「いろんなイスラムの在り方があっていい」過激派テロに揺れるフランス、穏健な移民たちの思い

テロ後のフランスで、イスラム教に対する関心がこれまでにないほど高まっている。

2015年1月のシャルリー・エブド事件、11月のパリ同時多発テロ。フランスは昨年、2度にわたりイスラム過激派組織IS(イスラム国)に襲撃された。

共和国理念「ライシテ」で“国家の無宗教性”を大切にするこの国はいま、イスラムとどう向き合っているのか。穏健な移民たちの日常は? パリ在住のフリーライター・プラド夏樹さんが現地の様子をレポートする。

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2015年、2度にわたるイスラム過激派によるテロ後のフランスで、イスラム教に対する関心がこれまでにないほど高まっている。

顔全体を覆うベールの着用を禁じた「ブルカ禁止法」があるこの国で現在、イスラム教徒を対象にしたファッションが議論を呼んでいる。公の場で自分の宗教色を表明するのを遠慮する傾向があるこの国で、人々はどのように生活しているのだろうか? また、市民はどのような眼差しでイスラム教を捉えているのだろうか? フランスに暮らす穏健な移民一世、移民二世のリアルな日常とともに紹介する。

■ファッションに見る、イスラム教とフランスの微妙な関係

3月29日、「ル・パリジャン」紙で、アパレルブランド「Marks&Spencer」が顔と手足だけが外に出るイスラム教徒の女性用水着、「ブルキニ」(ブルカとビキニを合わせた造語)を販売、フランスでもネット注文できることを発表した。

「Marks&Spencer」のブルキニ

すでにイギリスやアメリカでヒジャブを(ムスリムの女性の髪を隠すスカーフ)売り出しているユニクロや、ドルチェ&ガッバーナに次ぐ新商品で、モード界でもイスラム市場が重要視されつつあることの証だ。

しかし、フランスのモード界は懐疑的だ。デザイナーのアニエス・ベーは「私はそういうものはデザインしたくない」と断固とした態度を表明。イヴ・サンローランの元パートナーで実業家、ピエール・ベルジェ -イヴ・サンローラン基金会長のピエール・ベルジェは、デザイナーたちに、「金のためになんでもするのはやめよう、デザイナーの使命は女性を美しくすることであって、女性の身体を閉じ込めることではない」と呼びかけ、女性の自由を拘束する商品が、市場に出回ることへの懸念を表明した。

ル・モンド紙では4日、哲学者エリザベト・バダンテール氏がイスラム・モードを販売するブランドのボイコットを提案する一方、イスラム・モードのブランド「Fringadine」のデザイナーは「フランスは遅れている」と一蹴するなど国内の意見は分かれている。

■テロ後、フランスで売れている「コーラン」

こう書くと、「え? フランス人ってイスラムフォビア(嫌悪)?」と思う人もいるかもしれないが、そういうわけでは決してない。イスラム過激派によるテロが相次ぐ今だからこそ、穏健なイスラム教への興味や期待も高まっており、2015年1月に起きたシャルリー・エブド襲撃事件の26日後、コーランのフランス語訳の売上はアマゾントップ100に入った。今も宗教関係の本の売上一位の座を独占している。行きつけの書店の店主によると、読者は「自分なりにイスラムの真髄に迫ってみたいという、イスラム教徒以外の人々」ということだ。

フランスとイスラム圏との出会いは十字軍遠征の11世紀以来と遠くさかのぼる。その後、19世紀から20世紀初頭にかけてのマグレブ諸国の植民地支配を経て、フランスはヨーロッパのなかでいちばんイスラム教徒が多い国になった。しかし、その関係は愛憎が混ざりあった複雑なものだ。「イスラム教は受け入れる。でも、条件付きで」というのだろうか? その微妙な関係の一面を探ってみたい。

パリ5区、イスラム寺院の前で

■移民一世、穏健なイスラム教徒の暮らし

ここで、私の友人、イスラム教徒のサミアを紹介したい。以前住んでいたアパートの隣人で、初めて会った1990年、彼女はまだおさげ髪の幼稚園生だった。今は法律関係のジャーナリストとして働きながら法学部の博士課程に在学している30歳の女性だ。

父親アレスキーは、1970年代、フランスの自動車製造会社ルノーの工場で働くために出稼ぎに来たアルジェリア人だ。高度成長期だったフランスが、旧植民地であるマグレブ諸国から多くの人出を募った時期だった。そして85年に、同郷の妻サディカとの間にサミアが生まれた。フランスは国籍に関して生地主義をとっており、サミアは移民二世のフランス国籍ということになる。

熱心なイスラム教徒である母サディカは、毎年、ラマダーンの最後の日に、「一緒にお祝いして!」と言って手作りの料理を近所の人々に分けてくれた。イスラム教徒としてのサミア一家の徴(しるし?)といったらそれくらいで、母サディカがヒジャブを被っているのを見かけたことは一度もなかったし、父アレスキーにいたっては、近くのバーでほろ酔い加減になっているのを何度か見かけたこともあるほどだ。

■フランスの共和国理念「ライシテ」とは

90年代以前、マグレブ諸国からの移民一世の人々は、フランスの共和国理念のひとつである「ライシテ」、“国家の無宗教性”を尊重して、自分の宗教を表に出さずに家庭内でひっそりと信仰していたのだ。

この“国家の無宗教性”であるが、概念的には、国民がそれぞれの宗教を自由に信仰しながら共存することができるように、国や公共機関は無宗教の立場をとることを意味している。しかし、日常生活においても、人々は自分の宗教色を公的な場所に持ち込むのを遠慮する傾向がある。

たとえば、公立病院を例にとってみよう。病院内には、各人が自分の信仰に沿った礼拝をすることができるように、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の礼拝堂がある。しかし、職員が自分の宗教を理由に病院の機能が滞ることーーたとえば、キリスト教の信者である産婦人科の医師が中絶手術を拒否するのは罰則に値する。国の公共機関の職員であるからには、自分の宗教的信念いかんにかかわらず、すべての利用者に平等に接しなければならないのだ。

この流れの中で、2004年、「公立学校内で宗教色の強いシンボルを身につけることを禁止する法」が成文化され、学校内では、教師も生徒も、宗教を表す、キリスト教の十字架、イスラム教徒の女性の髪を隠すヒジャブ、ユダヤ教徒の帽子キッパーなどを身につけないことが定められた。公立教育のまえでは皆、同等な生徒ということを意味する。

■平等か抑圧か。二分されたイスラム教移民二世たち

しかし、これを「イスラム教徒に対する抑圧」ととらえたイスラム教徒の人々も多く、ヒジャブを被った女性が「信仰の自由」を求めてデモをするようになった。色とりどりの美しいヒジャブをまとってグループで街を闊歩し、通行人をビックリさせる若い女性たちも増え、イスラム教徒としての厳しい戒律を守っていることを公の場でアピールする人々が増えた。当然、ハラル食品を売る店、イスラム教関係の本や服を売る店も急増した。

パリ11区、Jean pierre Timbaud通り99番地のイスラム・モード店。お店の人によれば「イスラム教では偶像を禁止しているので、マネキンに顔がない」とのこと。

翌年の2005年2月、Youtubeがフランスでサービスを開始したと同時に、サウジアラビアをはじめとした湾岸諸国から、厳格な復古主義を特徴とするサラフィー主義が「ネット説教」によって急速に広まった。サラフィー主義は、時代の流れとは関係なく、7世紀に編纂されたコーランに書かれていることを文字通り実践しようとする主義で、風紀に厳しく、異教徒を処刑することや女性の自由を奪うことを良しとしている。武装闘争とむすびつき、今、世界を脅かしているイスラム過激派組織の思想的土壌を成している。

このようなサラフィー主義に感化された人々には、移民二世のなかでも、学校教育から落ちこぼれ、やりがいがある仕事にもめぐりあえず、社会に自分の居場所をみつけることができなかった人々が多かった。彼らは、自分たちを疎外したフランス社会に対する挑発、不満の表明として、サラフィズムに改宗した。

一方、同じ移民二世でも、サミアのように高等教育を受け、労働市場に進出する勝ち組みもいる。2005年当時、サミアは20歳。パリ近郊、サン・ドニ大学の法学部の学生だったその頃をふりかえって、彼女はこう言う。「大学でも、最初は、イスラム教家庭の友だちだけで固まっていた。一緒にハラル・レストラン行ったりしてね。でもそのうち、なんとなく、このままでは私はフランスの社会からはみ出してしまう、もっといろんな人と交わったほうがいいかもしれないと思うようになった」。イスラム教は信仰していても適度に抑え、必要以上に表沙汰にしないことこそが社会進出への鍵であることを、敏感に感じとったのかもしれない。

■フランスらしいイスラム教徒の暮らしは可能か

30歳になったサミアに、今の暮らしを教えてもらった。彼女が夢中になっているのは空手だ。男性たちに混じってトレーニングし、「女だからあれしちゃいけない、なんて言われるなんてまっぴら」というイマドキのフランス女性になった。

「基本的なモラルの基盤っていう程度だけど、信仰は持ち続けている。でも、ラマダーンはとっくの昔にやめたの。だって、困るじゃない。お腹が減って集中できないから仕事でミスしちゃう。ハラル食品は家でだけ。イスラム教徒じゃない友人たちと食事に行く時、『私はハラルじゃないと食べれない』って言い張りたくないもの」

もちろん、母サディカがラマダーンをし、ハラル食品しか口にしないことは尊重している。「いろんなイスラムの在り方があっていいと思う」と。

そう、イスラムにはいろいろな素顔があるのだ。カトリック教会での聖書の解釈は教皇が定めるのに対して、イスラム教では、コーランの解釈は各国、各派、指導者、各信者によって異なる。それは自由でありさまざまな可能性を意味しているが、同時に、サラフィー主義者や過激派を生む理由のひとつでもあり、危険なことでもあることを、今ヨーロッパ諸国は感じている。

■民主主義的な価値観に合った「イマム憲章」作成へ

2015年11月24日、フランス同時多発テロの11日後、フランス・イスラム指導者会は、「イマム(イスラム教の指導者)憲章」を作り、民主主義的な価値観に見合った「フランスのイスラム教」の教えをほどこすことができるイマムの養成に努めることを明らかにした。

「女性の身体は男性を誘惑するから髪から足まで隠すニカブを被れ」、「欧米の音楽を聞いたり、ラブシーンのある映画は見てはいけない」、「子どもでも女の子は自転車に乗ってはいけない」などというサウジアラビアやイランのような厳しい風紀が広がることは、民主主義を危険にさらす。

「イマム憲章」が、今後のフランスで民主主義と共存できるイスラム教の枠組み形成へ向けてのワンステップとなると良いと思う。

(プラド夏樹)

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