黒人少年射殺事件から1年、ファーガソンで追悼集会 地元警察は対話路線に

ブラウンさんの死から1年にあたる9日、通常の制服を着た警官が付近を立って見守る中、デモ参加者がブラウンさんが射殺されたキャンフィールドドライブに集まり、聖マルコ大教会へ行進した。
Anadolu Agency via Getty Images

ミズーリ州セントルイス郊外ファーガソン。落ち着きを取り戻したこの通りの中心部に再び多くの人が集まり、白人警官に射殺された18歳の少年マイケル・ブラウンさんに黙祷を捧げた。この射殺事件は大きな波紋を呼び、新たな公民権運動を考えるきっかけとなり、国が議論してきた人種と警察(の対応)の問題に大きな変化をもたらした。

キャンフィールドドライブ。365日後

2014年8月9日、丸腰のブラウンさんは、近くのコンビニエンスストアからタバコ1パックを盗んだ直後、ファーガソン警察の警官ダレン・ウィルソン氏に射殺された。セントルイス郡大陪審はウィルソン氏の起訴を見送り、連邦政府の調査も、この警官に行使できる公民権の義務はないと判断した。しかし、別の調査によると、警官のほとんどが白人で構成されるファーガソン警察署では、警官同士が気軽に人種差別主義的なメールをやりとりし、黒人住民を犠牲にして市の財源を確保するために、関係官庁や裁判所の職員が収益をもたらすことに重点を置いている場所だと明らかになった。

事件から1年経った8月8日夜、ファーガソン警察署の外で行われた抗議運動は、セントルイス郡のジェリー・ロアー警部補の指導の下、暴力沙汰にはならなかった。警官は警察署の建物外部を照明で赤く照らし、道路を閉鎖して交通を遮断し、限られた数の警官が群衆を見張り続けた。一部のデモ参加者はローストした豚の頭を持参し、そこには「ダレン・ウィルソン」と書き記していた。しかし、ロアー警部補は、デモ隊を排除することなく、豚のローストの仕方や自分の家族と豚をローストした時の想い出について、デモ参加者と語り合った。

2014年8月、昼間に平和的な抗議運動をしていた人たちにも攻撃的な対応を警官隊に指示したジョン・ベルマー署長は、8日の夕方早く、昨年暴動の多数発生したウエスト・フローリッサント通り周辺を巡回し、デモ参加者たちと握手をして写真を撮った。

2014年、署長の指揮下にあった警部補に不当逮捕されたジャーナリスト、トレイ・イングスト氏とのインタビューでベルマー署長は次のように語った。「私たちは多くのことを学びました。過去から我々が何も学ばなかったなら、それは恥ずべきことだと言わざるを得ないでしょう」

8日の夕方遅くになると、町の反対側にある警察署の外で行われていた抗議運動は静まり始め、深夜近くまでウエスト・フローリッサント通りでは致命的な銃撃は起こらなかった。9日、警察は17歳の少年がバックパックの中に銃を忍ばせて抗議運動に参加していたとして拘留したことを発表した。

射殺事件を目撃した31歳のエリック・ウォールズさんは、「マイケル・ブラウンさんに捧げる人々が連帯するイベントになる」と語った。「我々は(お互いに)理解できるようになると思っています。この状況から抜け出して、悪化するのではなく、より良い何かを作り出せると思っています」

ブラウンさんの死から1年にあたる9日、通常の制服を着た警官が付近を立って見守る中、デモ参加者がブラウンさんが射殺されたキャンフィールドドライブに集まり、聖マルコ大教会へ行進した。参加者の何人かが、2014年8月以降に起こった変化を話した。デモ参加者が教会へ歩いている間、付近で走行中の車から発砲が起こった。

発砲後、警察は緑色の4ドア車を警戒していたが、代わりに緑色の2ドア車を道の片側に寄せた。警官たちが銃を構え、その車両に近づくと、セントルイス郡出身のロニア・グリーン(19歳)さんが助手席にいた。

沈黙の行進に続いて起きた警察の緊迫した場面。手錠をかけられた2人が連行された。

「僕は震えていましたが、冷静でした。もし落ち着いてなかったら、すぐに道に腹ばいにさせられて死んでいたはずですから」と、事件直後、グリーンさんはハフポストUS版に語った。「警察はまだ私たちの所へ来るべきではなかったですね。いけませんよ」

教会では、演説者たちが黒人たちの功績とその活動への支援を表明し、歌と詩を披露した。

「私はへたり込んではいません」と、ブラウンさんの父親・マイケル・ブラウン・シニアは話した。「私はこれからも立ち上がります。この運動が、よりよい運動になるように」

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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