「パナマ文書」に名を連ねた大物の中に、46歳のラミ・マフルーフ氏がいる。シリアのバッシャール・アル=アサド大統領の従兄弟で、親友。同国で最も嫌われている人物の一人でもある。
マフルーフ氏の目に余る汚職は、2011年のシリア騒乱のきっかけになった。この時、抗議者たちはマフルーフ氏の会社を攻撃した。「ラミ・マフルーフは我々から奪っている」と、繰り返し声を上げた。
確かにそうだ。マフルーフ氏はアサド体制との親密な関係を利用して約50億ドルを蓄財、シリア経済の約60パーセントを手中に収めた。2011年にロイター通信は、 「マフルーフ氏がシリアの電話通信、不動産、石油、航空会社、免税店、建設と重要部門を完全に又は部分的に独占している」と報じており、また、あるアナリストは「シリアで事業をしたい外国人は皆、 マフルーフ氏を経由しなければならなかった」と述べている。
アサド大統領とその協力者を非難する横断幕を掲げるシリア人たち。アサド大統領の協力者の中に、ラミ・マフルーフ氏の名前があった。(KARIM SAHIB/AFP/GETTY IMAGES)
パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した1150万件の文書を、南ドイツ新聞が入手し国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)とともに分析した。オフショア会社の史上最大のデータ漏えい事件となった。この文書によって、マフルーフ氏が国外のビジネスパートナーの助けを借りて、海外に自分の現金を隠している手法が浮き彫りになった。
モサック・フォンセカはマフルーフ氏が所有する複数社の代理人になっており、それらの企業はイギリス領バージン諸島に登記されていた。この場所では、税・規制・刑事当局から現金を隠すことが比較的容易で、マフルーフ氏の企業はペーパーカンパニーのようなものだった。つまり、実際にはそれらの企業自体は何の事業もせず、資産を経由させるためにある資産運用機関というわけだ。
アメリカはマフルーフ氏の資産の追跡を、少なくとも2008年から続けてきた。アメリカはこの年、自国企業がマフルーフ氏と取引することを禁止した。シリアの汚職拡大を牽引したというのがその理由とされた。マフルーフ氏はアサド大統領の「取り立て屋」で、大統領が得た不正利得を管理しているのではないかと見られてきた。
ラミ・マフルーフ氏。2010年撮影。(ASSOCIATED PRESS)
パナマ文書は、アメリカによる制裁があるにもかかわらず、シリアで内戦が勃発した際にも国際的な銀行と法律会社がマフルーフ氏や他のアサド政権の協力者と連携を続けてきたことを明らかにしている。
アサド体制を非難するために、抗議者たちが街頭デモを繰り広げていた2011年、モサック・フォンセカは、このシリアの大物と縁を切るという自社のコンプライアンス部門の助言を拒絶した。同社の共同経営者の一人は、イギリスの大手銀行HSBCの助言に基づき、マフルーフ氏に対する非難の声を単なる「噂」と判断した。HSBCは、マフルーフ氏が役員としての名を連ねていることが情報漏えいで明らかになった過去があり、アメリカ上院が調査を求めていた。
2011年半ば、シリア政府が民衆の抗議行動に殺傷力のある武器で対応した際、ヨーロッパ連合(EU)はマフルーフ氏とアサド体制の他の協力者に制裁を課した。このときになってようやく、HSBCとモサック・フォンセカはマフルーフ氏との関係を絶った。
マフルーフ氏は2002年、シリア最大の携帯電話会社「シリアテル」を設立した。同氏にその契約を請け負わせたと政府を批判した経済学者は、7年間投獄された。(KHALED AL HARIRI/REUTERS)
「弊社は名前と関連団体が報道されるまで、この方を存じ上げませんでした」と、モサック・フォンセカはマフルーフ氏についてコメントした。
「のちのち判明したのですが、弊社はこの方に再転売されたある会社の登録代理人でしたが、直接この方との取引はありませんでした。スイス銀行法での守秘義務のために、問題の会社の最終受益者に関する情報を、弊社は入手できませんでした」。
モサック・フォンセカは、パナマ文書がいかなる不正行為をも立証したものではないと主張しており、オフショア会社設立事業については、非合法なことは一切無いとしている。多くの人が匿名を望む合理的な理由については、イギリスのガーディアン紙は「資産を海外で守るため」と指摘している。
しかしその守秘義務の慣習は、終焉を迎えようとしている。モサック・フォンセカの顧客には、世界の指導者、官僚、その近親者が140人以上おり、さらにその上、スポーツ選手、武器商人、麻薬王も含まれている。アイスランドのグンラウグソン首相のオフショア取引が明るみに出たことにより、大掛かりな抗議行動に発展した。4月7日に辞任した。
現在のところ、シリアはマフルーフ氏に責任を負わすことができないでいる。腐敗と抑圧に対する抗議行動を粉砕してからの4年間、シリアは崩壊に向かっている。そして今日、複雑で残忍な戦争に巻き込まれ、これまでに約50万人の死傷者を出すに至っている。
ラミ・マフルーフ氏がシリアの「腐敗」を象徴している人物であるとするならば、弟のハーフェズ氏は「抑圧」を象徴している。
45歳のハーフェズ・マフルーフ氏は、シリア総合情報局と呼ばれる諜報機関の元ダマスカス支局長だ。アメリカ財務省は2011年5月、シリアで抗議行動が起こった際、抗議者たちの命を奪った最初の数日間の弾圧などに関してハーフェズ・マフルーフ氏が主導的役割を果たしてきてたことを理由に、同氏に制裁を課した。
ハーフェズ氏もまた、モサック・フォンセカによってイギリス領のバージン諸島で登記された別の会社の代表として、パナマ文書に名前が挙げられていた。
アサド大統領と妻アスマー。3月、ダマスカスで撮影。(SANA/ HANDOUT VIA REUTERS)
アサド政権のシリアでは、腐敗と抑圧が共存共栄している。マフルーフ兄弟の存在は、アサド体制の取り巻きグループの際立った例の一つだ。
ラミ・マフルーフ氏は、弟によって運営されている情報機関を使って、自分の商売敵を脅迫した。著名な経済学者の一人は、国内最大の携帯電話会社を設立する請負契約を同氏に与えたと政府を批判したことで、7年間を牢獄で過ごすことになった。
この兄弟が現在どうしているのかは、はっきりとはわからない。ラミ・マフルーフ氏は騒乱が始まった時、ニューヨーク・タイムズのインタビューで「アサド体制は、生き残りをかけて死ぬまで戦う」と述べ、アサド大統領を怒らせたという。その直後、同氏は事業を止め、自分が得た利益を慈善団体に寄付すると宣言した。しかし、ほとんどのシリア人が同氏の言っていることなど信じなかった。そして2015年6月、スイスの裁判所は同国にある資産を引き出そうとするマフルーフ氏の訴えを却下した。アサド体制との関係を本当に断つという同氏の主張について、疑念を露にしていた。
一方、ハーフェズ・マフルーフ氏は、2014年に諜報機関のポストを失い、シリアを去りベラルーシかロシアに向かったと報じられていた。兄とは異なり、同氏は2012年にスイスの裁判所を説得。所有していた約300万ドル(約3億2000万円)を引き出すことが出来た。
横断幕が下がるシリア中央銀行。シリアの国営メディアは、パナマ文書の漏えいを報じなかった。(2016年3月撮影 OMAR SANADIKI/REUTERS)
今回の漏えい事件は、モサック・フォンセカが、アサド体制と連携し、戦禍を広げたシリア企業を助けたことも明らかにした。
ICIJのメディアパートナーであるフランスの「ル・モンド」紙によれば、アメリカのブラックリストに載ったシリア企業3社がセイシェルでダミー会社をつくるのを、モサック・フォンセカは助けたという。この3社は、シリアの町や都市を恐怖に陥れる戦闘機に使われた可能性のある燃料をアサド体制に販売したことで、制裁が課されていた。パナマ文書によると、制裁が課された9カ月後となる2014年7月も、モサック・フォンセカはアサド体制と関連する企業の一つである「Pangatesインターナショナルコーポレーション」との提携を続けていた。
当然のことながら、シリアの国営メディアは、今までのところパナマ文書漏えい事件を無視している。 ICIJのシリアのメディアパートナー「Rozana FM」のウェブサイトはシリア国内からは閲覧できないようにされているが、現在進行中のニュースを今も報道し続けている。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。