ビューティ・ライフスタイリストとして活動する神崎恵さん。彼女が手がける著書は、次々とベストセラーとなり、女性たちの美をサポートしている。「二度見される美人になる」「何度でも愛される女になる」——女性誌にも見出しが躍る。その容姿の美しさから、自ら誌面に登場することも少なくない。メディアへの露出だけではなく、メイクレッスンを開いてキレイのメソッドを伝える活動も行っている。
神崎さんが多くの女性から支持される理由は、容姿と年齢とのギャップや、自然体で美容と向き合う姿にあるだろう。しかし、彼女がこれまで歩んできた人生を少し覗いてみたなら、もっとそのギャップに驚くかもしれない。
今回、プレステージスキンケアブランド「SK-Ⅱ」のパートナーシップのもと、神崎恵さんにインタビューをする機会を得た。彼女の人生を変えた「運命」とはなんだったのだろう?
あだ名は「カンザキング」だったサッカー少女が、美に目覚めたとき
意外なことに神崎さんは、サッカー少年団に所属する元気いっぱいの小学生だったという。男の子たちと一緒に走り回る彼女についたあだ名は“カンザキング”。真っ黒に日焼けしたスポーツ少女は、中学生になるとソフトボール部に所属した。
そんな神崎さんが女性らしさを意識し始めたのは、中学2年生のときだった。「8個年上の従姉妹がいて、髪の毛をコテで巻いてくれたり、お化粧をしてくれたりしたのがきっかけでした。私は容姿にコンプレックスがあったのですが、鏡に映る変わっていく自分を見ていて“わたしもこんな風にかわいくしてもいいんだ”って女の子の気持ちがわかった気がしました」神崎さんが美に目覚めた瞬間だった。
20歳、闘病中に実感した美容の大切さ
神崎さんは、10代で芸能活動をしたが、20歳で病気を患い引退することとなった。闘病生活は約1年。そのとき勇気付けられたのは、美容やメイクだったという。
「闘病中は顔色が悪く、食事もまともに摂れず点滴生活でした。鶏ガラみたいに痩せこけてしまいました。入院中、母が持ってきてくれたコスメを使ってみると、私は女なんだという感覚を取り戻せました。母と美容の存在に助けられたんです。母親に、美しくいることで湧いてくる力を教えてもらった出来事でした」
育児は「孤独」。シングルマザーの生きづらさを実感
芸能界引退後、23歳で結婚した神崎さん。2人の子供に恵まれたが、夫婦生活はうまくいかず、離婚という選択をした。長期に及ぶ離婚裁判中はつらい日々を過ごした。「自分を守るのは自分しかいない」と悟りながら。
離婚後に訪れた現実は2人の子どもを抱えるシングルマザー。神崎さんは、この先どうやって食べていこうと悩み、パートをしながら、独身の頃から持っていたものを売ってお金を得た。生活費と子育てに必要な費用を稼ぎながら細々と生活をつないだという。
「離婚したとき、私は自分に失望しました。昔は、結婚したらある程度の幸せは確約されているんだろうと思っていたけれど、現実は全くそうじゃないと知りました。離婚は、前向きな選択をしたつもりだったけれど、結婚生活を続けられなかったことに負い目を感じていました」
シングルマザーの辛さを尋ねると「全部」と即答した神崎さん。ひとりで2人の子どもを育てる大変さを実感したという。「パートのあとは、夕食の買い物を、両手いっぱい重い荷物を抱えて運んだり。そんなとき、手をつないで歩いているほかの家族がうらやましかった。そういう些細なことで、いつも涙が出そうになりました。子どもの学校行事も……。たとえば運動会で、応援の場所取りはお父さん、お母さんはお弁当を作って持って行くという家族を見ては、子育てを夫婦で“分担”できるっていいなぁって思っていました」
「子育ては孤独です。まだまだシングルマザーが生きづらい世の中、ひとりの子育ては1日、1日がプレッシャーでした。私が絶対にこの子たちを幸せにすると思っていました。子どもはかけがえのないもの。弱音を吐かずにひとりで頑張れたのは、やっぱり息子たちのおかげです」
神崎さんと同じように、ひとりの子育てで苦労しているお母さんたちはきっと多いだろう。それでも彼女たちが愛情を注ぎ続けるのは、「母」の強さにほかならない。
「ママは大きくなったら何になるの?」きっかけは息子のひと言
神崎さんは、子育てのために何か手に職をつけたかったと語る。「母」としての自分、「女性」としての自分。その狭間で、彼女は悩んだ。そんな彼女に前を向かせたものはなにか? 神崎さんは、お子さんの存在だったと話す。
「あるとき息子に言われたんです。『ママは大きくなったら何になるの?』って。そのひと言がきっかけで、自分の夢ってなんだろう? と考えるようになりました。人生あきらめるんじゃなく、挑戦してみようって思えたんです。それで働きながら様々なスクールに通いました。自宅近くで美容サロンを開けば、子どもたちとの時間をなるべく確保しながら、お金を稼げるんじゃないかと思いました」
すると、彼女にある転機が訪れた。ママ向けの雑誌から声がかかり、神崎さんの美容術が紙面で紹介されたのだ。多くの読者から“神崎さんの美容がおもしろい”“真似したい”といった声が届いた。これが今の仕事にもつながっている。
「私の武器は、シングルマザーで、人より時間がないということ。限られた時間の中でいかに美容をやっているか。そんな私と同じ境遇にいる女性たちはとても多いのです。仕事しながら子育ても完璧にこなすのは無理だし、美容をきちんとするのはもっと難しいですよね。そんな弱いところを全部知ってもらったことで共感してくださる方たちがいたんです」
チャンスは待たない。「運命」は自分で変えていくもの
人生につまずいたとき「運命」と聞くと、つい甘い言葉を期待してしまうものだ。生まれもって与えられた私の運命は、きっともっといいものであるはずだと。しかし神崎さんは「運命は自分で作っていくもの」と信じている。受け身ではなく、運命を変えられるのは、自分しかいないと。
「運命は自分でどう切り開いていくかだと思います。思い返すと、運命を変えるきっかけって日常にゴロゴロ転がっていて、チャンスの欠片をどう掴むか。世の中ってやっぱり人との関わりによって成り立っているものですよね。一度お会いした方と、また会えるにはどうしたらいいか、また一緒にお仕事したいって思ってもらえるにはどうすればいいかなって、いつも考えています。それが運命を作り出すということ。ぜんぶ私次第。だから私は、成功も失敗も全部自分のせいにしたいんです」
神崎さんの著書を読むと「自分の魅力を見つけて磨こう」「自分を愛してあげよう」といったメッセージが目立つ。しかし彼女の生きかたは、決して自己愛を満たすものではないとわかった。彼女はいつだって“相手のため”なのだ。子どもや夫、仕事で関わる人々への愛情こそが、彼女を成功に導いている。
2014年に再婚と3回目の出産を経て、40歳になった神崎さん。今日も3人の子どもたちと夫に愛情を注ぐ。コンプレックスを持ち、離婚・シングルマザーを経験、決して甘くはない社会を生き抜いてきた彼女だからこそ、身をもって知っている。チャンスは待っているだけでは掴めない。運命は自分で作り出すものなのだ。
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スキンケアブランドSK-Ⅱは「変わりたい」と願う女性たちに勇気を与え応援していく新キャンペーン「運命を、変えよう。~#changedestiny〜」をスタートさせた。ここで紹介した神崎恵さんを含む、自ら運命を変えた12人の女性たちのストーリーと女優・綾瀬はるかが「自分で決めた道を、信じて進もう」と呼びかけるメッセージ動画を公開中。
きっと運命を変えるヒントが得られるはずだ。女性たちの「運命を変えたストーリー」はこちら。