蜷川幸雄さん告別式 藤原竜也、大竹しのぶら役者5人が弔辞(コメント)

「蜷川さんはずっとずっと戦い続けて、まだベッドの上で戦おうとしていました」
時事通信社

先日12日に多臓器不全のため他界した演出家・蜷川幸雄さん(享年80)の告別式が16日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。俳優・平幹二朗(82)、大竹しのぶ(58)、吉田鋼太郎(57)、小栗旬(33)、藤原竜也(34)の5人が弔辞を読み、最期の別れを惜しんだ。

◇以下、5人の主なコメント。

■平幹二朗

「とうとうこの時が来てしまいました。『ハムレット』のけいこ初日、やせ細って車いすに座るあなたの声の弱々しさに胸が震えました。でも、だんだんけいこが積み重なって、その内、とても大きな声で怒鳴りちらすあなたの姿にパワーが蘇ってきているのかとうれしく思っていたのに…。(中略)充実した演劇人生を生きることができました。本当にありがとう」

■大竹しのぶ

「こうしている今も私は蜷川さんに出会えた喜びと感謝の気持ちしかありません。けいこ場に響き渡る怒鳴り声。他では決して味わえることのできない心地よい緊張感。いい芝居をしたときに見せてくださるあの最高の笑顔。それらはこれからの私の演劇人生の中で色褪せることなく輝き続けることでしょう」

■吉田鋼太郎

「蜷川さんはずっとずっと戦い続けて、まだベッドの上で戦おうとしていました。僕には到底できないことだと思いました。棺にお入りになってからの蜷川さんのお顔をまだ見ていません。ベッドの上で戦う蜷川さんを目に焼き付けておきたいと思ったからです。でも、とても安らかで美しいお顔をしていると聞いています。(中略)もう少ししたらそっちにいきます。一生に芝居を作りましょう。もうちょっと待っててください」

■小栗旬

「見たことのない数々の景色に連れて行ってくれて、信じてくれてありがとうございました。今、僕がこの場所に立っているのは、間違いなく蜷川さんの劇団の一員にしてもらったおかげです。まだ僕はちょっと若いので、会いにいくのはしばらくかかってしまいますが、僕が会いにいくまでにそっちで新しい『ハムレット』の演出を考えていてください。その日に『ダメになったな~』と言われないように僕は僕で、こちらで苦しんでみようと思います。でも不安だから時々でいいからこっそり夢にでも叱りに来てください」

■藤原竜也

「蜷川さん、悔しいでしょう、悔しくて泣けてくるでしょう。僕らも同じですよ。もっと一緒に居たかったし、仕事もしたかった。たくさんの先輩方、同志の方々がたくさんきてますね。蜷川さんの直接の声は、もう心の中でしか聞けませんけれども、蜷川さんの思いをここにいる皆でしっかりと受け継いで頑張っていきたいと思います」

祭壇の遺影は、昨年9月に舞台『NINAGAWA・マクベス 』のけいこ場で、娘で写真家の蜷川実花氏が撮影した写真が使用され、赤と白色の花で彩られた。

演出家の蜷川幸雄さんの通夜で、遺影が飾られた祭壇=5月15日、東京都港区の青山葬儀所

蜷川さんは1935年10月15日埼玉県川口市生まれ。55年に劇団青俳に入団、当初は俳優として活躍していたが、68年に劇団現代人劇場を創立し、69年に『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。日本だけではなく海外でも活躍し、世界中で「世界のニナガワ」と高く評価されてきた。

昨年12月半ばに軽い肺炎を起こし入院し、リハビリに励んでいたが、12日午後1時25分に肺炎による多臓器不全のため、死去した。80歳だった。

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