新国立競技場の整備計画が白紙撤回となった問題について、9月24日、第三者からなる検証委員会が報告書を取りまとめ、発表した。
報告では、文部科学省及びその管轄の日本スポーツ振興センター(JSC)に、建設プロジェクトを統括する能力がなく、責任の所在や上限の予算が曖昧なままだったことを指摘。下村博文文科相や文部科学事務次官、JSCトップにその責任があるとした。
しかしこのプロジェクト管理能力の欠如は、白紙見直し前の建設費が転々と変わりゆく状況下でも当初から批判が集中していたポイントだ。
報告書に添付された、文科省、JSC、撤回された案のデザインを務めたザハ・ハディド事務所、日建設計といったいわばこのプロジェクトの当事者たちが語った内容から、この巨大プロジェクトがいかにして迷走していたか、3つのポイントから紐解いてみよう。
■「決まらない予算」
まず、関係者のヒアリングの内容を読み、気づくのがもともとの予算上限として示された「1300億円」という数字についての認識のブレだ。
この数字はもともと日産スタジアムなど既存のスタジアムをもとに、2012年の時点で試算されたもの。JSCや文科省の担当者の中でも、守らなければいけない予算だという認識と、一応の目安で設計次第で変わっていく目安のようなもの、という認識が存在していた。
さらに混乱を増すのが、建設資材の高騰で見積もり価格が刻々と変わっていく2013年以降になると「真にやむを得ない場合」に限って予算をオーバーして良い、というコンセンサスが生まれていた。これは市場環境の変化や消費税増税を指しているが、ではどの額までなら良いのかは一向に文科省からは示されなかった。JSCは予算に関して権限がなく、ヒアリング内容からは担当者はどこまで「真にやむを得ない場合」を適用して良いのか、混乱していたのは間違いない。
一方、文科省も財源確保について「スポーツくじや東京都からの拠出など」という曖昧な状態のまま進行し、最後まで上限を示さなかった。下村文科相に至っては、「管轄する団体が多数あるので、何も報告がないからうまくいっているものと思っていた」という内容をヒアリングで話している。文科省トップに至ってまで、当事者意識が欠如していたことがうかがわれる。
■「仕様を変えられない」責任者不在
もう一つ、破綻へと突き進んだ大きな要因が、ザハ・ハディド事務所や日建設計によるコスト削減のための提案を拒否し続けたことだ。
これはJSCとザハ事務所、日建設計らが揃って指摘している。ザハ事務所、日建設計は予算に応じて複数案を提示していたが、JSCはそれを「文科省に報告した」という処理だけ行い、意思決定にまで至らなかった。日建設計は、「思い切ったことをやらないと駄目なのではないか」とJSCに警告したが、キールアーチや立体通路はやめられない、と突っぱねられたと振り返っている。
また、ザハ事務所もJSCについて「意思決定を変えるすべを持っていないと言われて困った」と証言している。プロジェクトの牽引役がいなかったのは明らかだ。
■足りなかった情報公開
また、検証委員会はJSCからの情報公開が極端に少なかったことも指摘している。
今回、このプロジェクトに多くの批判が集まったのは、議論やプロジェクト進行の過程が明らかにされないまま価格が乱高下したことが大きい。しかし、次々と報道される建設費の見積もり額も、発注者であるJSCや設計者、施工者ら立場の違う当事者からの情報で必ずしも公式のものではなかった。これに報道も混乱し、これが国民の目に「工費の乱高下」と映ってしまった。
ザハ・ハディド氏の事務所は「早い段階から、こういう設計でよいところがあるとPRしたかったが、JSCがなかなか動いてくれなくて残念だった」と述べており、情報発信が足りなかったことは、当事者からも指摘されている。
「決まっていない予算上限」「責任者不在」「情報発信の少なさ」――。こうして、新国立競技場のプロジェクトは暗礁に乗り上げ、破綻した。
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