戦後、滅亡寸前と言われた上方落語界の復興に尽くした「四天王」の最後の1人で、厳しいまでに磨き上げた芸風で知られる桂春団治(かつら・はるだんじ、本名・河合一=かわい・はじめ)さんが1月9日、心不全のため死去した。85歳だった。朝日新聞デジタルなどが報じた。
大阪市出身。父は上方落語の大看板だった二代目桂春団治。1947年に父に弟子入り。50年に福団治を襲名した。その3年後に父が亡くなり、59年に上方落語きっての大名跡・春団治を継いだ。故・六代目笑福亭松鶴、故・五代目桂文枝、故・桂米朝とともに戦後の上方落語界を支え続け、四天王と称された。
マクラを振らずに噺(はなし)に入る独自の高座ぶりで知られ、「代書屋」「野崎詣(まい)り」「高尾」「皿屋敷」「お玉牛」「いかけ屋」などの滑稽噺(こっけいばなし)が十八番だった。それぞれに高い完成度を誇り、絶妙な間で爆笑を誘った。98年に紫綬褒章、04年に旭日小綬章を受章した。
(落語家の桂春団治さん死去 上方落語の「四天王」:朝日新聞デジタルより 2016/01/14 04:13)
高座では本題に入る直前に羽織をシュッと一気に脱ぐ形の美しさでもファンを魅了した。2011年4月に腸閉塞のため入院。13年5月から体調不良のため自宅療養を続けていた。2015年10月、生誕85周年記念の一門会へ出席の意欲を見せたものの、体調不良のため当日の朝に連絡を入れて欠席した。
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