「毎年3億人を感染症の恐怖から救う薬」の開発につながる治療法を発見――。
大村智・北里大学特別栄誉教授の2015年ノーベル医学・生理学賞受賞のニュースは日本中を歓喜させた。そして、この薬の誕生の裏には、大村博士とともにノーベル賞を共同受賞したウィリアム・C・キャンベル博士、そして彼らの研究成果から生まれた新薬を「無償配布」するという利益度外視の決断を下した製薬会社Merck & Co., Inc., Kenilworth, N.J., U.S.A.社(米国とカナダ以外ではMSD、以下MSD社)に秘められた「世界の患者を救う」という情熱と使命感があった。
この薬は現在も年間約3億人の人々に届けられており、ニューヨーク・タイムズは「20世紀で最大の医学的成功のひとつ」と賞賛し、世界銀行は「発展途上国支援の歴史の中で最も注目すべき業績のひとつ」と評価している。
(文中敬称略)
大村智博士(左)とウィリアム・キャンベル博士
■ 「10万種のバクテリアの中で1つだけ」は、日本のゴルフ場の土から
アフリカや中南米では、全身の皮膚にかゆみを起こし、視力を奪われる河川盲目症(オンコセルカ症)という寄生虫による感染症に多くの人々が悩まされていた。世界保健機関(WHO)によると、70年代には35の発展途上国で8500万人が感染の危機にあった。1800万人が寄生虫を宿しており、100万人が視力障害に苦しみ、30万人が完全に視力を失ってしまう。そして、患者の3分の1以上が寿命を縮めている状況が拡大していた。
1978年、アメリカ・ニュージャージー州にあるMSD社の研究所で家畜の寄生虫を駆除する研究に従事していたキャンベルは、のちに「イベルメクチン」として知られる治療薬の開発に取り組んでいた。
キャンベルの研究チームは、世界中のバクテリアを収集して寄生虫の駆除効果があるものを探し続けていた。その種類は10万種近くにも及んだが、効果が認められたものはたったの1種類だけだった。それが、1974年に大村博士が伊東のゴルフ場近くで採取したものだ。大村博士は、菌の培養液の色と性質に着目し、「この菌は面白そうだ」と、MSD社にサンプルを送ったのだ。
オンコセルカ症の感染源である回旋糸状虫の入った瓶を手に持つキャンベル博士
その効果は驚くべきものだった。感染しているマウスに、大村博士が採取したバクテリアを含むエサを食べさせたところ、少し摂取しただけでマウスから寄生虫がいなくなった。
「あの時の興奮は忘れられない。寄生虫を殺しただけでなく、マウスに害が全くなかったからだ」と、キャンベルは振り返る。
■ 「生命の危機にさらされている人々のために」異例づくめの企業決断
キャンベルは、人間の寄生虫にもその薬が効くのではないかと考えた。
キャンベルは研究所の責任者ロイ・バジェロス上級副社長に、ヒト用の医薬品として開発したいと申し出た。ただし、研究には数年を要し、研究費だけでも数百万ドルと多額になる。アフリカでの臨床試験も必要になるし、患者のほとんどは薬を買う金がないと率直に話した。
ロイ・バジェロス上級副社長(当時)
バジェロスは板挟みになった。キャンベルの申し出を受け入れたら、商業的な価値のない薬に投資することになる。一方で、却下したら、生命の危険がある世界各地の人々を救う薬を世に送り出せなくなってしまう。
バジェロスはキャンベルに手紙を送った。「研究を続けなさい。医薬品として開発に必要なデータをできるだけ集めるんだ」 この手紙は、キャンベルに患者を救うという使命感を燃え立たせた。
大村博士の地道な研究と、人々を救う薬の研究に資金を惜しまないMSD社の情熱が結びつき、イベルメクチン開発の道は開けた。
1979年、キャンベルは医薬品としての開発に必要な科学的根拠を得たと確信し、薬の開発の決定を下すMSD社の委員会にかけた。新薬開発はただでさえ失敗することが多い。たとえ開発に成功しても、長期にわたり薬を製造して、世界でも有数のへき地に住む患者に配布するには途方もないコストがかかる。
予想される患者層は新薬を買うことが難しい人々であるため、利益どころか開発・製造コストの回収も不可能なことがわかっていた。委員会の議長を務めたバジェロスも、会社経営を考えたら研究の続行はあり得ないと理解していた。
しかし、バジェロスは、「医薬品は人々のためにあるのであり、利益のためにあるのではない」というMSD社の原則に立ち返った。世界のへき地で多くの人々を苦しめる病気を克服する可能性をここで閉ざしていのか、と。
「彼らが達成しようしているミッションに強く惹かれた。だから臨床試験の開始が待ち遠しかった」とバジェロスは語った。キャンベルは、ヒト用の医薬品としての開発に踏み出した。
新薬の臨床試験は、MSD社のモハメド・A・アジズの指揮のもと、アフリカのセネガルで行われた。微量の薬を投与した2、3週間後、患者の身体から大部分の寄生虫が駆除された。症状が悪化した例もほとんどなく、少量の投与でも数カ月で寄生虫が激減したのである。
モハメド・A・アジズ臨床研究統括(右)
しかし、専門家からは「被験者は軽症の患者だけだったのでは」「投与を続ければ毒性が確認されるはず」といった疑問の声が噴出した。そこでアジズは、1983年以降ガーナやリベリアなど4カ国の1200人に追加試験を行い、年に1回、一錠の薬で寄生虫がほとんど駆除できることを証明した。
■ 前例のない無償提供へ「人生には、決断しないといけない時がある」
イベルメクチンのヒトでの有効性、安全性が確認されたことで1987年、CEOとなっていたバジェロスはこの薬を「メクチザン®」と名付けて、オンコセルカ症治療薬として販売の認可を申請した。
しかし、認可されても、年間数千万ドル以上とみられるコストをかけて市場に供給する見通しはない。MSD社の顧問を務めていたヘンリー・キッシンジャー元国務長官の紹介で、バジェロスはスポンサーを求めて、国際開発に関する政府機関や民間の財団、ヨーロッパ各国政府、アフリカ諸国を訪ね歩いたが、どこからも協力は得られなかった。社内には、新薬を無償提供することは「営利企業がやることではない」との難色を示す声もあった。しかし、アジズらのように「会社がコストを背負ってでも無償で提供すべきだ」との意見もあった。それが、製薬会社の使命である―—アジズはそう信じて疑わなかった。
「人生には、リーダーシップを発揮して決断しなければいけない時がある」バジェロスはそう心に決めて、これまで前例のない無償提供を決断した。
1987年の記者会見で「薬を買う余裕のない人びとだけがその薬を必要としている特殊な状況」を説くバジェロス(中央)
しかし、無償提供にも困難がつきまとう。オンコセルカ症がまん延している国には、薬局もなければ公衆衛生の専門家もほとんどいない。患者のいる地域の村までの道のりは何時間とかかり、道路もろくに整備されていない。しかも、ただ患者のいる村に行って薬を配るだけでは意味がない。村の全員に行き渡らせるためには、辛抱強く村人たちの行動をたどり、ひとり残らず薬をのんでもらう必要があるのだ。MSD社は公衆衛生の専門家によるメクチザン®専門委員会を立ち上げ、WHOを中核とする各国で薬の配布を担当する政府や民間の機関を選定し、医療記録を取りまとめた。
地道な普及活動が続くなか、新薬の効果はアフリカ各国に広まった。1989年に、キャンベルがトーゴ北部の村を訪ねた時、キャンベルは村長からこう声をかけられた。「素晴らしい! もう誰も死なずにすむ」。
「研究者として、決して忘れられない瞬間だった」と、後にキャンベルは振り返っている。
■ 「医薬品は利益のためにあるのではない。人々のためにある」
一方で、経済的なコストも莫大であった。メクチザン®で寄生虫を駆除するためには、最長で14年間、毎年服用する必要がある。1997年の段階で、MSD社がメクチザン®無償提供に費やしたコストは数億ドル以上にのぼった。しかし、バジェロスはこう信じて疑わなかった。「正しいことをすれば、あとになって思いもよらない恩恵が得られる」
メクチザン®の開発をめぐって大村智博士、ウィリアム・キャンベル博士をはじめとする最高の科学者たちが集結した。そして何より、バジェロス以下、MSD社の社員の士気と誇りが高まった。会社の利益は失われたかもしれない。しかしそれ以上の恩恵が得られたことは間違いない。そして、その成果は大村博士とキャンベル博士のノーベル賞受賞という形で結実した。
「医薬品は利益のためにあるのではない。人々のためにある」――。MSD社創成期の社長ジョージ・W・メルクはこう語る。利益よりも患者の健康を重視し、「理想主義の機運がみなぎっている」とも評されたMSD社の社風が、バジェロスの勇気ある決断を生み、2人のノーベル賞受賞者を誕生させたのだ。
河川盲目症(オンコセルカ症)撲滅への取り組み~必要な人がいる限り、必要なだけ~
【参考文献】
MSD社内資料
「VALUES & VISIONS A Merck Century」
「The Leadership Moment: Nine True Stories of Triumph and Disaster and Their Lessons for Us All」Michael Useem(邦題「ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則」)
Built to Last: Successful Habits of Visionary Companies(邦題「九つの決断―いま求められている「リーダーシップ」とは」)
大村さんに聞く 「人と同じことをしてもダメ」 瀬川茂子 WEBRONZA 2015年10月14日
「大村さんの薬 米企業も評価したい ノーベル賞の共同受賞者キャンベルさん、メルクとの相乗作用」浅井文和 WEBRONZA 2015年10月16日
「微生物が薬を作ってくれた」 ノーベル賞・大村さん講演 朝日新聞デジタル 2015年10月14日
「ノーベル賞・大村さん、国内患者も救う 抗寄生虫薬 皮膚病に効果、少ない副作用」 朝日新聞デジタル 2015年10月8日
※上記朝日新聞デジタル記事は有料記事です