「ゼロ戦」のニックネームで知られる旧日本軍の零式艦上戦闘機が、再び日本の空を舞うことになった。1941年の真珠湾攻撃などで主力を務め、1945年の終戦までに約1万機が製造されたが、飛行可能な状態で残っている機体は、6機だけ。このうち、唯一の日本人オーナーが所有する機体が1月27日、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地でテスト飛行するという。産経ニュースなどが報じた。
飛行予定日は27日で、28、29日が予備日。基地内は立ち入り禁止だが、周辺で飛ぶ様子を見ることはできる。テスト飛行後は、飛べる状態を維持する「動態保存」を国内で初めて実施。鹿屋基地から他の空港へ飛行する一般公開を予定している。
この機体は、もともとパプアニューギニアで激戦地となったラバウル近郊に放置されていた零戦22型。アメリカ人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。これをニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(54)が2008年ごろ、3億5000万円の私財を投じて購入。牧場や自宅、車などを売り払って資金をかき集めたという。
石塚氏は「零式艦上戦闘機 里帰りプロジェクト」のFacebookページで、次のようにメッセージを出した。
零戦は、戦争の象徴ではありません。
明治維新から多くの日本国民、先人の弛まぬ努力と技術革新の結果として1940年前後に於いて世界最先端、最高峰の航空機として生まれました。
現在の日本の繁栄と平和な社会は、戦後の70年で作られたものではありません。
明治維新から150年の近代の中で日本人の誇りを持った一人一人の国民によって作り上げられたものです。
零戦はその道標としてより多くの人に正しい日本の近代の歩みを知って頂く為の遺産であり、動態保存をすることにより生きた歴史の証人として後世に伝えるべきものと考えております。