導犬がほとんどいませんでした。ただ、今も老犬ホームに入らない引退犬はたくさんいますが、老犬飼育委託ボランティアの方々がいらっしゃいますので、そういったご家庭で最期までお世話していただくケースも多いですね。
老犬ホームの内部 撮影/北海道盲導犬協会
——長年、生活を共にしてユーザーの身体の一部となっている盲導犬とのお別れに、胸が痛みました。ユーザーにとって、盲導犬との別れは「第二の失明」といわれているそうですね。
私も最初の頃はもらい泣きしていました。どの場面も感動的で胸に迫りますし、切実です。ユーザーと盲導犬はやはり、なかなか離れがたいものです。それでも引き渡していただくときの辛さ、悲しさだけは、どんなに老犬ホームが立派になってもなくなることはありません。
盲導犬に定年制がなかった頃までは、犬が病気をしたり老衰したりしても手放せないユーザーもいました。そのため、老犬を引き取りにいくときにはもう老後がない、というケースもあったのです。
盲導犬としての役目を終えた犬たちには、感謝の思いを込めてゆっくり楽しい老後を過ごしてもらいたい。その気持ちはユーザーも同じだと思いますので、当協会では盲導犬に12歳定年制を定めて、ユーザーにお別れの時期を伝えておくことで、覚悟を決めてもらうようにしています。
また、ユーザーと盲導犬の気持ちを少しでも早く切り替えるため、午前中に先輩の盲導犬とお別れして、午後には新しい盲導犬をお迎えいただくといった工夫もしています。それでも、老犬ホームに来る盲導犬のなかには、ユーザーと別れた方向ばかりずっと見ている子もいます。そういう姿を見るのはやはり辛いですね。
■約10年ぶりの自由、引退犬のたちの暮らし
——老犬ホームに入った引退犬たちには、盲導犬としての役目をすっかり忘れさせて、普通の犬として自由に遊ばせる工夫をしているというお話が印象的でした。
ホームには犬の遊び道具のおもちゃがあちこち置かれていますし、散歩のときはできるだけリードをゆるめて、自由に歩かせています。草むらや木の根元の臭いをかぐことも、思う存分やらせてあげるんです。
老犬ホームでの暮らしは、引退犬にとって約10年ぶりの自由が多い生活ですから、犬本来の習性を大事にしています。
気持ちよくてごきげんの入浴。撮影/北海道盲導犬協会
——老犬ホームは、引退犬の終の住処です。病気や老衰が進んだ犬たちにどんな最期を迎えさせるか決めるのも、辻さんたちスタッフの重要な仕事なのですね。
それは何年やっていても辛い仕事です。どこまで治療するか、犬が嫌がる薬をいつまで飲ませるか、そういった判断に迫られたときは葛藤との戦いです。
老犬ホームでは、犬の苦痛はとりますが、延命治療はしません。安楽死という選択肢もあります。その決断は、獣医、指導部長、老犬担当の3人が話し合って決めますが、一番大切にしていることは、命をまっとうさせることです。
介護が必要な犬用の歩行器や乳母車。撮影/北海道盲導犬協会
食事の介助。撮影/北海道盲導犬協会
——本書を読んだ後、普通の家庭でペットとして飼われている犬たちは、どんな老後を迎えているのか気になりました。たとえば、盲導犬と同じラブラドールなどの大型犬は体重も重く、介護も体力が必要です。
老犬ホームには、一般の方からの問い合わせもあります。「飼っている犬に介護が必要になったけれど、どうしたらいいですか?」と。その場合、介護の仕方や注意点を説明していますが、「仕事があるから日中は家にいません」とか、愛犬を介護できない事情をいろいろおっしゃる方もいます。
おそらく最初に飼う時、犬の老後のことまで考えていない方もいるのでしょう。そういう問い合わせがあるたびに、複雑な気持ちになります。
■盲導犬と人、どのように生きれば幸せになれるのか
——協会が発足当時から、北海道および全国各地からの支援や、街頭募金活動による費用で運営されていることは驚きでした。
当協会のことを取材して紹介してくださった地域情報誌や新聞、テレビのことをずっと覚えてくださっている全国各地の方から、ときどき寄付金が届きますので、本当にありがたいことです。札幌市や北海道からの助成金も少しありますが、毎月欠かさず街頭募金も続けています。
老犬の医療費はすべて協会の負担ですので、それが実はとても大変なのですが、多くの支援者のみなさんのおかげで、なんとか運営できています。
犬たちが使用しているタオルケットも支援者の方々からのいただきもの 撮影/北海道盲導犬協会
——犬の幸せを第一優先に考えて、老後の暮らしから看取りまで責任を持つ老犬ホームの活動に共感し、賛同する方が多いのですね。
どのような老後の生活と看取りをすれば、盲導犬も人も幸せになれるのかを考えることは、盲導犬と人がどのように生きれば幸せになれるのかを考えることと同じです。
これは、私たち人間の一生にも言えることではないでしょうか。ひとり、ひとりが抱える問題は、だれもがいずれは抱える、みんなの共通の問題なのだと思います。
すきなことは、ごはん、お散歩、お昼寝。撮影/北海道盲導犬協会
(文・樺山美夏)
▼画像集が開きます▼